恨み返し - 城谷歩

社会生活における最も厄介なことの一つと言えば、人間関係ということになるでしょうか。
どうしても合う人合わない人、うまく付き合っていかなくてはいけないとわかっていても、
これがストレスの種になってというのは、存外昔も今も変わらないようであります。

伊藤さんという30代半ばの女性の体験です。
体験されたのは、この伊藤さんがまだ大学生時分のことでありまして、
当時は大学に通いながらアルバイトをしていたそうです。

もちろんご実家からの仕送りもあったわけですが、学生さんですから、
色々なお付き合いがあったりだとか、遊びに行きたいであるとか…
仕送りだけですとどうしても切り詰まっていくわけです。
そこで社会勉強のつもりもあって、アルバイトをはじめたわけです。

ところがアルバイトに出てみますと色々な方がいるわけで…
もちろんお客様の中にも面倒な方はいらっしゃいますが、
それが身内ということになると逃げ場がない。
今までに感じたことのないような色々が腹の中に溜まってくるわけです。

「ねえ、ちょっと聞いて」
「どした?」
同じ大学の同級でシノちゃんというお友達に、やりきれなくなると愚痴をこぼしていたといいます。

「もう信じらんないんだけど」
「どうしたの?またバイト先?」
「そう!ごめんね…でもさーこれ誰かに話さないとやってらんなくて…」
「うんうん。わかるわかる。吐き出しちゃいな!」
シノちゃんというのは実に心地よく話しを聞いてくれる。
相づちを打ちタイミングといい、実に話しを真剣に聞いてくれる。
そしてただ聞く一方じゃない。時々はご自身の意見なんかを話してくれるわけです。
それで伊藤さんもすっかりと気を許していたといいます。

考えてみれば、どれだけこちらの都合で向き合ってみても、
シノちゃんがNOと言ったことがないといいますから、
これは相当におおらかな方だったのか、
またあちらさんのほうでも、伊藤さんのことを相当お気に召していたのか…
俗に言う、気のおけない無二の親友といった間柄だったそうです。

「これ、シノにだけ言うんだけど…」
「うん」
「絶対内緒にしてね」
「うん。絶対誰にも言わない。どうしたの?」
「実はさ…」
次第に自分の中の秘密ごとまで打ち明けるという…
大変に真面目そうに見えますし、やたらめたら聞いたことを他言するタチでもないだろうと、高を括っていた。

ところがある日授業が終わって、アルバイト先に向かおうと共有スペースを通りがかった時に、
同じクラスの別の女の子たちが数人テーブルに集まって、お話しをしている。

ぽっとその会話のフレーズを聞いた時に、思わず見つからないように身を隠して耳をそばだてたといいます。
伊藤さんの話をしていた。
そういえば近頃クラスメイトの態度に違和感を覚えていたこともあって、
無意識にアンテナをはっていたということもあるのかもしれません。

ちなみにどんな具合に違和感を覚えていたかといいますと、
ちょっとこう距離をとられている感じがしたといいます。
別にあからさまに無視をされるわけでもない。
むしろそういうことになっていたほうが、はっきりしていていいんですが、そういうことではない。
顔をあわせれば挨拶もするし、当たり障りのない話しはするんですが、微妙に距離を感じているという…
そういうタイミングで自分の話しです…

あちらさんは自分がここにいる事に気づいていないわけですから、
伊藤さんがそのまま様子をうかがっていると…

(なんでその話し知ってるの…)
伊藤さんが自分の中だけに留めていた話しを、
彼女達は「ねえ伊藤さんだけど…」と話している。

絶対誰にも言っていないはず…(あ!シノには言った…)
シノちゃんだけには話していた。

「絶対内緒ね」
「うん大丈夫。絶対言わないよそんなこと」
言ったんだあの子…そう思うと我を見失って、今そこでお話しをしているお友達のところへ駆けていった。
「ねえごめん。その話し誰から聞いた?」
「伊藤さん居たの?」
「居たとかじゃなくて、その話し誰から聞いたの?」
「今のはなしって?」
「いや隠さなくていいから!わたし全部聞いてたし」
「…シノ」
「え?本当…?」
「うん。あの子結構言ってるよ。伊藤さんのこと。」

現場を押さえられているわけですから、素直に言っちゃった。
「いやどうしようかと思ったけど、シノ気をつけたほうがいいよ」
「え?どういうこと?」
責から一点、急に立場が弱くなっちゃった。なにせお友達は開き直ってますから。

「シノってスピーカーだよ」
「え?スピーカーって…?」
「あの子ほら話しやすいでしょ?でもあの子聞いた話し他所で言うよ。全部聞いてるよ。」
「そうなの…?」
「うん」

絶対内緒ねという話しの中には、いうとなんですがクラスメイトの悪口なんぞも混ざっておりました。
シノちゃんだけにと話したことが、すっかり筒抜けになっていたわけです…
知らぬ存ぜぬは自分ばかり…どんなに平然を装っても「伊藤さんは本当はこう思っているんだ…」
とみんなはそう思っているわけですから…それで距離をとられていたと…
今まで感じていた違和感のようなものがピタピタっと結びつきました。

これは裏切られたという気持ちが強い。
自分はすっかり気を許していた相手ですから、可愛さ余って憎さ百倍という…
ことの真意を確かめてみなければどうにもならない。

シノちゃんにどうなっているかを聞かなければと思っているところから、
不思議なもので、パタッとシノちゃんが自分を避けるといいますか、
つかまえようとすると、スルッとうまくかわされてしまう。
話しをするタイミングがなかなかつかめないままに、一週間、10日と日が過ぎていった。

仕方がありませんが、かといって自分から電話をかけるのも間尺にあわない。
どうせ毎日学校で顔をあわせているんだし、これは直に話さなければいけない。
少し入り組んだ話しになるかもしれない…

そう思っていたある晩のこと、LINEが届いた。
見るとシノちゃんからです。

パッと開いてみますと、これは驚くような長々とした文面であります。
(あ、やっぱりあの子気がついたんだ…言い訳でも書いてきてる?え…なにこれ…やばい…)
どこどこまでも書き連ねてあるその文言です。言葉になっていない。
支離滅裂どころの騒ぎじゃない。訳のわからない言葉の羅列が、ただただ面々と連ねられている。
読み進めているうちに胸の内が妙にざわついてきます。

(大丈夫かな…?え…まずいかな…?)
とてもじゃないけれど、普通の精神状態とは思えない。
伊藤さんの中で色々と考えを巡らせてみる。

シノちゃんは恐らく誰に対しても人当たりの良い方だったんでしょう。
体よくつかまえられては、相手の愚痴や悪口、負の要素の話しを聞かされる。
誰だって人の腹の底で渦を巻いている話しを聞いて、気持ちのいいわけがない。
言葉には念が宿るといいます。
それでも相手のことを思えば、嫌な顔ひとつせずに聞いていたシノちゃん。
右に左にと誰にでもつかまって、その度に「うんいいよ、どうしたの?」と聞いているうちに、
ご自身の中でストレスが爆発してしまったんじゃないだろうか…?
もともとから性の悪い人ではないだろう。
ついに耐えきれなくなって…

右から入ってきた話しを、左に流すようなことで自分を慰めてきたけれど、
「シノ気をつけたほうがいいよ」というお友達の様子にも気付きはじめる。
次第に自分の周りからお友達がいなくなっていく…
そしてついに彼女はパンクをしたのではないか…?
そうだとすると、わたしは相当にシノちゃんを追い詰めていたのではないだろうか?と思った。


すぐに電話をかけてみました。
トゥルルルルルル…トゥルルルルルル…トゥルルルルルル…
呼び出し音は鳴るのに、一向に出る気配がない。
今LINEを送られてきた直後ですから、手元に電話はあるはずだ…。
そう信じて鳴らし続けますが出ない。

(心配だな…)そう思って電話を置いた時に、
トゥルルルルルル…と鳴った。
見るとシノちゃんです。

(ああ…かけ直してきてくれた…)
と思いながら画面を見ると、どうやらテレビ電話でかけてきているようです。
普段は電話ばかりで、滅多にテレビ電話はしないんですが、とりあえず出てみる。

「もしもし?」
電話にでてすぐですが、アワアワと言葉にならない感じ。

「シノ?どうした?大丈夫?」
「テレビ電話にしているでしょ?顔がみたい」

やむを得ませんので、手元に電話をもってきて自分が映るようにして、音声をスピーカーに切り替えた。
見ると相手の様子も画面に映っております。
ただどのように電話をもっていたのか、シノちゃんの顔は鼻から上くらいしか映っておりませんで、
後ろはご自身のお部屋でしょうか?なにかそうしたものが映っている。目線が定まらないんです。

「シノ?どうした?大丈夫?さっきのLINE読んだ。何かあった?」
「ごめんね…ちょっともう私どうしていいかわからないんだけど…」
「うん…ごめんごめん。なんとなく分かってた…」
「ねえ私どうしよう…私さ…」

そうしてシノちゃんは話し出すんですが、その内容というのは取り留めもない。
ただ動揺しているというのだけは確かです。
先ほどのLINEといい、自分の中で処理が追いつかなくなっているというのはわかります。

一生懸命慰めようと声をかけているうちに、画面がガタガタガタと揺れた。
どうやら話しながら動いたんでしょう。
そして再び画面がピタッと落ち着いた時、
それまでは画面の中央にシノちゃんの顔が鼻から上のアップで映っていたわけですが、
角度を変えたのか顔の位置が少しだけずれて、彼女の顔は向かって右下四分の一位になった。
問題はその後ろです。

スマートフォンの画面の上から、女性のジーンズを履いた下半身が写り込んでいる。
足は地べたにはついていない。
シノちゃんの後ろに、ぶら下がっている。揺れているんです。

「シノ…ねえシノ…今どこ…?」
パニックになったわけです。ご実家だったのか帰ってきて第一発見者になったんでしょう。
お身内の誰かが首をつっていた。
どうにも整理がつかず、あやふやなLINEをよこし、パニックになって電話をよこした…

誰でもこの状況で平常心を保っていることは出来なかろう。
自分に今出来ることは、とにかくシノちゃんの気持ちを落ち着かせて、
すぐにでも110番の通報をさせなければいけないと思った。

「ねえ…シノ…大丈夫落ち着いて。ねえ聞いてる?すぐ110番して」
「え?」
「え?じゃなくて。気持ちはわかるけど、落ち着いてね。」
「え?」
「え?じゃないって。ねえその人誰?お母さん?」
「え?」
「後ろ!」
と、シノちゃんが振り返った。

しばらくぶら下がっている下半身を見つめてから、再び正面に顔を向けると、
ふにゃっと表情が崩れて…


「あ、私やっぱり死んだんだ」
プツッと電話が切れた。

「私やっぱり死んだんだ」…?
なんだ、どういうこと…?
電話が切れてすぐに掛け直してみる。
呼び出し音はなるものの、本人が出ない。
何度も何度も駆け直す。

そうして時間が経つうちに、見えていたあの下半身に見覚えがあることに気づく…
シノちゃんが時々学校に履いてくるジーンズです。

そんなわけない…
そんなことない…
いやシノなわけがない…

そりゃそうです。シノちゃんが電話をしてきて顔も映っていた。
後ろにぶら下がっていた足が本人であるわけがない。

これが当たり前なはずですが、段々とシノだったんじゃないかと…
翌日学校にて、シノちゃんが自ら命を経ったと聞かされたそうです。

なぜそのようなことになったのか…
LINEも昨日の晩通話した履歴も、すっかりと彼女の電話から、
消え失せていたそうでございます。

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