つぶれた老人ホーム

バーの経営者で、割りと年配の方なんですが、この人を仮にAさんとしておきましょうかね。
この方は若い頃散々ヤンチャをした方で、腕っ節が相当に強いんです。
そしてそういう風なところからか、不良と呼ばれるような人からは大変に人気があるんです。
慕われているわけです。
だから今でもお店にはそういった方たちがたくさん来るんですよね。
でもこの人は腕っ節がいいと言っても気持ちは優しい人だし、大らかで人間的に魅力がある方なんです。

それでこのお店の常連さんで歳はずっと若いんですが、Bさんという方が居るんです。
この方は格闘家なんです。
だから彼も腕には自信があるわけだ。
この二人は妙に馬が合う。
片一方は若い頃にヤンチャをしていた。
片方は格闘家。
そういうところは似ているんでしょうが、もう一つ、趣味が共通のオートバイ。
だから時間を見ては二人で出かけているんです。

オートバイというのはモトクロスのオートバイ。
それに寝袋に積んで行き先も決めないで二人でフラッと出て行くわけだ。
大体二泊三日くらいでね。
まぁこれはそんな時の話なんです。

二人はいつものようにツーリングを楽しんでいた。
海沿いの道を走っていて、車が多いのでAさんが

「なぁ、海沿いはやっぱり人気があって車が多いなぁ。
 山手の方に入ろうか」

と声を掛けると、Bさんも「そうですね」と言って、二人は山に入っていった。
山の道に入ると車はそういない。
オートバイ二台を並べて二人は走って行く。
ここちの良い風が二人を吹き抜けていく。
そうこうしていると空の一角に灰色の雲がフッと湧き出てきた。
それが段々と広がっていく。
あれは雨雲なのかなと思った。
そのうち、チカッと稲光が光るのが見えた。
と、そのうちにポツポツと降ってきてしまった。
何処かでもって雨宿りをしたいんですが、そういうわけにもいかない。
なんせこの辺りは山の中ですから。

それで仕方ないから二人はバイクを飛ばしている。
そうこうしているうちに、雨は本降りになってきた。
しょうがないけど、二人はオートバイを走らせている。
と、やがて雨がけぶっている前方に、木々の向こうに建物が見えた。
あれはホテルか何かかなと思った。

(あー助かった、あそこでなら雨宿りが出来るかもしれない)

二人はその建物めがけて走りだした。
木々を抜けると建物がグッと近づいてきた。

(あれ、でも何だか様子が違う)

窓ガラスは抜け落ちていて、四角い穴だけがずっと開いている。
これは廃屋だなと思った。

(まぁいいや、廃屋だったら誰かに断りを入れる心配もないし)

そう思って二人は建物に向かっていった。
入り口は壊れている。
それでそのままオートバイにまたがってロビーまで行ってしまった。
そして停めた。

(あー、助かった)

といっても体は濡れているし、しょうがないからここで雨が止むまで雨宿りして、雨をやり過ごそうかという話になった。
風が吹くと雨が吹き込んでくる。

Aさん「なぁ、こういう風な建物だったら何処か休めるところがあるんじゃないかな」

Bさん「じゃあ探してみようか」

オートバイを置いて、二人は奥の部屋に進んでいった。
これが何だか気味が悪い。
薄暗い通路が続いていて、あちこちが壊れている。
そして一つ一つ二人は部屋を見ていった。

怖い感じはするけども、Aさんは腕に自信があるし、若いころ散々ヤンチャをした人だ。
Bさんの方は格闘家ですから、怖いものはないんだ。

Bさん「お、この部屋どうですか。
    ここいいんじゃないですか」

見るとそこは畳の部屋なんです。
勿論埃は被っているけども、他の部屋よりはひどくない。

Aさん「あー、じゃあここにしようか」

二人は部屋の中に入っていった。
靴を履いたまま畳に腰を下ろして窓の方に目をやった。
窓ガラスは抜け落ちているけども、外が見える。
雨はなおも強く降り続いている。
部屋の中は薄暗い。
そして二人はその部屋で話をしていた。

と、そのうちにAさんが「あー、俺ちょっとションベンしてくるわ」と立ち上がった。
部屋にトイレはあるけども壊されている。
しょうがなくAさんは廊下に出た。
そして薄暗い廊下を歩いて行く。
廃屋ですし、雨が降っているわけだ。
男だからどこで用を足してもいいんだけども、Aさんはそういうところが律儀なんです。
向こうにトイレがあった。
男性用と女性用で分かれている。
そこを抜けるとロビーに出るわけだ。
そして男性用を見た。
中は真っ暗。
でも大体トイレの作りはどこも似ていますからね。
Aさんは勘で中に入っていった。
壁に面してトイレがある。
そこでAさんは用を足し始めた。

辺りはシンとしている。
聴こえるのは自分の小便の音だけ。
そのうちに何だかここは気持ちが悪いなと思い始めた。
と、自分の後ろで気配がした。
誰かが立っているような気配がする。
暗闇なんですが、自分の後ろに何かが居る気配がする。
と、その気配が消えた。

(あ、行ったのかな。
 消えたのかな)

「はぁ」

 (ん? 今何だか声が聞こえた気がする。
  あ、これは違う、これは無意識に自分が出したため息だな)

「はぁ」

(違う、今のは自分じゃない。
 俺の耳が空耳を聞いたのかな。
 でも確かに聞いたよな。
 妙な感じがするけども、早くここを出よう)

用を足し終わって、Aさんは便器を離れた。
向きを変えようと振り向いた途端、首の付根に何かが当たった。
それはパイプや板ではない。
何だろう、それは重みがある。
真っ暗な中、何かを確かめようと思ってAさんはそれをクッと掴んだ。
と、そのまま体が凍りついた。

雨の降る廃屋ですよ。
明かりがない壊れた真っ暗なトイレですよ。
その中で自分の首の付根のところにあるのは、人の足なんです。

(何でこんなところに足があるんだ!?)

明らかにそれは足の感触なんです。
普通ならばここで悲鳴を上げているところですよ。
でもAさんは腕に覚えがあるのでそのまま引っ張った。
そうすると自分の上に何かがグッと乗ってきた。
何とか振り落とそうとするんだけども、降り落ちない。
それがピタッと張り付いたまま、Aさんは部屋に戻っていった。

そして部屋の入口に立った。
見るとBさんは部屋の入口に背を向けて畳に腰を下ろして窓からジッと外を見ている。
そしてAさんは「おい」と言った。
Bさんが振り向く。
そして次の瞬間、きょとんといった顔をした。

Aさん「なぁ、俺背中に何かおぶってないか」

Bさん「えっ」

そう言って振り向いた瞬間、「うわっ!」と声を上げた。
薄暗い部屋の中にAさんが立っているわけだ。
その肩からAさんのものではない細くやせ細った腕がブランと垂れている。
(うわっ)と思っていると、Aさんの頭の横からもう一つ頭が出てきた。
それで「うわっ」と声を上げて飛び上がった。
そして声を上げてそのまま逃げてしまった。
Aさんもしょうがないから後を追っていった。

ロビーに停めてあるオートバイにエンジンを掛けて、雨がまだ降っている中を飛び出した。
街道に向かって二人がバイクを飛ばしていると、いつしかAさんの体は軽くなった。
しばらく行くと食堂があったのでそこにバイクを停めた。
雨はもうだいぶ小ぶりになっている。
それで大将が出てきたので、「今こういうことがあったんだけどね」と話をすると

大将「あー、あそこですか。
   あそこはね、医療設備のある老人施設だったんですよ。
   医療老人ホームと言うんですかね。
   入所金がなかなか高くてね。
   あそこの施設はオーナーが突然姿を消してしまって、この辺りでは結構な騒ぎになったんですよ。
   あそこ、結構年寄りが死んでいるんですよ」

Bさん「あのね、Aさん。
    俺を呼んだでしょう、『おい』って。
    実はAさんが帰ってくる前に俺が外を見ていたら、Aさんが一度帰ってきているんです。
    それで俺の後ろでゴロンと横になって寝たんです」

と言ったそうです。
不思議ですよね。

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