与助、三次の丑の刻参り
今の時代は全くの闇というのにはなかなか出会わないですよね。
どんなところに行っても大体明かりはありますからね。
ましてやこれが町中であったら、人は歩いている、明かりは付いている、車は走っているという状況ですよね。
つい少し前まではちょっとした闇はあったんですよね。
だからそんな時代の時は月灯りや星明かりが頼りだったんです。
それでわざと自分の足音を大きく立てながら歩いたそうですよ。
向こうから人が歩いてきても、相手も大きな足音を立てて歩いているから、向こうから人が来たなって分かるんですよね。
それですれ違う時にようやく相手の顔を見て、あぁあれは女の人だったんだなぁなんて思うわけですよ。
上野の不忍池の辺りを歩いているわけです。
それが何かの加減で雲がかかって辺りが暗くなった時に柳の枝か何かが首筋にすっと触るわけです。
そうすると、今のは何だったんだろうと思うわけです。
月明かりの下で池の方から鯉がチャッポンと音を立てるとそれにドキッとしたりする。
そんな今から考えると信じられないような時代があったんですよね。
まぁ今回の話もそんな話なんです。
与助と三次という二人の職人が上野の仕事場から仕事を終えて帰ってきたわけだ。
そして二人で居酒屋に途中で寄って一杯飲んでいた。
そうしてしばらくすると与助が
「おい、俺この前の晩な、えらく恐ろしい物を見ちまったんだよ」
「ん? お前さん何を見たんだい?」
「それがな、それが俺が普段お世話になっている旦那さんのところで祝い事があったから呼ばれていったんだ。
旨い酒を飲んであれこれとしゃべっているうちに帰りがすっかり遅くなっちまってなぁ。
それでご馳走になりましたって言って帰ってきたんだ。
やってくるともう時間は丑三つ時だ。
丁度鈴ヶ森のあたり、辺りはもうすっかり静まり返って真っ暗だよ。
すると何処からか カーンカーンカーンカーンと、何かを打ち付けるような音がするんだ。
今頃の時分に一体なんだろうなぁと思ってな、シラフだったらそんなことは考えないんだろうけど、
酒を引っ掛けていたもんだからちょっと覗いてやろうと思ってな、音のする方に行ってみたんだ。
暗い森の中をやってくると、うっすらと明かりが付いている。
はてな?と思いながらだんだんと木に隠れるようにしながら近づいた。
行ってみると頭にロウソクを立てて白装束を来た女が髪を振り乱しながら、
白い化粧で目をランランと輝かせて太い大きな木に五寸釘で藁人形を打ち付けているんだよ。
この状況というか、有り様が恐ろしいのなんのって。
俺は危なく腰を抜かす所だったよ。
それでどうにかこうにか音を立てずにそこから逃げてきたんだけどな、いやーえらいおっかないものを見ちまったよ」
「へぇ、そんなことがあったのか」
「いやぁ、女っていうのはおっかねぇもんだよ。
俺もお前もそんな女を女房に持たなくて本当によかったよなぁ」
そう言って二人は笑った。
そして二人は店を出てじゃあなと言って別れた。
それで三次が家に帰ってきて自分の家の戸を開けるとカミさんがお膳の上にご飯を用意をして待っていた。
「なんだよ、悪いな。
先に食べていてくれててよかったのに」
そして二人でご飯を食べた。
ご飯を食べ終わると、いつもの癖なんですがお酒を飲んでいるわけですから三次は布団の上に横になるとそのまま寝てしまった。
良い気分でいびきをかきながら寝ている。
そうやって寝ていたんですが、フッと目が覚めた。
ぼんやりしながら辺りを見回すと自分の頭の上あたりに背中を向けてカミさんが長く伸ばした髪を解いて鏡に向かって何かをしている。
それを見た瞬間に「あ、そうだ」と何となく与助の話を思い出したんで「おい」とカミさんに声をかけると、カミさんはビクッとした。
「いやーすまないな、脅かしちまったかい?
いや、お前の姿を見ていたら、与助の話を思い出しちまったんだ。
あいつがよ、一昨日の晩にさ、鈴ヶ森のあたりを通った時にさ。
もうそれは辺りはすっかり静まり返った丑三つ時だよ。
そうするとカツンカツンと音がする。
それでさ、あいつやめりゃいいのに見に行ったそうなんだよ。
そうすると鬱蒼とした森の中で頭にロウソクを立ててさ、白装束の女が髪を振り乱して大きい幹に五寸釘を打ち付けているって言うんだよ。
それで俺はもしかしたら一人助けたかもしれないなぁなんて話をしてたんだけどな。
あぁどうにも女というのは恐ろしいなぁ」
と言って三次は笑った。
それを聞いていた女房は鏡の方をジーっと見つめたまま体をブルッと震わせて
「ちくしょう。これでみんな水の泡だ」
と呟いた。