掃除の音 - 吉田悠軌
何年か前にロックバンドをやっているケイコさんという女性から聴いた話です。 そのケイコさんはロックバンドの活動をするのにちょうど良い、またアルバイトをするにも都合がいい新宿に引っ越そうとしたんです。 ただバンドマンというのはなかなかお金がなくて新宿の家賃の高い物件にはなかなか住めなかった。 不動産屋さんを回っているうちに「あぁそれならちょうど安い物件がありますよ」と言って見せてもらったのが新宿のさる大通りのマンションの一室だったんです。 まぁちゃんとしたマンションで、新宿駅からも利便が良い。 「こんな家賃で借りれるんですか? 何か事情があるのではないですか? もしかしれこれは事故物件とかそういうものではないんですか?」 と心配して聞いてみると、不動産屋さんは 「あぁいえいえ、そういうことではないんです。 ちゃんとした理由があるんですよ。 というのも、この部屋があるマンションの三階のフロアなんですけども、そのフロアだけ誰も住んでいないんです」 「え、誰も住んでいないってどういうことですか?」 「あぁいえいえ、そういう変なことではなくて。 事務所なり会社の倉庫なりテナントは入っているんですけども居住用の部屋としては使われていないんです。 なので昼間は働いている人の出入りがあるんですけども、夜遅くなると誰も居なくなってしまう。 女性が深夜独り帰ってきて誰も居ないというのはガランとしていて少し寂しいかなということでオーナーさんも大家さんもその部屋の家賃は少し抑えめにしているんですよ」 という説明だったんです。 あぁそういうことかとケイコさんは納得をして、でもそれならば自分のように音楽をやっている人からは隣の人を気にせずに多少音楽を大きくかけられる。 そういった利点があるかなと思って 「じゃあその部屋を見せてもらえますか」 と言って部屋を見に行ってみた。 部屋は普通にきれいな部屋で問題も無さそうだったのでその部屋に決めることにした。 ただやっぱり不動産屋さんが言うようにバイトが夜遅くなったりして深夜に帰ったりするとガランとしたフロアで人の気配が感じられず、多少寂しいような気がした。 ただそのマンションには住み込みの管理人さんが常駐していたので治安の面では安全だし、二十四時間管理人室におじさんがいるのでその点では安心なのかなと思って過ごしていたんです。 一ヶ月ほど経った頃でしょうか。 ケイコさんはその部屋に住んでいるうちにおかしな夢を見るようになったんです。 というのもその部屋のベッドで寝ている自分を天井の上から別の自分が見下ろしている。 そんな夢なんだそうです。 夢って見ているときに自分は今夢を見ているんだって自覚している場合があるじゃないですか。 それもそういったパターンの夢で、(あぁ今は夢を見ていてベッドに寝ている自分を見下ろしている夢なんだなぁ)と思いながら天井の自分は見ているんですが、一つだけ嫌なところがあって。 その部屋にもう一人、見知らぬガリガリに痩せた女性が立っていてベッドに寝ている自分をじっと見ているんです。 それは夢を見る日によって違って、玄関の方であったり、台所の方であったり、トイレの前だったり。 立つ位置はまちまちなんですが少し離れたところから寝ている自分をじっと見ている。 (やだやだやだやだ)と天井にいる自分は思って、(こんな夢嫌だ、なんでこの女いるんだろう、嫌だ嫌だ嫌だ)とそう思って力を込めると夢から覚める。 当然自分はベッドの中にいる。 あぁ嫌な夢だったなぁと思って時計を見ると深夜の二時半くらい。 で決まって玄関の向こう、廊下の方をシャッシャッシャッシャと竹箒で掃くようなそんな音が聴こえてくる。 (あぁこれは深夜の誰もいない時間帯に管理人さんがフロアを掃除しているのかな) 普段ならばそんな音で目が覚めるわけですから怒りたくなるところですが、まぁ怖い夢を見た直後ですから逆に人の気配を感じて安心する、という感じだったんです。 それが一ヶ月過ぎた頃から毎晩のように同じような夢を見るようになってしまった。 やっぱりベッドに寝ている自分を天井から見下ろして、(あぁこんな夢を見ているんだな)と思っていると、ガリガリに痩せ細った見知らぬ女がちょっと離れたところからベッドで寝ている自分を見ている。 嫌だなぁと思って目が覚めると決まって深夜の二時半くらい。 そして玄関の方からシャッシャッシャッシャと箒の音がする。 それがずっと続いていく。 (なんだろう、なんでこんな夢見るんだろう。 深夜に誰もいないフロアに帰ってくるからこんな気持にさせられるのかな) そんな風に思っていたある日。 ケイコさんがアルバイトに行こうとマンションを出たところで一階の管理人のお爺さんにばったり出くわして会話になります。 「あぁどうもこんにちは」 「こんにちは」 いい機会だからきちんと言っておこうと思って 「いつも深夜の二時半くらいに私のフロアを掃除してくださってますよね。 ありがとうございます」 「え、知らねぇよそれ」 「え?いつも深夜二時半くらいに箒ではかれてますよね?」 「いやいや、俺は年寄りだからさ、九時から十時くらいの早い時間に寝ちゃうんだよ。 そんな夜遅くまで起きてねぇよ」 (え、じゃああの音はなんなんだろう)と思いながらもケイコさんはアルバイトに行ってその日も夜遅くに帰ってきた。 ガランとしたフロアに入って自分の部屋に帰っていく。 もうさっさと寝てしまおうとベッドに入るとまた例の夢を見た。 ベッドに寝ている自分を天井の方から見下ろしている。 いつもの夢なんですがそのときに限ってあのガリガリに痩せ細った女が自分の枕元のすぐ側に立っている。 そして自分を見下ろすようにじっと見つめている。 (やだやだ、これ何)と天井にいる自分が思っているとその女はすっと手を伸ばしてきてベッドに寝ている自分の左腕をぐいっと掴んだ。 ぐいっぐいっぐいっと引っ張ってベッドに寝ている自分を引きずり降ろそうとしている。 (やだやだやだやだ)と天井の自分は思っているけどもぐいっぐいっぐいっと引っ張るのをやめない。 (やだやだ、早く目が覚めてお願い!)と思って力を入れると目が覚めた。 (あぁ何なのよあの夢)と思っているとぐいっと突然自分の体が引っ張られて夢の中の女が自分の左腕を掴んでいる。 ぐいっぐいっぐいっと引き釣りおろそうとしている。 そしてその女の爪が長く伸びていて自分の左腕に食い込んでくる。 ケイコさんは思わず腕を払って後ろを見ずにベッドから飛び降りた。 そして玄関まで走ってきた。 玄関から飛び出て廊下を走って階段まで来たところでパッと後ろを振り向くと、自分が開け放したドア、そこから夢の中の女が四つん這いになるようにしてこちらを覗いてその両手の長い爪を床に立てて シャッシャッシャッシャッ あの聞き覚えのある音を立てていたそうです。






