くつした - 吉田悠軌

これはケイコさんが女子大生だったころのお話ということで二十年ちょっと前くらいの話なんですけども、ケイコさんはその当時新宿の二丁目か三丁目あたりにあるお蕎麦さんでアルバイトをしていたそうです。
そこはお蕎麦屋さんと言っても個人経営の小さなお店で昼間には周りで勤めているサラリーマンにランチを提供するような形態で、ランチタイムが終わる二時頃から休憩を挟んで五時、六時頃から居酒屋のようなお酒を出すような形態になるんです。
そういうお店だったんです。

その日も忙しいお昼時のランチタイムが終わって二時過ぎになって、お店の人は休憩だといってパチンコを打ちに行ったり彼女に会いに行ったり休憩時間を各々に休んでいる。
ただケイコさんは夜の居酒屋タイムになるまで留守番をしておいてねということで独りでお店に残ってボーッとしていたんです。
椅子に座って午後のうららやかな中でボーッとしていたんですけども、そのうちうつらうつらとし始めてそのまま寝たのか寝てないのか。
カラカラカラカラと店の引き戸が開く音がしたので目が覚めて入口の方を見るとその店の戸のところにスラッとしてワンピースを着た女の人が立っていたんです。

「ごめんなさい」と思わず立ち上がって、
「すみません、もうお昼のランチタイム終了しちゃったんですよ」
というように声をかけたんですけども、その女の人はケイコさんの方に耳を貸さずになんだかぼーっと斜め上を見ている。

「ごめんなさい、夜の方の予約でしたら今承っておきますけども」

そうまた声をかけたんですけどもやっぱりその女の人は斜め上を見てボーッとしている。
そして何か口をモニョモニョ動かしている。
口の中で何かをつぶやいているんですね。

(あぁ困ったなぁ)と思ってケイコさんは目線を下に落とした時にゾッとしたんです。
その女の人はワンピースから細長い足が覗いているんですが、その足元は赤青白のトリコロールの靴下を履いていて、しかし靴を履いていない。
靴下のまま地面に立っているんです。

(うわ、この人ちょっとおかしい人だ)

ケイコさんが思わず視線を上に上げるとその女の人も急にケイコさんに視線を合わせてきて、両手の人差し指をピンと立ててそのままその手を自分の頭の上の方に持っていく。
ちょうど鬼のジェスチャーをするように。

そして「上、上、上」と呟いているんです。
ケイコさんは何も言えずに固まっているんですけどもその女の人は「上、上、上」と呟いている。

(うわ、どうしよう、怖い怖い怖い)

ケイコさんはうつむいてしまって何も対応できないんです。

(どうしようどうしよう、早く店長帰ってきて)

ケイコさんはまだバイトですし若かったですからそういう人にどう対応していいか分からない。
汗をかきながら泣きそうになっている。
でもその女の人は「上、上、上」とこちらに向かって呟き続けている。

(どうしようどうしようどうしようどうしよう)

ただずっとそのようにしているわけにもいかないですから、何とかして帰ってもらおうと思ってケイコさんは必死に勇気を振り絞って「あの、すみません」って言った瞬間に

ドン

というものすごく重たい響くような音がしたんです。
ケイコさんは思わず目をつぶってしまった。
すぐにまたパッと目を開けたんですが一瞬前まで居たその女の人が消えている。

思わず店内を見渡しても影も形もない。

(え、何? 何が起きたの?)
と思っていると店の外からザワザワという人の声が聴こえてきたんです。

先程こんな怖いことがあったばかりですからケイコさんは慌てて外に行ってみるとその店の斜め向かいにあるマンション、そのマンションの前に十人二十人の人だかりが出来ている。
そしてみんな一斉に

「おい落ちたぞ」
「やばいぞ」
「救急車救急車!」
そのような叫び声を上げているんです。

よくその叫び声を聴いてみると、どうやらそのマンションの屋上から先程女の人が飛び降り自殺をしてしまった。
そしてその女の人はマンションの駐輪場のコンクリートの屋根に激突してまだ屋根の上に乗っかっている状態だった。
そういったことが分かったんです。

ケイコさんはみんなが指を指している方向を見てみると確かに駐輪場の屋根の上に何かが乗っかっている。
斜め下から眺めている形になっているので人なのかは分からないけども何かしらが乗っているのは分かる。
ただ屋根のこちらがわに片足だけがブランと投げ出されていてその足は赤青白のトリコロールの靴下を履いていたそうなんです。

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