ケバイ女

私の知人である自動車メーカーの営業所に勤めている若者が居ましてね、仮にNくんとしておきましょうか。
この人はね、よく妙なことに遭遇するんですよ。
それは何年か前の夏の日のことだったんですけど、休暇に友達と静岡県にある別荘を借りて泊まりがけで遊びに行ったんです。
ところが夕方になって蚊取り線香を持ってきていないことに気がついた。
蚊取り線香以外にも二、三足りないものがあった。
それでこの辺りの地理に少し詳しいNくんが車を運転して買い出しに出かけたわけだ。

目指す雑貨店なんですが、そこには駐車スペースが無い。
それで百メートルほど手前にある道に面したところに車を停めた。
そこは車道を渡ると、一方はガードレールなんです。
水路の上にコンクリートの蓋がしてある暗渠と言うんですかね、これが歩道になっているわけだ。
その上をトット、トットと歩いて雑貨店に行く。
あれこれと買い出しをして、そうしてビニール袋を下げて店を出てきた。
薄暗い歩道を歩いて行くと、前方を若い女性が明かりを持たずに歩いている。

(あれ、こんな時間に若い女が一人、明かりも持たずに歩いているのは変だな)

自分も明かりは持っていないんですが、自分は男ですからさほど問題は無いわけだ。
彼女が歩いて行く後ろをNくんが歩いて行くような形で付いていく。
と、この道路はところどころに街路灯があるんです。
弱い明かりがぼんやりと辺りを照らしている。
先ゆく彼女がその明かりの下を通る度に赤い髪にピンクのタンクトップにピンクのショートパンツが見える。
これが何だか艶かしい。

(あー、顔が見てみたいなぁ。
 もしかして彼女もペンションに来ているのかな。
 彼女も女同士で来ているのかな。
 男がもし一緒に来ていたらこんな時間に一人で歩いているなんてことはないよな)

勝手な想像をしながらNくんと彼女の距離は少しずつ縮まっていく。
ただこれは並ぶわけにはいかない。
道が狭いですからね。
追い越しながら顔を見てみたい気もするが、これも出来ないわけだ。
段々と距離は狭まっていく。

(それにしたって彼女は何処まで行くんだろう。
 この前に家なんてあったかなぁ)

そう思いながら段々と距離は縮まっていく。
おそらく前を行く彼女にはもう自分の後ろを行く足音が聴こえていると思ったので、
Nくんはこういうことは営業で鍛えていますから、あまり相手を驚かさないように後ろから軽い雰囲気で
「こんばんは」と声を掛けると、彼女は黙ったまま頷いた。

それでなおも近づいていって、

「何処まで帰るんですか?
 良かったら途中まで送って行きましょうか」

と声を掛けると、彼女は黙ったまま首を横に振った。
Nくんは近づいていって「ねぇ、誰と来ているの?」と声を掛けると、彼女は肩で笑っている。
と、フッと見ると、電信柱のところ、そこに立て看板が見えた。
見るとその看板には

“昨年この道路で若い女性が無理やり連れ去られ、殺害されたという悲惨な事件が起こりました。
 若い女性の一人歩きは危険ですのでやめましょう”

と書いてある。

(あー、あったよなぁこんな事件。
 あれ、この事件ってここだったんだ。
 まさかあの前を歩いている女は殺された女の幽霊じゃないだろうな。

 おそらく彼女もこの看板を見ているはずなんだ。
 なのに自分が声をかけても動じないし、さっきから一言も発しないしなぁ。
 それに明かりも持っていないし、何だか変だよなぁ)

そう思いながらもなおも段々と近づいていった。
だいぶ近づいてからNくんはフッと気がついたんですよね。
彼女は腕に金のブレスレットをしている。
それがキラキラと輝いている。
両方の指には金の指輪。
これもキラキラと光っている。
首には金のネックレスをしていて、それが何重にもなってキラキラとしている。

(この女、眩しいくらいにケバイ女だな)

と、彼女が立ち止まった。
そして車道の方を見た。
これを渡ると自分の車があるんです。
それでこれならば自分も隣に並べるなと思って、Nくんはさり気なく隣に立ったわけだ。
さぁタイミングを見て声をかけてやろうと思った。
トラックが脇をブーンと走り去っていく。
彼女が車道の方に歩き出したので、自分もその隣を歩いて行く。

フッと見ると、前方にカーブミラーがある。
そこに小さく二人が映り込んでいる。
様子を見ながらさぁなんて声を掛けようかな、そう思って彼女の顔をフッと見るとカーブミラーに自分たちが映っている。
それを見た途端に声を上げそうになった。

全身が凍りついた。
なんと、自分が並んで歩いているこの彼女、それは若作りの五十代のおばさんだった。

(俺はこんなババアをナンパしながら歩いていたのか)

そう思ってNくんはゾッとした。
と、「おい」と太い声がしたので見てみると、そこに白いベンツが停まっていて、窓から太い刺青をした太い腕が覗いていて、
小指のない左手が早く来いよという感じで手招きをしている。

(俺はなんてことをしてしまったんだ。
 ヤクザのカミさんをナンパしてしまったのか)

もう慌ててNくんは車に乗り込んだ。
そしてその場所から逃げたんです。

帰ってこの話を友達にすると、皆は大笑いをした。
「でもお前無事でよかったよな」という話になりましてね。

さて翌日、遊びに行こうということになりまして、Nくんが運転席に座って、皆が車が乗り込んだ。
ワイワイと皆で盛り上がりながら車を走らせていると、それは昨日の道なんです。

「おい、ここだよここ。
 ほら、昨日話したろ、あのケバイ女がいたところ。
 あれが話していたカーブミラーだよ」

と、そんな話をしていると、そこのパトカーが一台停まっている。
そして赤いランプが点滅している。
昨日と全く同じ場所に白いベンツが停まっていて、警察が中を覗きこんでいる。
地元の人も集まっている。
と、仲間の一人が

「おい、何かあったのかな」

Nくんは昨日のことがあったものですから、何だか気になって少し先で車をUターンさせて戻ってきた。

「あ、やっぱりこの車だ。
 この白いベンツだよ。
 ほら、窓が開いていて刺青をした腕が出ていてさ」

と、その話を聞いていた警察官の人が寄ってきた。

「誠に恐れ入りますが、この車の持ち主の方とお知り合いですか?」

「いや、知り合いではないですけど、昨日偶然出会ったものですから

「え、昨日会われたというのはどいうことですか?」

「いやね、夕方ここに車を停めて雑貨屋に行ったんです。
 それで戻ってきましたら五十代くらいの派手な身なりの方が前を歩いていたんです。
 そしてこの車の中で腕に刺青をした人が、旦那さんですかね、待っていたんです。
 その女の人はこの車の中に乗り込んでいったんですよ」

「はぁ、あの、その話は本当ですか?」

「えぇ、間違いないですよ。
 昨日のことですから」

「あぁ、そうですか・・・。
 実はですね、この車の持ち主のご夫婦が、今朝方死体で見つかったんです。
 この前に小さな漁港があるんですけどね、その向こうに白浜があって、そこに打ち上げられていたんです。
 どうやら漁港に繋いであった手漕ぎのボート、これを勝手に綱を解いて漕ぎだしたようなんですけどね。
 それで港を出たところで高い波にさらわれて転覆し、そして溺れて亡くなったようなんです。

 ただね、鑑識が言うには『遺体は死後三、四日経過している』って言うんです」

(え? 死後三、四日経過している?
 待てよ・・・ということは、昨日自分がナンパしたあの人は、あれはただのケバイババアではなくて、死んだケバイババアだったのか)

その途端に、Nくんはゾーッとしたらしいんですよね。

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