三面鏡

この話は今回はじめてするんですよ。
日にちもはっきりしているんですよ。今年の話だから。
覚えている人もいるかな?
確か3月の23日だったかな、中国地方で突発的な大地震があったんです。

その時の事なんだけど、建設会社に勤めている40歳代の人なんですけど、岡本さんという人が公共施設の工事の打ち合わせでたまたま出かけていたんだ。
それで打ち合わせが済んで全てが終わったんで、広島市内に帰ろうとしたんだ。
ところが突発的な大地震で電車は全てストップですよ。高速道路は寸断状態。
広島市内に帰れなくなっちゃったんだ。

これには岡本さんも弱った。
でも、こうなっちゃったらどうしようもない。交通手段がないんだから。

こうなったら温泉でも浸かって明日帰ろうかなと思って、タクシーを呼んで運転手さんに
「このあたりに温泉はありますか?」って聞くと、「この辺りには温泉はない」って言うんですよ。

「じゃあ旅館はありませんか?」と聞くと、「このあたりは観光地じゃないですからね…どうでしょう…探してみましょうか?」
と言う事で一軒の旅館に行ってくれたっていうんです。

それでその旅館へ行くと、小さな旅館なのに、どこかの団体が地震の為に旅館の全ての部屋をおさえてるっていうんです。
それで番頭さんに事情を説明して何とか泊まらせてくれるよう頼んだ。

「どこの部屋でもいいから泊めてくれないか?」
「そうですか・・・困りましたね。一部屋あるといえばあるんですけど・・・」
「なんでも泊まれれば結構なんで」
「それじゃあ…別棟になるんですけど・・・」

でもその部屋は番頭さんがいうには、改装中でお風呂が使えないっていうんです。
ですから、浴場は大浴場を使っていただけますか?と言うんで、
もともと部屋の風呂は使う気はないですし、大浴場でのびのびしたいんで構わないですよと答えた。

そういうと番頭さんはほっとした顔をして、「それじゃあお上がり下さい」と言った。

それで番頭さんが先を歩いて、自分は着いていく。
番頭さんが襖を開けると中は和風の作りのそこそこいい部屋だったそうです。
突然のことだったんでまだ床を用意していませんでした。

「すぐにお休みになりますか?」
「いやいや、まだお風呂に入ってから寝るので大丈夫ですよ」
「そうですか、それではお風呂に入られている間に、床の準備をしておきますから」
「それで、この部屋冷蔵庫は無いの?」
「申し訳ないんですけど、備え付けていないんです」
「それなら風呂から上がったらビール二本くらい持ってきてもらえる?
 大体三十分くらいで上がると思うんで」
「はい、かしこまりました。ごゆっくりどうぞ」

そう言うと番頭さんは行ってしまったんで岡本さんは改めて部屋の中を見渡した。
確かに部屋の作りはいいんだけども、しばらく使っていなかったから、空気が淀んでいる。
何だか生臭いような、埃っぽいような匂いがする。
心なしか線香のような匂いもしたもんだから、嫌な匂いがするなぁと思った。
そうは思ったんだけども、自分は大浴場に行った。

大浴場に入り、部屋に戻ってゴロンとくつろいでいると、この部屋はやけに薄暗いなと思った。
元々入ってきた方の棟は明るいのに、自分のいる別棟はどうも薄暗い。
やけに暗くて陰気な感じがすると言うんです。
まぁでも一晩寝ればいいだけですからね。
そんなことを考えていたら、襖の向こうから「大変お待たせしました」という声がして仲居さんがビール二本とつまみを持って入ってきた。

仲居さんがテーブルの上にビールとつまみを置いたんで、
「あぁいいですよそのままで、後は自分でやりますから」
と声をかけながら聞いてみた。

「ねぇお姉さん、この部屋少し暗くない?
 それに何だか少し臭うよね。
 この部屋、全然使ってない部屋なの?」
「えぇ、申し訳ございません」
と言って中居さんは目を逸らしたので、もうそれ以上聞かないで
「ありがとう、じゃあもうこれで大丈夫なんで」
と応えると、仲居さんは行ってしまった。

それでビールを飲んでやることもないんで横になろうかなと思ったんですが、
何だか喉がべたつくから、うがいでもしようと思い部屋を出て洗面所に行き、明かりをつけた。
そしてうがいをすると、向こうに浴室のガラス戸が見えた。

(改装中ということだったのに、戸が閉まっているだけで、何だか随分簡単なもんだな・・・)

彼は建設の仕事をしているわけですから、そういうのが気になるんですよね。
それで見るともなしに戸を開けて中を見てみた。
中を見ると床も壁もコンクリートがむき出しなんだ。
タイルを剥がした状態なんです。

(改装中って言ったけど、これ、改装中じゃないじゃないか・・・。
 もう随分前に壊したまんまじゃないか。どうなっているんだよ・・・)

眺めていると、ぎょっとした。
大きな御札が貼ってあるんです。
それもだいぶ前に貼られたもので、色が薄くなっているんで、何が書いてあるかも分からない。
でも確かにお札なんだ。
上のほうが少し剥がれかけていて、ひらひらと揺れている。

(なんだろう、この部屋、訳ありなんだろうか)

そういうことを考えていると、余計気になりますから、色々見ちゃうんですよね。
見ると、その壊れかけた浴槽の中に、丼鉢のようなものが置いてある。
なんだろうと思い見てみると、それは壺になっており、中には灰のようなものが入っていた。
そして中には線香の燃えカスが残っている。
これは確実にここで線香を炊いているんですよね。

(このすえたような匂いはここからだったのか・・・)

何かあったのかなと思ったんですが、いまさら部屋を変えてもらうことは出来ないですからね。
なんせ他に部屋は無いんですから。
考えたって駄目なんだからと思い、戸を閉めた。

それで考えないようにして、布団の中に入った。
ビールを飲んでいたのもあり、怖いとは思っていたんですけども、うとうととし始めた。
どのくらい時間が経ったのか分かりませんが、またフッと目が覚めた。
と、何だか部屋の隅から何かが開く音がする。

キィィィィィィィ・・・

何処から音がしているのか探っていると、どうやら部屋の隅においてある三面鏡から音がしているようだった。
三面鏡って左右の鏡の部分が開くようになっていますよね。
その三面鏡の、左の鏡がゆっくりと開いているようなんだ。
まるで誰かが開けるような形で。

起きるわけにもいかないんで、黙って視線をその三面鏡に向けていた。
そうすると、真ん中の鏡に開いてきた左の鏡の様子が映り込んでいる。
そのうちに、布団から鏡を見ている自分の顔が映り込んだ。
なんだか気持ちが悪いんだけども、他に何も映っていないし、何かの加減で鏡が開いたんだろうなと思うことにした。

(きっと部屋が傾いていて、蝶番が甘いから開いてしまうんだろうな)

それで起きて鏡を元の位置に戻すと、その瞬間にドキッとした。
鏡の中で誰かが動いたような気がしたんだ。
その時彼は何を思ったかと言うと、閉まっている方の右の扉を開けると、何かが映っているんじゃないかと考えた。
だからそのまま閉めたままにして、布団に戻ってさぁ寝ようと思ったんですが、なかなか寝れない。

そんなことを考えていると、急に小便がしたくなった。
ビールを二本飲んでいますからね。
それでトイレのスイッチを付けて中に入ると、立ったまま用を足せばいいんだけども、
何だか体がフラフラしているんで便座に座って足すことにした。

(あぁ、静かだな・・・)
ボーっとしたまま用を足していると、

ガラガラガラガラ・・・

と、トイレの外でガラス戸が開くような音がした。
間違いなく風呂場のガラス戸が開く音がした。

ヒタ・・・ヒタ・・・ヒタ・・・

何かが歩く音がする。
怖いですからね、一生懸命心のなかでお経を唱える。

(南無阿弥陀仏・・・南無阿弥陀仏・・・)

どんどん足音が近づいてきて、自分が居るトイレの前を通過していく。
自分は便座の上に座りながら、どうにか自分に気づかずに行ってくれと願いながら必死にお経を唱えた。

ピタ・・・ピタ・・・ピタ・・・

足音は遠ざかっていく。
もうこんな部屋ではどうにも寝れないんで、部屋から飛び出そうと思い、音がしないようにゆっくりと扉を開けた。
足音を忍ばせ、ゆっくりとトイレを出た。

もう体は緊張している。
と、案の定閉めたはずの襖は開いていた。
さっきの音からして、確実に何かが自分の部屋に入っている。
早くこの部屋から出ようと思い襖の前を通り過ぎようとすると、

キィィィィィ・・・

と音がする。
見るとは無しに部屋の中を見ると、あの三面鏡がまた開いていくのが見えた。
開いていくものだから、どうしても目で追ってしまう。
怖いんだけども、体が固まってどうしても見てしまう。
そして三面鏡が開いて、だんだん部屋の中が映っていく。
鏡の中に壁が映って、襖が映って・・・やがて何かが映った。

それは、襖の前に立っている女の姿。

なおも鏡が開いていき、女の姿がしっかり見えるようになると、女がぐっしょりと濡れているのが見えた。
よくよく見ると、それは濡れているんじゃない。
頭の上から血が出ていて、その血が体を濡らしているんだ。

驚いたのは、その女が立っている場所は、自分が立っている場所から、襖を挟んだ丁度反対側なんだ。
もうどうしようもなくてその場で固まっていると、鏡が開ききった瞬間に、鏡の中に自分が映っちゃった。
その三面鏡の中に自分が映っているのに女が気づいたのか、三面鏡を通して女が自分のことをジーっと見ている。

もうどうしようもなくガタガタと震えていると、突然襖の向こうから女の手がガッと伸びて自分を掴んだ。

それで襖の向こう側から
「あんたが殺したの・・・?」
と言った。

それでびっくりして転がるようにして部屋を飛び出た。
そして岡本さんはそこで失神しちゃった。

番頭さんが朝に来て起こしてくれたから、もう夢中で怒ってしまった。

「あれは何なんだ!」
「誠に申し訳ありませんでした。
 ここしか部屋はありませんでしたから。
 実はだいぶ昔のことになるんですが、この部屋はよく密会に使われた部屋だったんです。
 ある時に不倫の関係の男女がこの部屋を使っている時、女の旦那がやってきて、女の頭をナタでかち割った。
 女も逃げまわったらしいんですけど、風呂場で死んでしまったんですよ。
 だから壁にも血がびっしりとついていたんで、剥がしたんです。
 たまたま連れの男は大浴場にいて助かったんですけどね。
 それから何をしても駄目なんです。
 線香をあげようが、お祓いをしようが全く効果が無いんです・・・」

そう番頭さんは説目しましたよ・・・。

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