バックミラー
栃木県に住んでいる私の知人が聞かせてくれた話なんです。
この人のところに親しい友人で木工所の親方が顔を出した。
それでその人も丁度出かける用事があったから
「おい、俺もそこまで行くから乗せてくれよ」
と言ってその親方の軽トラックに乗せてもらったわけだ。
乗ってみるとその車にはバックミラーが無い。
「おい、この車はバックミラーは無いのかい?」
「いや、そうじゃないんだけどさぁ。
気味の悪い女が映るもんだからさぁ。
俺、外しちゃったんだよ」
「なんだいそらぁ」
そう話してると、親方が話してくれた。
それというのは年の暮れなんですが、木工所から出来上がった製品をお客さんに届けて
その足で群馬県にある実家のお兄さんのところへ遊びに行くところだった。
ちゃんと製品の方は届けて、兄貴のところに行こうと軽トラックを走らせていると車がエンストを起こしてしまった。
(弱ったなぁ)
このへんには修理工場は無いんですよ。
というのも家もあまりないんだ。
それでどうにか携帯電話でお願いをして待っているんですが、田舎だからなかなか来ない。
(来ないなぁ)
時間が経っていく。
それでやっと修理屋さんが来たわけだ。
軽トラックはようやく動くようになったんですが、その時にはもう辺りはだいぶ暗くなっている。
で、その時にこの辺りは初めて来た場所だったんで、修理屋さんに道を尋ねた。
一応カーナビは付いているんですが、近道を聞こうと思ったんですね。
そうしましたら修理屋さんが
「それでしたらこの道を真っ直ぐ行くと、ニつ目の十字路を右に曲がってずっと行くと、橋に出ますから。
橋を渡ったら二股の道があるんで、左にずっと行くと県道に出ます。
その後はきっと分かる道に出ると思いますよ。
ただね、これを間違って右に行ってしまうと山に入ってしまってややこしくなるんで気をつけてくださいね」
それで親方は軽トラックを走らせていった。
見るとカーナビはキチンど同じ方向を指している。
(あぁ、間違ってないんだなぁ・・・あら?)
今修理屋さんはニつ目の十字路を右と言ったんですが、カーナビでは三つ目の十字路を右となっているんです。
(この場合は・・・カーナビ通りに行ってみようか)
それでカーナビ通りに三つ先の十字路を右に曲がって行ってみた。
恐らく川があって橋を渡るんだろうなと思っていたんですが、いっこうに橋に辿り着かない。
(あら?)
そう思っているうちに、二股の道に出た。
カーナビを見ると、カーナビは右の道を指している。
(あぁそうか、さっき修理屋さんは二つ先の十字路を右と言ったんだけど、
自分は三つ先の十字路を曲がってしまったから、きっと元の道に戻るんだろうな)
だからカーナビの指示に従い、右の方向にハンドルを切った。
辺りはもうだいぶ暗くなっている。
軽トラックを走らせながら、おかしいなと思った。
なんだか様子がどうもおかしい。
自分は広い大きな道に向かって走っている。
だったらドンドンと明かりが増えてきて、家も増えてきて、すれ違う車があってもいいんだけどさっきから一台もすれ違っていない。
だんだん明かりは少なくなっていくし、家も少なくなっていく。
(おかしいなぁ。変だなぁ。弱ったなぁ)
そう思っているうちに辺りはどんどんと暗くなってきた。
山が迫ってくる。
木々が一層生い茂ってくる。
緩やかな登りの道がずっと続いているわけだ。
ヘッドライトが闇の前方を照らしている。
なんだか心細い。
カーナビをひょいと見ると矢印があっちを向いたりこっちを向いたりしている。
(あ、このカーナビは駄目だ。
弱ったな、迷っちまったぞこれは)
仕方がないからイヤホンが付いた携帯電話で実家のお兄さんのところへ電話をかけてみた。
と、長男のお嫁さんが出たんで
「いやー、ごめんごめん遅くなって。
軽トラックが途中で故障して直すのに時間がかかってさ。
そこへきて道にも迷っちゃってさ。
もう今どこを走っているのか分かんないんだよ」
「どんなところを走っています?」
「それがどうも山が迫っててさ。
鬱蒼とした木があって、街灯が一つ二つとあるきりで、長い真っすぐの緩い登り坂を今登っているんだよ」
「あぁ、その辺りはそういう道が多いんですよね。
そこね、ずっと上がっていくと上を行く旧道と合流する地点があるんですけどね、
そこはよく人が事故で亡くなっているんですよ。
それでそこに車にぶつけられてヒビの入ったカーブミラーがあるんですけど、
そこのカーブミラーには時々車が映るそうなんです。
それが無灯火でフロントウィンドウが潰れた事故車なんですけど、すごい勢いで走ってきて、
見るとその潰れた運転席で右の目から頭にかけてざっくりと割れた女が、髪の毛を振り乱しながらハンドルを握って、悲鳴を上げているんだそうですよ。
でね、これを見ると皆、事故に遭うそうですよ。
気をつけてくださいね」
それでなくても自分は怖いし、心細いのに、そんな話を聴いたらなんだか怖い。
(嫌なことを言うなぁ)
そう思いながら前方を見てみると、ヘッドライトの明かりの先にどうやら旧道との合流地点らしい場所が見える。
確かにそこにはカーブミラーがある。
軽トラックはどんどんと走って行く。
(あれ、あのカーブミラーにはヒビが入っているんじゃないか?
じゃあ電話で話していたのはここのことなんじゃないかな)
その時フッとあることに気がついた。
(おい、今話している話し方と声・・・あれは長男の嫁さんの声じゃないぞ)
「ところでオタク、どちらさん?」
「フフフ」
そう言って向こうは黙って切ってしまった。
携帯を見ると圏外になっている。
(何だおい、おかしいぞ。
俺は誰と話していたんだ。
あの女は一体誰なんだ?)
その瞬間に怖くなってきた。
真っ暗な闇の中を軽トラックが音を立てて走って行く。
前方の合流地点が段々と近づいてくると、確かにそこにはヒビの入ったカーブミラーがある。
(うわ、やっぱりこれのことだ)
そう思いながらひょいと見ると、カーブミラーの中に車が見えた。
上の旧道を走ってくる車が見える。
明かりは付いていない、無灯火だ。
運転席が潰れている。
怖いからスピードを上げる。
勢い良く軽トラックは走って行く。
そして一気にカーブミラーの横を走り抜けた。
その時にフッと思った。
(自分が先にカーブミラーを追い越した。
ということは後からその事故車が追ってくる。
自分は後を追われているわけだから、先に行かせれば良かった・・・)
ヘッドライトの先に何かが飛び出してきそうなんだけども、怖くて夢中でスピードを上げていく。
汗がジトッと額を伝っていく。
(後ろから来ているのかな・・・。
もしかしらもう既に後ろに来ているんだろうか。
もしかしたら後ろから追われているのかな)
怖いけれど見えない。
(横に並ぶんだろうか。
自分は一体どうなってしまうんだろう)
エンジン音は聴こえてこない。
というよりも自分の車のエンジン音がうるさくてもう相手のエンジン音なんて分からない。
でもどうしても気になるからバックミラーに目をやった。
と、バックミラーには運転をしている自分の頭があって、そのすぐ後ろに軽トラックの小さなリアウィンドウがある。
外の暗い闇を映している。
それがバックミラーで見える。
バックミラーには何も映っていない。
リアウィンドウの中は真っ暗な闇。
(車は来ていないのかな・・・)
その時、頭のすぐ後ろで妙な気配がした。
何かの音がして、気配がする。
と、思いながらまたバックミラーを見る。
後ろの小さなリアウィンドウが映っている。
夜の暗い闇が映っている。
けれどその脇から何かがチラッと見えた気がした。
と、その途端にリアウィンドウの影から、フッと白い女の影が映った。
(うわぁあ!!)
その瞬間、女が顔をグッと出した。
途端に声にならない悲鳴を上げた。
右の目から頭にかけてざっくりとえぐられた、髪の毛を振り乱した女がこちらを見ている。
後ろから自分を見られて、うわーっと悲鳴を上げた。
親方はもう夢中でバックミラーを剥がすと、夢中でアクセルを踏んだ。
私の知人がね「あんたそれ、本当の話なのかい?」と聞くと、
親方は真面目な顔をして「あぁほんとだよ」って言ったって言うんですよね。