夕飯の誘い


これは、私の友人で、元Jリーガーの山田隆裕さんから聞かせてもらった話しなんです。

山田さんの知人が、今から十数年前の学生の頃に体験した話しなんですがね、
この方を仮にAさんとしておきましょうか。

Aさんは大学に進学して、学生が比較的多く住んでいるというマンションに入居したんですね。
ひと月、ふた月経つと、だいぶ一人暮らしも慣れてきた。街にも慣れてきた。


そんなある日の事なんですが、Aさんの家を若い男が訪ねてきて、
「2階下の、佐野というものなんですが、よければ夕飯でも食べにきませんか?」って言った。
Aさんは、この佐野という人とは、全く面識もない見ず知らずの人なんですよ。

突然訪ねてきて、面識もない自分におかしな事を言うなあと思っていたんですが…
この佐野という人は学生なんですね。

だから、
(ああ、一人で食べる夕飯は味気ないし、同じマンションだし、お近づきの印に…という事なんだろうな)
という事なんだろうなと思って、その誘いを、快く受けたわけなんです。

Aさんの家は4階なんですよね。という事は、この佐野という人の家は2階なわけだ。
Aさんが佐野という人の部屋へ行くと、「どうぞどうぞ」と中に通された。

部屋の中へ入ると、テーブルの上には、もう夕飯の支度が出来てる。
促されて席に座ると、佐野という人はニコニコ笑いながら、ご飯をよそってくれた。
それで、Aさんは待ってたんだけど、この佐野という人は、いっこうに自分のご飯をよそおうとしない。

佐野「さ、どうぞ。どうぞ遠慮なく食べて下さい」

(おかしいな…食事に誘っておいて、一緒に食べないのかな?なんでだろう…食べづらいな)
とAさんは思ってるんですが、なおも佐野という人は、ご飯をすすめてくる。

佐野「遠慮無く食べて下さい。」
Aさん、断るわけにもいかないですからね、「じゃあ、いただきます」と食べ始めた。

それを、その佐野という男はジーっと見ている。
そしてAさんが食べ始めたのを見届けると、部屋の隅に行って電話をかけはじめた。

(なんだ?なんなんだ?自分を誘いに来ておいて、一人で食べさせて電話をかけてる…変わった人だな…)
Aさんはそう思っていたわけだ。

佐野という人の様子を見ていると、チラッチラッとこっちを見ながら、電話をかけている。

佐野「ええ…はい…今来てるんです。え?はい…連れてきます?連れていきましょうか?」
会話の合間に、佐野という人は自分の事をチラチラ見ている。

会話を聞くつもりはないんですけど、聞こえてきちゃうんですよね。

(なんでこっちをチラチラ見ているんだろう?今来てるって自分の事かな?連れていくってどこへ連れていくんだろう?)
と思っていると、佐野という男が電話を切って、ニコニコしながらこっちへ来てね、
テーブルにつくと、宗教の話しをはじめたんですね。

それでAさんは思った。
(なるほどな。どうりでおかしいと思った。面識もない自分のところへきて、食事を誘うなんて、こういうことか。)

でもAさんは宗教には興味はないですからね、その場はなんとか言い逃れをして、帰ってきちゃった。
(行くもんじゃないなあ…)と思ってた。

ところがそれ以来、この佐野という男は、ちょくちょくやってくる。
「宗教は素晴らしいですよ。宗教に入りませんか?」と、勧誘にくるわけだ。

Aさんはまいってしまった。宗教に興味がないんだから。
それで(これは大家さんに言ってもらおう)と思って、大家さんのところへ行った。

大家さんのとこへ行って、「あの…2階の佐野という人なんですが…」と話し始めると、
大家さんの顔色が変わった。

それを見て、(ああ、やっぱり問題のある人なんだ。きっとあちこちで勧誘をして、苦情でもきているんだろうな)と思ったんです。
自分としては、これから苦情を言うわけですから都合がいいわけですよね。

「あの人困るんですよね…しょっちゅう私のとこへ、宗教の勧誘にくるんですよ」
と続けて言うと、大家さんは、ますます青い顔をして…

大家「ちょくちょく来るんですか?」
Aさん「ええ…」

大家「あの2階の部屋なんですけどね…あそこは、もう8ヶ月前から空き室なんですよ…」
Aさん「え?だって、あの部屋には佐野さんがいるじゃないですか?」

大家「ええ、佐野さん、初めは大人しい普通の学生さんだったんですが、宗教に入ってからすっかりのめりこんで…
	 あちこちに勧誘に行くうちに様子がおかしくなって…なんだか変な事を言っているな?と思っているうちに、
	 8ヶ月前に、あの部屋で自殺をしたんですよ…」
Aさん「え?…」

大家「それでね、今のあなたがいる部屋。あそこは前に佐野さんと同じ大学に通う学生さんが住んでいましてね、
     その方も佐野さんと同じ宗教に入ってたんですが…佐野さんが亡くなってすぐに、部屋を引き払ったんですよ。」


という事は、自分のところへちょくちょく来る、あの佐野という男は生きている人間じゃないんだ。この世のものじゃないんだ。
それを思った瞬間に、ゾッとした。

あの部屋に住んでいたら、また佐野という男は勧誘に来るんだろうか?
そう思ったら、いいようもなく怖くなった。

そう思っていると、大家さんがつぶやくように、
「困るんだな…そういう噂が広まると…また借りてがなくなっちゃう…」
って言ったそうなんですよね。

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