真実の鏡

九州の人で、仮に江口さんとしておきましょうか。
その江口さんの話になるんですが、もうかれこれ15・6年前になりますか。

九州の北部に何らかの理由で閉鎖されているモーテルがあったそうなんです。
それは市街地から離れた小高い丘の中腹にあって、オレンジ色の瓦屋根で、きれいな城壁の2階建てのスペイン風の建築で
周囲は緑に囲まれていて、周りに家は全くない。
庭には大理石の噴水があって、天使の石像があったりする。
屋内にもたくさんの彫像があってヨーロッパの家具なんかが置いてあったりして、
写真で見たらここは本当は海外なんじゃないかと思うような場所だったんですね。
営業していた当時はかなりロマンチックじゃないんですかね。
雰囲気があったと思いますよ。

それでこの建物を管理している会社で営業していたのが江口さんだったんですが、
でもこのモーテルというのは、前々から幽霊が出るという噂があったんです。
これが買い手がつかない原因の一つかもしれないんですが、
でもそれは恐らく締め切られた窓の向こうに人の形をした彫像なんかがあるもんですから
その彫像が人に見えたんじゃないかと思うんですがね。
それに庭の木々も伸び放題ですから、そこに噴水やら彫像やらが埋もれて見えるから、
どうしても不気味に見える、そんなことだと思うんですがね。
こういうものが人の“怖い”と思う感情を余計に逞しくさせるんだと思うんですよ。

こんな風にして売れ残っていた建物なんですが、ある時に改装して、美容外科クリニックにしようという話が持ち上がったんです。
ここは市街地から離れているし、周りは家も無いわけだ。
そんな場所ですから、整形外科で手術をしてすぐには姿を見られたくない、そういう人たちが周りを気にせずにここに泊まれると。
そういった整形外科のクリニックにしてこのお洒落な空気の中で顔も心もキレイに生まれ変わって、この空気の中で癒される
そういうコンセプトの建物にしよう、女性専門のクリニックにしよう、そういった話だったんですね。

ここに目をつけたのが美容外科の女性医師だったんですね。
そんな風に話が進んでいたある時、この女性医師が突然何の前触れもなく会社に訪れて
「下見をしたいから」と言って鍵を預かって現地に行ってしまった。

しばらくして出先から戻った江口さんがその話を聞いたもんですから、
その後を追ってその建物に出かけていった。
その建物に行ってみると駐車場には赤い外車が止まっている。
それで正面の玄関が開いているわけだ。
どうやらもう中を見ているようなんで江口さんも車から降りて建物に向かって歩いていった。

と、建物の中から「うわああぁあぁああ」という凄まじい悲鳴が起こったので江口さんは驚いた。
その瞬間、建物の中から派手な身なりをした女が飛び出してきた。
江口さんは一瞬たじろいだ。
江口さんはその女性を慌てて抱きとめ、「どうしたんですか、何かあったんですか?」と聞いたが、相手は全く答えようとしない。

途中で女性は思い出したかのように悲鳴を上げるんですが、目を見開いたまま。
どう見たって常軌を逸しているわけだ。
不意に奇声を発してみたり、もうこれは明らかに精神に異常をきたしているわけですよね。
でも江口さんはどうしようもすることが出来ないから、しばらくその女性に付き合っていたわけだ。
やがて女性がだんだんと落ち着いてきたので、会社に連絡し女性社員に来てもらい、この女性医師を連れて帰ってもらったわけです。

この出来事があってからこの美容外科クリニックを開院するという話が、何となく立ち消えになっちゃったんだ。
この建物は相変わらず買い手がつかない。
それでもうどうしようもないですから、会社の方針でこの建物を更地にして売りだそうという話になったんです。

そうなってくると庭の大理石の噴水だとか、白い天使の石像だとか、屋内にあるたくさんの彫像やヨーロッパ風の家具、
これらを全て運び出さないといけないんで業者に依頼をして、江口さんがそれに立ち会うことになったんです。

当日。
江口さんが現場に行くと業者の人が三人やってきて庭にある大理石の噴水から運び出すことになった。
続いて天使の石像を運び出そうということになったんです。

その間に江口さんは建物の中の点検をしようということで、中に入った。
ただ江口さんは先日の女性医師のことが何だか気になっていた。
一抹の不安がある。
でもそれでも点検しないわけにはいかないですから、鍵を開けて中に入ってみた。

建物の中に入ってみると、なんだか空気が重い。
建物の中はひんやりしている。

(やっぱりこの建物、何かあるのかな・・・何だか気味が悪いな・・・)

どうも何かが居るような気配がする。
まずは一階から見て回ろうと思い、建物の一番奥まで行くと、そこから順に見ていった。
部屋の中や通路を順繰り見ていく。
と、妙な感じがする。
するんですが、見ていくと何も無い。

一階を全て見終わり、それじゃあ二階を見ていこうかと思い、正面の階段を上がっていった。
階段を上がっていくと途中が踊り場になっている。
その踊り場の壁に金色の額が下がっている。
その額に呼ばれるような形で見に行ってみると、それは小さな額なんですが実に見事な細工がしてある、年代物の額縁なんです。
でも不思議なことに、額の中には絵が入っていないんだ。
中には鏡が入っていてなんだかその額縁には似つかわしくない。

(何でだろう・・・普通は絵が入っているはずなのに、何で鏡が入っているんだろう・・・)

おかしいなと思いながら見ていくうちに、江口さんはそうかと思った。
恐らく階段を降りてくる途中で、そして登っていく人が途中でこの踊り場にある鏡に自分を映して
女性なら化粧を、男性ならネクタイを直したりするんだろうと思った。

そう思いながら鏡に自分を映してみると、丁度自分の頭の先から胸元あたりが映る。
恐らく自分が思ったとおりだなと思いながら鏡をまじまじと見ると、何だか妙な違和感を感じた。

鏡に映っているのはいつも見慣れている自分の顔なんですよ?
別に変わったところなんてない。
当たり前に見慣れた自分の顔なんだけども、何かが違っている気がする。
何かおかしいなと思いつつも仕事の途中ですからその鏡の前を後にして、階段を登っていった。

そして二階に着き、また隅のほうから各部屋を見て回った。
二階の部屋も全て見終わった。
確かに何か嫌な違和感はあるものの、別に特段変わったところはない。
何も起こらなかった。

きっと女性医師がおかしくなったのも、この建物の雰囲気や周りの鬱蒼とした木々が見せる雰囲気がそうさせるんだろうなと思った。
怖い怖いと思うから、幽霊が出るぞ出るぞと言われているから、何でもないものがそういった風に見えてしまうんだろうなと思った。
じゃあ一階へ降りようかと思い、また階段のところにやってきた。
階段を降りている途中に、(さっきの鏡なんだかおかしかったよな・・・)と思い出した。

踊り場に着いたので、先ほどと同じようにまた鏡を見た。
また呼ばれるようにまた鏡の前に立つ。

(さっき自分が感じた奇妙な感覚は何だったんだろう)

そんなことを考えていると、あの女性医師のことが頭をよぎった。
あの女性医師は悲鳴を上げて、まもなく外へ飛び出してきた。
あの時に出てきた女性医師の頬には、唇から頬にかけて赤い筋がすっと通っていた。
赤い筋でびっくりしたがそれは口紅だったんで安心したのを覚えている。

(あの時女性医師は、恐らく化粧を直していたんじゃないだろうか・・・)

悲鳴を出してから飛び出してくるまでの時間を考えると、あの女性医師はきっとここで化粧を直していたんじゃないだろうか・・・。
それでこの鏡の前で何かが起こり、それに驚いて口紅が頬にまで飛び出てしまったんじゃないだろうかと思った。
となると、あの女性医師は化粧を直している途中にこの鏡の前で何かが起こり、悲鳴をあげたわけだ。
恐らくその時に何かの恐怖と遭遇したわけだ。
本人は鏡をじっと見ながら化粧をしているんだから、この鏡の中で何かが起こったわけだ。

(何が見えたんだろう・・・。何が起こったんだろう・・・)

そう思った途端、体がその場で凍りついてしまった。
それでその鏡にふっと自分を映してみた。
自分の顔はいつもどおりなはずなのに、やっぱり何かが違う気がする。
何かが違う。何かがおかしい。
間違いなく自分の顔なのに何かが違う、そんな気がする。
毎朝顔を洗い、洗面台の前で見る自分の顔とは何かが違う気がする。

その時に江口さんは、女性医師と同じことをしてみようかと、ふっと思った。
恐らくあの女性医師は、この鏡の前で口紅をひいていたんじゃないだろうか。
それを考えながら、右手の人差指を口紅に例えて、その口紅を右唇に当て、左方向にひいてみた。

途端に江口さんは声を上げた。

(違う、これは違う!)

鏡ですから、鏡の中の自分は全く逆に口紅をひくわけだ。
でもこの鏡の中の自分は、普通の鏡とは逆に、ありえない方向に口紅をひいた。
それは自分では決して見ることは出来ない、自分の真実の顔なんですよね。

ありえないんだ。

「こいつは鏡なんかじゃねぇぞ!」と叫んだ。

瞬間、鏡に映っている自分の顔がぐにゃっと歪んで恐怖の表情に変わった。

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