北國の漁村

この怪談は怖いって話よりも、心が優しく穏やかになる、そんな話です。

ようするに霊っていうのは、決して怖いだけじゃないんですね。
それで私この話が好きなんですがね。

雑誌だとか、パンフレットだとかポスターだとか、そういったものに載せているフリーのカメラマンなんですがね、
この人が仕事でもって青森に行った時の話しなんですよ。

で、仕事が終わったんでまだ時間もあるし、この辺りをブラっとしてみようかなと思ってね。
それで良い画を見つけてはシャッターを切りながら歩いていたんです。

海辺の街があるんで、そこをずっと歩きながらね。
そして歩いているうちに小さな漁港に出たんですね。
船が並んでいる。

空は晴れているんですけど、そのうちに雨がぽつっぽつっと落ちてくるんで、あれ?と思っていたら、
細かな雨が降ってきた。

(あー弱っちゃったなぁ…)と思っていたら、どんどんどんどん雨は強くなってくる。
周りを見ると向こうに軒が出ていて、小さな食堂があるのが見えた。
(あーそこに行こう。そこで雨宿りをしよう)と思って走っていって軒に入る。


入口の方を見ると、ドアが少し開いていて、覗いてみた。
中に灯りはついていないんですが、70歳位の日焼けした、見るからに漁師さんだなぁ。
という感じのおじいさんが自分の方を覗いて見ているんで、
「雨も強くなってきたもんですから、すいませんちょっといいですか?」と言って入っていった。

そしたらそのおじいさんが、「あんたもやるかね?」って、持っていた干物をふっと出したんで、
「じゃあ頂きます」ってその干物をかじってた。

そしたらそのじいさんが、
「あーもしよかったら帰りに寄って持って帰ったらいいわ。俺のところすぐそこなんだよ。
その道をずっと200mくらい行ったところに右側に少し登る細い道があって、その上に自分の家がある。
周りに家なんかねぇからすぐ分かるよ」
って言うんです。

そう言い終えると、まだ雨は振っているのにおじいさんは出て行っちゃった。
すると入れ違いに男の人が入ってきて、「いらっしゃい、実はですね今日、店やっていないんですよ」って言うんですよ。
「お客さんどうやってここに入ったんですか?」って言うんで、
「私が来た時にここに漁師らしいおじいさんが居てね…」って話をすると、
あーあの人来てたんですか、とそれで話を始めた。
いや、あの人はこの土地の漁師さんでね、いつもこの店来ていたんですよ。
漁が終われば顔を出していたんですけどね。
ん?顔を出していたっておかしな言い方するなぁって思ってたんですけど、
ある時、あー今日も帰りに寄るよって言ってたんですけどね、
その日は風が強くて、そのまま後で寄るからよって言ったっきり、沖に出てね、
とうとう帰って来なかったんですよ。
じゃああの自分と話していたおじいさんって・・・あの人生きている人間じゃないんですか?
えぇ実はね、私は一度も会っていないんですけどね、この土地の人間がね、
うちの店にいるあの人をね、何度か見かけているんですよ。
どうやら天候が荒れたりするとうちの店にきて、一人で一杯やっているらしいんですよね
って言った。
そうこうするうちに雨がやんだんで、どうもお世話になりました、すみませんって言って
カメラマンはお店を出たわけだ。
でもさっきの話が気になったもんで、ちょっと時間があるから行ってみようかなぁ。
言われた道は覚えてますからね。
その道沿いに行ってみた。
確かに200mくらい行くと右に細くあがる道がある。そして上に家がある。
周りに家なんかないから、すぐ分かったんだ。
それで歩いて行ってみた。
庭に雑草が生えている。
もう誰も長いこと手をかけていないんでしょうね。
それで庭をずっと入っていった。
板戸は閉まっているんだけど、入り口がある。
ひょいっと覗いてみたら、入り口のところに干物が下がっているんですよね。
あーこれのことか持っていけって言ったのは。と思ってね。
あーじいさん、この干物でもって一杯やってるんだなぁと思いながら、
入り口に立ってご馳走様でした、ありがとうございました。
お礼を言って帰ってきたんですよ。
この話なんだか私好きなんですよね。
怖いばかりじゃないんですね。
霊というのはもしかしたら優しいものかもしれない。

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