生贄の村

静岡に住む知人で、木口沢という男が居るんですがね。
大変な写真好きで、休日になるとカメラ片手にアテもなく日本中のあちこちに出かけては目にしたものを雑多に撮り歩くのが趣味なんです。
それで時々おかしなものが写真に移りこむと、これは心霊写真じゃないかと私の事務所に送ってくるんですがね、
まぁ殆どというか、どれもただの心霊現象やら偶然のものなんで、私はそうやって言ってあげるんです。
本人は楽しんでいるようで、また懲りずに送ってくるんですよ。
これはその知人から聴かせてもらった話なんですが、中学生になる彼の息子さんの友達がある月食の晩に体験したお話です。

その友達を仮にNくんとしておきましょうか。
Nくんはその日親の手伝いで冷凍の魚を運ぶトラックの助席に座っていました。
山間部の美しい湖があるのが特徴の町へ魚をおろすために、トラックは狭い県道をゴトゴトと走っていました。
なにせ山の中の県道ですから、明かりも殆どありません。
その上今夜は三年ぶりの皆既月食。
天気はいいのに月は隠れて薄暗い月灯りになっている。
心細い思いで窓の外を見ていたんですが、ふいにトラックが道路の脇に停まった。
どうやら何かのトラブルでトラックが動かなくなってしまったらしい。

運転していた家の人は何かをフガフガと言っているんですが、要領を得ない。

(参ったなぁ)

あたりを見回すんですが、前にも後ろにも車は一台もない。
助けを呼ぼうにも携帯は圏外で、完全に夜の山に取り残されてしまった。

(さて、どうしたものか)

フッとあたりに目を向けると、その時眼下の闇の中に小さな集落の明かりが見えた。
そこは山間部の小さな村で、住居の佇まいを見るとなんだか古めかしい。
家の灯りはついているのに人っ子一人外を出歩いていない。
村の入口に立て看板のような掲示板があって、

赤錆村掲示板

と書いてある。
どうやらこの村は赤錆村と言うらしい。
掲示板には尋ね人と書かれたビラが一枚だけ貼ってある。

こういうのなんだって言うんだっけなぁ。
そうだ、ガリ版だ。

掲示板にはビラが一枚、女の子の顔を不鮮明に映し出している。
今どき珍しくコピーではなく、ガリ版刷りなんだ。
行方不明の少女のビラを見ているうちに、夏なのになんだかゾクゾクと寒気を覚えた。

(えらく怖いところに来てしまったなぁ)

Nくんは一人で村に来たことを後悔し始めた。
と愚痴ったところでしょうがない。
それで村の中に入って行くと、

自動車 修理 整備

と書かれた看板が目に止まった。
どうやら目当ての物を見つけたようだ。

「ごめんください、すみません」

と、Nくんは小さな修理工場に向かって呼びかけた。

「県道でトラックが止まってしまって困っているんです。
 どなたかいらっしゃいませんか?」

Nくんが呼びかけるんですが、返事はない。
それどころかさっきから人の気配というものを感じない。
シーンとしていて気が付くとこんな山間の村なのに虫の音一つ聴こえてこない。
何かが動く気配も全くない。
なんだか急に怖くなってきた。

(トラックのところまで戻ろうかなぁ)

と、Nくんは今来た道を戻っていった。
ところがいつまで経っても村の外に出られない。
と、前方に先ほどの修理工場が見えてきた。

(まさか・・・)

どうやら同じ所をぐるぐる回っていることに気がついた。

(そんなバカな。
 自分はずっと真っ直ぐ走っている)

その時掲示板が目に止まった。
何かがおかしい。
さっきと様子が違う。

(あれ、ビラが二枚に増えている)

一枚目のさっき見たガリ版刷りの少女の写真に、赤いペンキで大きくバツ印が書かれている。
そして隣に同じようにガリ版に刷られた少女の写真が増えている。
尋ね人と書かれたビラが新たに一枚貼り付けられている。

(えっ、一体これは誰がいつ・・・?)

その時だった。
背後から人の囁くような話し声が聴こえてきた。

「遺体はお屋敷の裏側で見つかったんですって・・・」

「本当に気の毒にねぇ」

どうやらその声はNくんの後ろにある民家から聴こえてきているようだ。

(あぁ何だ、やっぱり人はいるんだ)

Nくんは思い切ってその家の呼び鈴を鳴らしてみた。
しかし返事はない。
確かにこの家から声は聴こえたはずなのに。

ピンポーン

「どなたかいませんか」

ピンポーン

Nくんは意を決して、その家の中に上がってみた。
家の明かりはついている。
それなのに、人の気配だけが無い。
全ての部屋を一つ一つ見て回った。
でも誰もいない。
居間にはちゃぶ台が出ていて、その上には湯気が出ている野菜の煮物と山菜のおひたし、熱々の白いご飯。
夕ごはんの支度が出来ているのに、人の気配が無い。
と、ふいに

「次の話題です。
 行方不明の続く赤錆村ですが、今朝二人目の遺体が発見されました」

と、突然テレビからニュースが流れびっくりした。
それは丸みを帯びた白黒の旧式のブラウン管のテレビだった。

(えっ? 今自分が居る村の話題のようだ)

Nくんはすっかり混乱してしまった。
ちゃぶ台の脇においてある新聞の日付を見てみると、ハッと息を呑んだ。
そこには昭和40年7月10日と印刷されていた。

Nくんは家から飛び出した。
そしてようやく理解した。
もちろん何が起きているかなんて分からない。
ただ自分はこの世ではないところに来てしまったらしいということ、
一刻も早くここから立ち去らなければいけないことをNくんは理解した。

(でもどうやって?)

いくら走っても村からは出られない。
あの掲示板が目に留まる。

(おかしい、またビラが増えている)

今までのビラには大きな赤いペンキのバツ印。
そして隣にはまた一枚増えている。
Nくんがここを通る度にまた一枚、また一枚と増えていく。
娘ばかりがとうとう三人も。
きっといずれ四人になる。

「あんたのところの娘は大丈夫かね」

ヒソヒソとした声が聴こえる。
郵便受けに新聞が入っている。
Nくんはそれを抜き取った。

日付は昭和40年7月19日。

さっきからもう9日も過ぎている。
その時一瞬、視界の端で何かが動いた。
この村に来て初めて目にした人影だった。
何がなんだか分からないことになり、喚き散らしたい衝動を抑え、視界の端を過った人を追いかけた。
心臓がドクンドクンと音を立てて鳴っている。

ハァハァハァハァ・・・

(一体ここは何なんだ?
 自分は一体何を追いかけているんだ?)

と、影は角を曲がった。
Nくんも続いて角を曲がりかけた。
その途端

「あぁ~~~!!」

と思わず声を上げた。
なんとそこは一面の血の海だった。
凄まじい量の血だ。
これほどの血の塊をNくんは見たことがない。
これが生き物の血だとしたら、きっとそれはもう生きていないに違いないだろう。

恐る恐る辺りを見回すと血だまりの真ん中に返り血を浴びてベッタリと赤く染まった鎌が一本突き立てられている。
何処からか新聞紙が風に舞って落ちてきた。

『7月25日 赤錆村で四人目の少女の遺体が路地裏で発見され、狂気の鎌が見つかる』
とそこには書いてある。

(すると今自分が目にしているのは、この四人目の少女の殺害現場だというのか。
 まさか、そんな馬鹿な・・・)

Nくんの脳裏にある考えが何度も過ぎる。

(そんなことあるわけがない。
 ・・・でも、そうとしか思えない。
 自分は今昭和40年に起きた連続少女殺害事件を追体験しているなんて)

「火事だー!!」

と、叫び声が聴こえた。

見ると丘の上の屋敷が炎を上げて燃えている。
Nくんは吸い寄せられるように火災現場を目指して走った。
ヒソヒソと声が聞こえる。

「あの野郎・・・絶対に許せねぇ。
 これ以上の犠牲を・・・・・・・鉄槌を下してやる」

声は聴こえるが姿は見えない。
Nくんは夢中で走った。
丘の上に着いた時、もう火事は収まっていて黒く燃えた炭の柱の残骸だけが残っていた。
それはまるで火事の翌日のような感じで、妙に現場は片付いている。
付近の家の新聞受けから新聞を抜き取って見る。
日付は8月13日、火事の現場はこの村の地主のもので、屋敷の蔵に住んでいたという24歳の長男が
連続少女暴行事件の犯人だと噂が立っていて、復讐なのか制裁なのか、何者かの放火が原因ではないかとその新聞には書いてある。

丘を下る途中、Nくんは村の様子が変わっていることに気がついた。
あちこちの家のガラスが割られ、ところどころに血溜まりが出来ている。
まるで村全体に悪意が充満しているような、そんな錯覚に囚われる。
物陰から誰かに見られているような気がする。
そしてヒソヒソと何かを囁いている。
異常なまでの殺気を感じた。

Nくんの喉はカラカラに渇き、足が震える。
無作為に郵便受けから新聞を抜き出してみると、8月15日、また新たに少女が殺害されたらしい。

(そうか、そういうことか)

陰惨な事件に耐えられなくなった村人は恐らく徒党を組んで地主の家を襲った。
憎い殺人犯を殺し、屋敷に火をつけた。
ところがこのリンチは冤罪だった。
新たな被害者の出現がその現実を村人に突きつけた。
こうして村は悪意の渦に巻き込まれていったのだ。

(もう嫌だ。
 こんなところには一秒たりとも居たくない)

次の新聞を取ると、8月20日。
どうやら三年後だった。
この忌まわしい村はダムの底に沈むことが県の議会で決まったらしい。

(そんなことはどうでもいい。
 早くこの村をでなければ)

Nくんはあの掲示板のところに戻ってきた。
ビラは既に八枚にもなっている。
一枚を除いた全てに全てバツ印がつけてある。
その中央に貼ってある真新しいビラを見ると、なんとあろうことか、それはガリ版刷りのNくん自身の顔写真だった。

『赤錆村及び付近の住民の皆さん』

突然大きな声が聴こえてきた。
遠くからメガホンで叫んでいるような、学校の集会で先生達が使っていたメガホンのような声が聴こえた。

『まもなく上流のダムより放水が開始されます』

(なんだって・・・?
 水没は三年後のはずなのに)

なおも声は続く。

『残念な事件もありました。
 でも村は私達の故郷であります。
 この村には私達の父がおりました。母がおりました。
 祖父も祖母も皆この村で育ちました。
 村の姿を見られるのは、これが最後であります。
 しっかりと瞳に焼き付けましょう』

Nくんの足元を水が浸す。
あれよあれよという間にその水は水かさを増していく。

(まずい!)

Nくんは必死で走った。
ピシャ、ピシャっとNくんが走る度に水が跳ねる。
もう足首まで水に浸ってしまった。

Nくんがたどり着いたのは村の小学校か中学校の校庭だった。
今では見ることのない木造の校舎を見ながらNくんは思い出していた。
掲示板に自分の写真が貼り出されていたことを。
そして写真に貼りだされていた人物は全て何者かに殺害されているということを。

物陰が怖かった。
暗がりが嫌だった。
誰かが自分を殺そうと息を潜めているかもしれない。
広い校庭を見渡しながらNくんはここに来る途中で何処かの農家から拝借した鋤を握りしめた。
水かさはもう腰まで達している。

(一体今夜はなんだっていうんだ。
 そもそもどうしてトラックはこんな場所で止まってしまったのか。
 どうして村を見つけてしまったのか。
 どうして今夜は皆既月食なのか)

と、背後で水の音が聴こえた。
ピッタリとNくんの真後ろ1メートルほどで聴こえた。

(・・・居る。
 自分の真後ろに大きな何かが)

体は金縛りにあったかのように動かない。
舌に鉄のスプーンを押し付けられたかのように、ビリビリと震える。
言葉が出ない。

背後から

「うぉおおぉぉおおお」

という声が自分の真後ろの上の方から聴こえる。

(あぁまずい、何ということだ)

相手は何者か分からないが、そうとうに大きい。
そいつが後ろに居る。

Nくんが固まっていたのは数瞬だったのかもしれない。
あるいは数分間。
Nくんはプレッシャーに耐えていたのかもしれない。
とにかく一瞬か数分後、Nくんは

「うわあああぁぁあぁああああ!」

という叫び声と共に後ろを振り返った。
その瞬間全身が凍りついた。
目の前には身長180cm以上、体重は恐らく100kgを超えるような白いランニングシャツを着て
全身に返り血を浴びた男が鎌を持っていた。
目の部分だけ穴が開けられた紙袋を被って血走った目がその穴から覗いている。
そいつがニーっと不気味な笑みを浮かべていた。

(うぅ!)

Nくんはそのまま気を失ってしまった。

どのくらい経ったのか分からないが、空は明るかった。
Nくんは湖のほとりヘ打ち上げられていた。
意識を取り戻したNくんが呆然と湖を振り返るとそこにはダムの施設があった。
別段新しくもない年季が入ったようなダムだ。
そう、Nくんが意識を取り戻したのはダム湖のほとりだったのだ。

それから何日か経ち、多少は元気を取り戻したNくんは図書館で昭和四十年の夏の記録を調べた。
赤錆村で何人もの少女が犠牲になったあの事件。
当時としても大事件だったはずだ。
ところがどんなに調べてもそんな記録は見つからない。
それどころか村の存在さえも分からなかった。
あの底に村があったという記録はない。

(一体これはどういうことだろう。
 自分は夢でも見ていたのだろうか)


それでも今でも何処かにあの赤錆村は存在しているのではないだろうか。
そして皆既月食の晩になると、また新たな生贄を求めて現れるんじゃないかと、Nくんは今でも言っているそうです。

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