ユキちゃん

わたしの友人のお嬢さんのお話です。
お嬢さんも大きくなられて、短大を出て放送局に勤めることになったんですよ。
これは嬉しいですよね。短大出て放送局だから。

ただ、学生時代も家から通って、勤めに出て、結婚すると家に入る事になると、
あまりにも寂しいしなあという事で、出来れば親元から離れて一人で暮らしたいというわけだ。
まぁそりゃあ無理もないですよね。

それで友人が「どうしたもんかなぁ?」ってわたしに言うから「まぁそりゃあいいんじゃないか?」って。
わずかな間ならいいじゃないですか、独り暮らしっていうのもね。その方が自立心が付くし。

それで彼女もそうしたいって言うから、何処にしよう?って言うんですね。
それで、お嬢さんの勤め先が四谷ですから、その近くがいいんじゃないか?杉並あたりなんてどうだろう?
って話しをしたんですよ。

場所を言うと問題があるんですけど、実は杉並あたりに去年ぐらいまで私お店を持ってたんですよね。
赤字なもんだから今辞めちゃいましたけど。すげぇ汚れちゃってバカバカしくてね。
それで、杉並あたりの地理に少し明るかったんですよ。杉並なら、仕事場の四谷にも近いですし、閑静ですしね。

そしたら親父のほうが「じゃあ俺探してくるよ」ってことで、彼女と要するに娘と探しに行ったわけです。
あったんですよいいところが。駅からそう遠くなくて、周りにけやきの木なんかあってね。
車が一台通れる位の道に面した。
それで、道からアパートがあるところっていうのが少し高いんですよ。
コンクリートでもって70センチか80センチ高いんだ。
その上に二階建てのこのアパートがあるんです。今風のモダンでマンション風な作りですよ。

まぁそこそこの値段なんです。
それで、窓が道路側に面してあるんです。
でも地面より高いから窓があっても外から覗かれる心配はないんですよ。摺りガラスですし。
逆に塀があったり横丁入ってくとかえって死角になって女の子危ないですよね。今の時代は。
逆にほら窓側だったなら安心じゃない。火事になったら逃げれるしさ。何かの時には助けてーって言えるし。
それでここはオートロックだし、いいやって決まったんですね。

そりゃ彼女喜びましたよ。お嬢さんの方は。
それで色んなもんを買い込んでさ、全部出来上がったわけだ。
自分の好きな戸棚を置いたり、自分の好きな椅子を置いたりして、インテリアをこさえてね。
自分だけの城ですからゴキゲンですよ。
これが春先でした。

それで、その局の方でいよいよ入社式があるという事で。
その前の日に、先に来てその部署の打ち合わせがあったんですね。
あなたはこういう仕事ですよーとか、あなたこの人と組みますよ、という具合に打ち合わせをするわけだ。
それで彼女は、その打ち合わせに行ったんですね。
行って色々話をしたあと、まぁ一杯やろうってことで、ゴキゲンで一杯飲んだんですよ。
そして飲んで帰ってきた。

その日から一人の生活が始まるわけです。
部屋へ入る、オートロックをする、荷物を置いて、それで布団を敷こうと思ったんだけど、面倒なんですね。
春先でまだ寒いからコタツがあったんで、コタツの中に足を突っ込んでゴロンと横になった。
飲んでますから気持ちがいいんですね。そのままスヤスヤ寝ちゃったんですよ。

そしたらね・・・。
「ユキちゃんユキちゃん」
と、声がする。それで目が開いた。

「ユキちゃん?ユキちゃん?」
彼女は、東京だから夜中に犬の散歩させてるんだなぁって。思ったそうです。
最近犬も人間みたいな名前多いですからね。ユキちゃんって名前なんだぁって。
でも自分には関係無いことですからね。そのまま寝ちゃった。

それで翌朝すぐに、昼位はまでは打ち合わせなんかの仕事をして、昼過ぎに新入社員の式典というものがあって。
その後、二次会三次会四次会があって。業界好きだからそういうの。
それで散々盛り上がって、じゃあどうもお疲れさんでしたって。局の宅送で送ってもらったんですね。
それで家についたんです。

家について中に入って、やっぱり布団敷くのが面倒で、
またコタツの中に足を突っ込んで、ゴロンって寝ちゃったんですね。
飲んで、気が自由になってますから、良い気持ちでスヤスヤ寝ちゃったんですね。
どのくらい時間経ったか分からないんですが

「ユキちゃん」

「ユキちゃん?ユキちゃん?」
これで目が開いた。

「ユキちゃん?ユキちゃん?」
声がする。

あー昨日もこんなのあったなぁって。また散歩させてるんだなぁって思った。

「ユキちゃん?ユキちゃん?」
と言っているんですが、その時ふっとおかしいと思った。

犬を散歩させているんであれば、どっか行っちゃったのなら、
「ユキちゃん(右)ユキちゃん(左)」って周りに呼びかけるように言いますよね。
ところが声が一方方向から同じように自分の方へ来る。それも道のほうから自分の部屋の方へ。
誰かが呼んでるって言うんですよ。

「ユキちゃん、ユキちゃん」
でも自分ユキちゃんじゃないですからね。関係ないわけだ。

でも何故か知らないけど自分の方へ向かって
「ユキちゃん、ユキちゃん」
って言ってる。

嫌だなぁ..とは思ったけど関係無いですから、やっぱり眠いので横になっちゃった。
それで寝てしまった。

そうしたら、
「ユキちゃん」
かなり近くで声が聞こえる。
「ん?」
「ユキちゃん」
何気なく窓を見たら、窓にピタっと人が引っ付いてるんです。
上半身が映って窓枠に手が引っ付いて、ジーっとこっち見てるんです。
自分のほうを見ながら、そのシルエットが「ユキちゃん?」と呼ぶ。

あー嫌だ!って思った。覗いてる!と思った。
冷静に考えたら覗けるわけがないんだ。
地面から高いんだもん、窓の位置が。
でも酔ってるから気も大きくなってるし、そんな事は分からない。
ただ嫌だなぁ、覗いてるなぁ..この人!って思ったわけだ。

曇りガラスで中は見えないはずだけど、向こうはビタっと引っ付いているんですね。
シルエットで分かるわけだ。どうやったって自分を見ている。

それが自分の方へ向かって
「ユキちゃん?ユキちゃん?」って呼びかけてくる。

うわぁ・・・見られてる!嫌だ、とぼけちゃお。と思って、布団の中に顔を突っ込んだんですよ。
こたつ布団の中へね。
そうするとやっぱり眠くなりますよ飲んでますからね。

「ユキちゃん明日何にする?」
ん?っと思った。
「ユキちゃん明日何にする?」
自分の部屋の中で声がする。
紛れもなく部屋の中で声がする。
うわぁ嫌だ。そしたらツーッとするような音がして
「ユキちゃん明日何にする?」
声が近づいてくる。自分のすぐ傍まで。
どうやら畳をずりながら自分の方へやってきてるらしい。

「ユキちゃん明日何にする?」
その時彼女は分かった。こいつは人間じゃないと思った。
オートロックは締めてる。鍵も締めている。
ドアの開く音もしないのに、突然家の中で「ユキちゃん」なんて
呼びかけるような奴は居るわけもない。

うわぁどうしようと思った。
どうしようどうしようどうしようどうしよう..。

「ユキちゃん明日何にする?」

背中にドンと膝が当たった。
相手はどうも自分を上から覗き込むように見ているようなんです。

「ユキちゃん明日何にする?」

うわぁ助けてー!南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!必死にお経を唱える。

寝ているものだから相手の膝でぐぐぐって顔を押される。
どうやら相手は顔で布団を押しているようだ。
ぐーっと顔を近づけてきている。
ちょうど耳のあたりに相手の口があって、吐息を感じる。

「ユキちゃん明日何にする?」
うわぁ助けてー!南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!必死にお経を唱える。

それでもなお顔はぐぐぐっと近づけられる。

「ユキちゃん明日何にする?」
うわぁ助けてー!南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!必死にお経を唱える。

ぐぐぐぐっと布団は押される。
そして、布団をはさんだ耳元で、

「そんなことやったって帰らないよ」と声がした。

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