第35話『人形』@ 葛◆5fF4aBHyEs 様

まだ小学校に上がる前、一時的に親戚の家に預けられていたことがある
その親戚の家は古い日本家屋で、大人になった今から思えば「趣のある」家なのだが、小さい頃は妙に暗いし妙に埃っぽいし妙に湿度が高いし、とにかく怖かった
特に、ガラスケースに入った日本人形が怖かった
何故か、ふと視線を向けると必ず目が合うような印象があって、常に見られているようで気持ちが悪かった

そんなある日、何かの用事で親戚が出掛けることになり、一人で留守番をすることになった
「夕方までには帰ってくるから。おうちの外には出ないようにね」
そう言われて頭を撫でられたのは、確か昼過ぎた辺りだったと思う
ぬいぐるみ、ままごとセット、スケッチブックにクレヨン……一人で遊べるだけの道具はたくさんあった
最初は大人しく落書きして遊んでいたのだが、それも次第に飽きてしまった

『……遊ンデアゲヨウカ……?』
不意に、そんな声が聞こえてきた
不思議に思って見回すと、人形と目が合った
『一緒ニ遊ボウ……?』
退屈していた自分に、その誘いはとても甘美だった
不思議と、怖いとは全く思わなかった。遊んで貰えることが楽しみで、ガラスケースを持ち上げる
と、確かにケースの中に居たハズの人形の姿が、ふっ……と消えた
『コッチ、コッチ』
きょろきょろ見回しながら声の方を向くと、クレヨンの散らばった卓袱台の上に人形が立っていた
ワクワクしながら、そぉっと人形に歩み寄り、掴もうと手を伸ばす。と、またふっと人形の姿が消えた

『コッチ、コッチ』
今度は天井の梁に腰掛けていた
当然手が届くわけはないので、何か無いか探し回り、箒を手に人形の元へ戻る

『コッチ、コッチ』
折角箒を持ってきたのに、人形はいつの間にか座敷の真ん中に移動していた
今度は逃がさないように、と鼻息も荒く飛びかかる自分の前で、また人形が消える

『コッチダヨ』
からかうように楽しげな人形の声。今度は、箪笥の上に立っている

『コッチ、コッチ』
捕まえようとすると、人形が姿を消す。欄間から姿を消した人形を探しながら、いつしか追い掛けっこに夢中になっていた

『コッチダヨ』
廊下に居たはずの人形が、いつの間にか縁側の窓の向こう、庭に出ていた
自分もすぐに鍵を開け、庭に出る
と、人形が数メートル先のツツジの上に現れる

『コッチコッチー』
ツツジに駆け寄った時には既に、人形は玄関の前の石畳の上に居た
その動きの速さに翻弄されながらも、自分も玄関の前に向かう

『コッチ、コッチ』
玄関前から数メートル先に移動した人形を見据え、今度こそ、と息巻いて、人形から目を離さないようにしながら慎重に歩を進める

一歩、二歩……飛びかかれるくらいの距離で足を止め、一気に飛びかかる

その瞬間、ぐいっと力強く後ろから襟を引かれた
びっくりする自分の鼻先を、トラックが掠めていく
……いつの間にか、人形は道路に出ていたのだ
気づかないまま飛びかかっていたら、今のトラックに引かれていたハズだ
「コラッ!!何してんの、危ないやろ!!」
自分の襟首を掴んでいたのは、そこの隣に住んでいるおばさんだった
もしかしたら死んでいたかもしれないことに気が付いて、自分は泣き始めた
人形はトラックに引かれ、バラバラになっていた


それから後は、よく覚えていない
人形とのやりとりをおばさんに話したら、大慌てで親戚が帰ってきて、その日のうちに自分は家に帰された

人形は、既に供養されたらしいと聞いたが、自分は今でもあの人形との出来事を夢に見る

『コッチ、コッチ。コッチダヨ……』