第57話『約束』@ 葛◆5fF4aBHyEs 様

高校の頃はバスで通学していたのだが、一度だけ乗り過ごしたことがある
それもよりによって、用事があって遅くなり、最終バスに乗った日に限って

目を覚ましたのは、橋の袂だった
○○橋口、というバス停で慌てて飛び降りる
今思えばいっそ駅まで乗っていけば良かったのだが、その時はそこまで頭が回らなかった
民家はそれなりに立ち並んでいるが、コンビニなどは見当たらない
遅くなることは事前に伝えてあったのでそれを叱られることは無いのだけれど、帰る手段が無い
夜9時過ぎの住宅街は、さざ波のような静けさに包まれていた

時折微かに犬の遠吠えが聞こえてくる
親が『高校を卒業するまで携帯禁止』という方針なので、携帯は持っていない
公衆電話を探すと……あった。橋の目の前にシャッターの降りたタバコ屋があり、そこの角にひっそりと緑色の公衆電話が佇んでいた
親に電話を掛けて、乗り過ごしたことを伝える。
○○橋口のバス停に居ることを告げると、『20分くらいかかるよ』とのこと
電話を切って、バス停に戻る
人気はないが民家は多いので、あまり怖いとは思わなかった

しばらくそのまま堤防に寄りかかってぼんやり親を待っていると、
「あら!やっと来てくれたのね!」
嬉しそうな声が響いて右手側を見ると、女の人が立っていた


……10月の終わりなので肌寒いことは肌寒いのだけれど、ファー付きのコートを着るには早いような気がする
ファーのついた真っ白いコートは見るからに高そうだ
コートの下から少しだけスカートが見え隠れしているが、かなり短い。癖の強い金髪、派手めの化粧、ラメで飾られた爪、手にした赤いバッグは間違いなく皮製品だ
(……誰に話しかけてるんだろう?)
キョロキョロと辺りを見回す自分の腕を、彼女がいきなり掴んだ
まさかそんな行動に出られるとは思っていなかった
咄嗟に動けずに居る自分に、まるで腕を組むように腕を絡め、彼女が歩き出す
「ちょ、ちょっと!!何するんですか!」
ことここに来て恐怖心が理性を上回り、大声を上げる
……が、辺りの民家はしんと静まり返ったまま、物音一つ聞こえなかった
「離してください!誰か、助けて!」
女性なのにすごい力だ。振りほどくどころか、腕を圧迫されて手が痺れる
甘ったるい香水に混じって、なんだか変な臭いが鼻につく。泥水と生ゴミが混じったような、ドブの臭い
「早く早くっ。早くいこう?もー、来てくれないかと思ったわ♪待ちくたびれちゃった」
彼女は笑顔でそう言いながら、グイグイ自分を引っ張っていく
連れて行かれたのは橋の中央
そこで彼女は、こちらの身体を欄干に押し付け始めた

民家からは誰も出て来ない。交通量はそこそこある道なのに、それほど遅い時間でも無いのに車一台通らない
自分の悲鳴は虚しく夜の闇に吸い込まれていく
欄干は自分の胸くらいの高さしかない。彼女に押し付けられて、首から上が欄干から身を乗り出す
彼女の強い力で頭を押され、足が浮き始める
バタバタと暴れる自分と対照的に、にこにこと彼女は笑っている
「ひどいよね。あたし、彼が言うから貯金だって全部あげたし、子供だって堕ろしたのに。……ねぇ」

『一 緒 に 死 ん で く れ る っ て 約 束 し た よ ね ……』

その声に、ゾワッと全身が総毛立った
あの生臭い臭いに噎せ返りそうになる
彼女の声が一変した次の瞬間、

「……こんなとこで何してんの?」
迎えに来た親の声が響いて、自分は我に返った
気付けば自分は橋の中央で一人、呆然と立っていた
彼女の姿は無い
まるで、幻のように彼女は消えていた
他に車が来ていないとはいえ、橋の真ん中で立ち話をするわけにもいかない
フラフラと親の車に乗り込み、一部始終を話す
「……夢だったのかな」
そう呟く自分に、「襟、見てみ」と親が指摘する
言われて制服の襟を見ると、彼女の爪を飾っていた銀色の星が襟に付着していた