ヘアピース

親しい消防署長さんが

「私ね、昔災害支援の被災地で救助の指揮を取ったことがあるんですがね。
 その時に妙な経験をしてるんですよ」

と言って私に話してくれたんです。

それは正確な場所は言えないんで、日本の北部だと思っておいてください。
そこで大雨が降って大規模な土砂災害が起こったんです。
人命は勿論大切なんですが、生きている人にとっても甚大な被害だったんです。
土砂に流された家からけが人を救出したり、行方不明者を捜索したり。
夜を徹しての作業が続くわけです。
道路は陥没している。
巨大な岩が落ちてきて道を塞いでいる。
それでその巨大な岩の下にもしかしたら車が下敷きになっているかもしれない。
そういうのを見つける度に探すわけですよ。

でも救助の最中にいつまたこの石が転がっていくか分からない。
上から土砂が落ちてくるかもしれない。
一雨降ったならばもっと被害は大きくなるわけですよね。
でもこれは人命がかかっていることですから、一分一秒を争うんです。
捜索している人の顔にも疲れが滲んでくる。
そうして作業をしている最中に空が曇ってきた。
それで二次災害に備えて作業が一時中断されたんです。

皆一時的に休んだわけなんですが、なにせ皆疲れているから肩で息をしている。
所長さんもフッと腰を下ろしたんですが、何しろ自分は責任者ですからね。
皆の命を預かっているわけだ。
この自然災害の脅威というものを感じながら隊員たちやあたりのことを見ていた。
自分の目の前には土砂に押しつぶされた家が見えるし、大きな岩に押しつぶされて梁の部分だけ見えている。
この家から先ほど年配の奥さんとお婆さんの死体が二つ収容されているんですよね。
まさか自分たちにこんな運命が待ち受けているとは思わなかったでしょうね。
それをもって気の毒だなぁと思った。
人間の運命なんて分からないなぁと思いながら辺りを見ている。

と、岩に押しつぶされて倒れた家のその柱、その土の中から髪の毛が見えている。
ヘアピース。

(あぁ、これはさっき遺体で上がった奥さんのものだな)

遺品というほど立派なものではないですよ。
でも亡くなった人が肌身に付けたものですからね。
このままにしておくのは忍びないなぁと思ったんで、それで土をどかしてみたわけです。

髪の毛が出てきた。
それを持ち上げてみると、ズルズルっとそれが出てくる。

(あら?)

これは多少目方があるし、大きいんですよね。
意外に思った。

(これは随分でかいな)

揺すってみたんですが、こびりついた土がなかなか落ちない。
水たまりがあったんでそこへ持って行って洗ってみた。
洗ってヒョイッと持ち上げた瞬間うわっと思った。

それは人の右耳なんですよね。
ビックリして下に置いてみた。
と、それは髪の毛があって、その下。
右の耳がそこに付いているわけだ。
恐らく頭の上のあたりから右の頬にかけて剥がれ落ちたであろう皮膚がついているんですよね。
髪の毛も耳もついているわけだ。

(これはあの奥さんの遺体の一部だ。
 だったら死体置き場に行ってこれを届けてあげよう)

それで自分のハンカチに髪の毛とその耳のついた皮膚を包んでポケットにつっこんだ。
そうこうしているうちに作業が再開された。
そして直に日が落ちて真っ暗になった。
でもなおも作業は続いている。

そうしているうちに雨が降り始めた。
それでも作業を続けているわけだ。
だんだんと雨は大降りになってくるけども、作業は続けられ、これは以上は危険だというところでその日の作業は中断されたんですね。
明日も朝早くからの作業が待っている。
疲れきって隊員たちは皆キャンプに帰ってきた。
大きいテントが何張も並んで立っている。
その一つに所長さんは入っていった。

(あー、疲れたなぁ)

作業服を脱いで、テントの梁にそれをかけた。
簡易ベットがあるんでそこにゴロンと横になった。
疲れもあるんですがこの緊張から開放されたという気持ちで安心感が湧いたんでしょうか、そのまんま寝ちゃったわけだ。

どれほど時間が経ったのか、フッと目が開いた。
隊員たちの寝息が聴こえる。
皆は寝ている。
なんだか眠れない。

(眠れないなぁ)

と、耳の近くで気配がした。

(何なんだろう、この気配は)

簡易ベットというのは非常に地面と近いところにあるんですよね。
その気配というか、音は自分のすぐ耳元で聴こえている。

ピチャ・・・ピチャ・・・

その音は濡れた地面を踏むような、そんな音なんですよね。
誰かが外に居るわけです。
自分が寝ているテントのすぐ布の外に誰かが居る。
そこに誰かが立っているんだ。

(なんだろう、一体何をしているんだろう?)

丁度そこへエンジン音がして、一台車が戻ってきた。
車が方向を変えるのでヘッドライトが動いている。
その明かりがテントを照らしている。
テントの布は厚手なんできちんとではないんですが、車のライトがテントを照らした瞬間、自分が寝ているその横、立っている人影が見えて、すぐに消えた。
車のライトが遠ざかるとその足音も

ピチャ・・・ピチャ・・・

と音を立てながら遠ざかっていったんですが、その時にこの音は裸足の足音だと思った。

(あぁでもダメだ。もう寝ないと)

そう思って所長さんはまた目を閉じた。
と、サーッとテントの中で風が動いた。
そうして誰かがテントの中に入ってくる気配がする。
見るともなくヒョイッと見ると、テントの中には明かりはないんですが、簡易ベットのその下に一つ一つペンライトが置いてあるんです。
非常時に備えて足元が映るようになっているんですよ。
それがチラチラと動いているんです。

(あぁやっぱり誰かが歩いているんだな)

その人は顔を覗かせて、どうやら何かものを探しているらしい。

(誰だろう? こんな闇の中で見えるのかな?)

それが段々とこちらに近づいてくる。

(一体何事なんだろう)

所長さんは自分の簡易ベットの下にあるペンライトを取ってその明かりを消した。
そしてそれを握って構えていたんですね。
だんだんと足音は近づいてくる。

(来たな来たな)

そう思いながら目を瞑った。
と、サワサワと音がしている。
自分の寝ている上で音がするんで泥棒かと思い、そちらにライトを向けた。
そしてカチッとスイッチを入れた。

とたんに喉の奥で声にならない悲鳴を上げた。
そしてそのまま体は固まってしまった。
真っ暗な中、ペンライトの小さな明かりの中に、顔の皮膚の剥がれ落ちた女が居て、その顔がじっとこちらを見ていたって言うんですよね。
所長さんの意識はそのままフッと遠のいていった。

やがて目が開いて昨日のことを考えながら

(あぁそう言えばあの拾ったヘアピースを持ってきてしまったな。
 あれを遺体安置所に届けなくちゃ)

そう思いながら作業服のポケットに手を突っ込んだ。
でもそこにはハンカチはあったんですが、皮膚は無かったそうですよ。

所長さんはテントを出て自分が寝ている横のあたりまで行ってみた。
そこには乾いた泥の手形が付いていたそうです。
こんな話を聴かせてもらいました。

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