死んだ元カノは妻の

レコーディングのディレクターでラジオの番組のパーソナリティーをしている浅井さんという方が
結婚をして一戸建ての新居に引っ越しをしたんです。
家具の大まかな配置は終わって、後は引き出しに細かなものを入れていくだけ。
と、奥さんが箱に入った写真を見つけたものですから、それを眺めはじめた。

(あー、こうなっちゃうと長く掛かるんだよなぁ)
と思いながら、浅井さんがそれをひょいと覗き込むと、それは帽子をかぶってリュックを背負った男女の集合写真なんです。
奥さんが学生時代に所属していたワンダーフォーゲルの合宿の写真なんですよね。

次々と奥さんはページをめくって写真を見ていく。
別に見たいわけじゃないんですが、つられて浅井さんもそれを覗きこんでいた。
と、奥さんとツーショットで帽子をかぶってこちらを見て笑っている女性が写っている。
それを見た瞬間に

(えっ、そっくりだ・・・。
 やけに似ているな)
と浅井さんは思った。

気になるもんだから、奥さんの方に身を乗り出してその写真を見た。
と、奥さんが

「ん? この写真?
 彼女はね、私とサークルで一緒でね。
 私の親友だったんだけど、この子ね、私達の結婚式の十日前に事故で亡くなっているのよ。
 それで披露宴には出席できなかったんだけど、彼女かわいそうなんだよね。
 付き合っていた恋人に捨てられちゃって、その恋人の方に新しい彼女が出来たの。
 その人に取られちゃったのね」

聞いた瞬間に浅井さんは全身から血の気が引いていった。

(間違いない。これは京子だ。
 そうか・・・あいつは死んだのか。
 もっとも、死んだと分かっていても葬式には出られなかったけども。
 それにしても京子と女房が親友だったとは・・・)

結婚式の十日前、浅井さんは前に付き合っていた恋人を呼び出して一方的に自分だけの話をすると

「じゃあ、もうこれっきりにしよう」

と言って、彼女の前から早足で立ち去っていった。
と、背後から「待って!」という声がして靴音が追ってきた。
でも浅井さんは振り向かなかった。

後ろで急ブレーキの音がしてドスンと何かがぶつかる鈍い音がしたんで、フッと振り向くと
一台の車が止まっていて京子が道路に横になっていた。

「いきなり飛び込んできたんだよ!」
と言う運転手の声は聞いたんですが、浅井さんはその場所をそのまま立ち去ってしまったんですね。

(そうか・・・あいつはあの時に死んだのか。
 でもそれで良かったのかもしれない。
 もしもあのまま生きていたら、いずれは京子と自分のことが女房にバレてしまっていたかもしれないし。

 女房にしてみたら自分の親友を捨てた恋人というのが、自分の亭主。
 自分の親友から恋人を奪ったのが自分自身だと分かってしまう。
 そうだ、だからこれでよかったんだ)

と、浅井さんは京子さんの死をさほど重く受け止めなかったんです。

片付けも済んだんで、夕食をして、新居でのその日初めての夜を迎えるわけなんですね。
新しい畳の上に布団を敷いてそれで二人は床についたわけだ。
眠りについてどれくらい経ったか分かりませんが、浅井さんはフッと目が開いた。
と、隣で奥さんが

「ねぇ、ねぇ。
 今ね、枕元を誰かが通り過ぎていったの」

「ははは、そんなことあるわけないだろ」

そう言ったんですが、実はというと、浅井さんも妙な気配を感じていたんです。
浅井さんは週に一度、ラジオの深夜の放送を担当しているものですから、そうなると奥さんは家に一人になってしまう。
それがなんだかちょっと気になった。
そしてその日が二日後にやってきた。

夕食を済ませて支度をして、浅井さんはラジオ局に出かけた。
家には奥さんが一人になったわけですよね。
別にすることはない。
それでテレビをつけて眺めている。
そうこうしているうちに時間はだんだんと経っていった。
もう夜中になって、良い時間になった。

じゃあもう寝ようかなぁと思ってトイレに行って寝室で寝間着に着替えて、そして布団に横になった。
天井には就寝用の小さな明かりが一つ。
その周辺だけを照らしているんですが、後は闇に包まれている。
寝ようとするんですがなんだか眠れない。
ぼんやりと天井の明かりを眺めている。
なんだか眠れないなと思った。

シーンとして、辺りはことりとも音がしない。
静まり返っている。
ただボーっとしながら時間を過ごしている。
と、その瞬間なんですが、自分が天井を眺めているその視界の端で何かが動いた。

(うわっ)

一瞬影が走っていった。
この家には自分しかいないわけだ。
そして自分は寝ている。
誰も動いているはずがない。
だけど確かに自分の視界の端、そこを黒い影がスッと通り過ぎた。

(えっ、やだ・・・。
 何かが居る・・・。
 この前もこんなことがあったけど、やっぱり何かが居るんだ)

体は固まって動けない。
それで寝たままの格好で辺りの気配を伺っていた。
耳を澄ましているとそのうちに

トントントントントントン

と、部屋の中を歩きまわっている足音が聴こえてきた。
布団にうつ伏せになって、布団を被ってただガタガタと震えた。

(お願いします、助けてください! お願いします!)

ガタガタと震えながら一生懸命祈った。
汗が噴き出してくる。
でも何も起こらない。
ただ時間がだんだんと過ぎていくだけで何も起こらない。

(何なんだろう・・・一体何なんだろう)

恐る恐る布団を上げていく。
それで隙間から辺りを覗いてみたんですが、部屋の中に何も変わった様子はない。

(やっぱり私の思い過ごしだったのかなぁ?)

布団を全部上げてみたけども、辺りには何も変わった様子はない。

(あー、でも怖かったなぁ)

顔を出し、今度こそ本当に寝ようと思った。
それで目をつぶるんですが、やっぱり眠れない。
寝返りをうつのを繰り返す。
そうこうしているうちにウツラウツラとし始めた。

(あーもう眠れるな)

そしてゴロンと仰向けになった。
その瞬間に頭にズキッとした痛みが走った。
髪の毛が何かに引っかかっている。
無理に引っ張ったら髪の毛に傷がついてしまいますからね、仰向けに寝たまま手を伸ばして、
髪の毛に何が引っかかっているんだろうと、引っかかっている髪の毛をたどっていった。
指先に何かが当たったんで、これだなと思った。

手でフッと掴んで確かめた。
と、その正体がわかった瞬間、そのまま体が凍りついてしまった。
薄暗い部屋の中、今自分が握っているのは冷たい女の手なんだ。
その手が自分の髪の毛をギュッと握っている。
ということは、自分の枕元には恐らく女が居るんでしょう。
怖くて仕方ないんだけども、逃げるわけにはいかないんだ。
そのまま恐怖のあまり意識が遠ざかって行く。

動けないまま時間が経っていったあと、気がついたらその薄闇の中なんですが
自分の頭の上の方に黒い塊が乗っているわけだ。
それに気がついた瞬間、暗闇の中で自分をじっと見ている目に気がついた。
そのまま意識は遠のいていった。

どれほど経ったか分からないが、我に返った。
奥さんは起き上がると、夢中で家中の明かりをつけた。
布団を玄関まで持って行くと、そこで丸まって浅井さんの帰りを待っていたわけだ。
しばらくすると玄関が開いて浅井さんが帰ってきた。
見ると、玄関で奥さんが布団を被ったまま丸まってガタガタと震えている。
そして家中の明かりがついている。
普通の状況じゃないんで、奥さんに「一体どうしたんだ」と聞くと、奥さんは夢中で今の出来事を話した。
これには流石に浅井さんも驚いた。
でも時間が時間だし、浅井さんもどうすることも出来ない。
明かりをつけたまま二人は今で休んだ。

浅井さんは五時間ほどの睡眠を取り、起きてからシャワーを浴びて軽く食事を取った。
その日はというと、昼からサテライトでの生放送なんです。
だから奥さんには「明るいうちに帰るからね」と言ってうちを出た。

そうやってやってくると夕方の明かりに照らされてもう現場には何人か人が集まっているんですね。
その時に浅井さんは思った。

(そう言えばそうだったなぁ。
 丁度京子と出会ったのも夏の陽光が眩しいこんな昼下がりのサテライトスタジオの前だったなぁ)

そうして番組は始まった。
いつものように段々と番組は進行していく。
そうしてお別れの時間がやってきた。
もうサテライトスタジオの前には二十人ほどの人が集まっている。
別れの挨拶をしながらその集まっている人の顔を一人ひとり眺めていった。
サテライトスタジオのガラスには最前列で何人かがスタジオを覗きこんでいる。
と、一番端に深く帽子をかぶって口元だけ覗いている女がいる。

(えっ、あの女・・・)

昼下がりの陽光に照らされたその姿。
その姿は、似ている。
その瞬間なんですが、深く帽子をかぶったその下の口がはっきり

「待って」

と動くのが見えたんで、浅井さんは思った。

(京子だ!)

その瞬間、その姿は昼下がりの陽光の中、掻き消えてしまった。

(えっ・・・そうか。
 そういうことだったのか。
 京子は自分の親友から贈られてきた結婚式の案内状、そこに自分を捨てた恋人と同姓同名の名前を見つけたに違いない。
 あいつは知っていたんだ。
 そうか、あいつは恐らくこれからも自分と女房の生活に割り込んでくるに違いないな)

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