別荘の老人

事情があって場所ははっきりとは申し上げられませんので東海地方とだけ言っておきます。
ある宗教法人が関係する道場と施設があります。
この施設というのは人と上手くコミュニケーションが取れない人であったりとか、対人恐怖症であったりとか、情緒不安定であったりとか、
自分の感情が上手くコントロール出来ない人であったり、そういう若者を預かっているわけなんですね。
それで、信仰と体の鍛錬によってそれらを克服しようという、そういう施設です。

場所は周囲が原生林なんですよ。
周りに全く家は無いし、一番近くにある施設でもゴルフ場くらいなんですね。
そこに入所している人たちは、この施設から一歩も外に出れないんです。
この施設の中だけで生活している。

体罰は無いんですが、非常に厳しい規則がある。
道場での鍛錬は厳しいしごきがある。
元々精神的に弱い人達ですから、このしごきというのが非常に怖いわけだ。
毎日が恐怖なんですよ。
どうにかしてここから出たい、逃げたいと皆思うわけなんです。
皆そういう気持ちがあるんですけども、逃げることは出来ない。

そんなある晩、とうとうこの環境に耐えられなくなった一人の若者が警備の隙を見てこの施設を抜けだした。
月明かり、星明かりの中を夢中で逃げた。
原生林の中を夢中で走った。
少しでも早く、少しでも遠くにこの施設から離れたかった。

夢中で逃げる。時間がだんだん経ってくる。
もう足は痛い、心臓も痛い、喉もカラカラに乾いている。
それでも一生懸命に走る。
もし自分が居ないことがバレて追いかけてきた職員に掴まって連れ帰らされるとどうなるかと思うと、怖くて仕方がない。
彼をそこまで駆り立てるものは恐怖しか無いんですね。
恐怖心があるから夢中で逃げる。

体はふらふらしてくる。苦しい。
走って逃げていると、前方の木々の間から屋根が見えた。
それが何かは分からないが、そちらに向かって走っていった。
やってくるとそれは木々の間にある別荘らしい。
ニ階建ての建物だった。
灯りはついていないし、別荘で人は居ない。

(これは休むには、隠れるにはちょうどいいかもしれない・・・)

裏口に回った。
裏口の扉には鍵がかかっていたのでどうにかこじ開けた。
中を見ると、暗い。
中に入っていった。
壁のあちこちに窓があって、そこから月明かり、星明かりがうっすらと中を照らしている。
見てみるとそこは台所だった。

冷蔵庫があったんで、悪いとは思ったんですが取っ手に手をかけた。
冷蔵庫を開けると、中から灯りが漏れた。
中には冷えた飲み物やワインがぎっしりと入っていた。
助かったと思った。
ここの主が冷蔵庫の電気を切らずに帰って行ったんでしょうね。
喉が渇いていましたから、飲み物を取り出して喉を鳴らしながらそれを飲む。
そして中に入っていた食料を夢中で食べた。
喉の渇きが癒えて、腹が満たされた。

床にどんと腰を下ろし、足を伸ばし、壁に寄りかかった。
ここだったら雨風がしのげ、追手に見つかることもない。
疲れもあり、助かったという安心感もあり、眠気に襲われたんですよ。
そしてそのまま横になった。
あたりはシーンとしている。
そのままうつらうつらとしていた。

ふいに上のほうで「うわああぁぁああ」という声がして、びっくりして飛び起きた。
声がした。つまりここには人がいる。
誰も居ないと思ったここには人が居る。どうしよう。
元々は自分の感情がコントロール出来ない人なので、どうしかしなくちゃいけないと思った。

冷蔵庫の扉をそっと開ける。
冷蔵庫から灯りが漏れる。
周りを見た。
暖炉があり、薪がある。
男は薪を掴んだ。
声は上から聴こえた。
そっと二階に上がっていった。

二階に上がると、多少幅の広い廊下になっていた。
一方はガラス戸がハマっていて、木々が風に揺れている。
もう一方は障子が閉まっていて、就寝用の小さな灯りがついていた。
障子の隙間から灯りが漏れていた。
障子の取っ手に少しだけ指を置いて力を込める。
そして少しだけ障子を開けてみた。
小さな灯りがあり、布団が敷いてあった。
その中に老人が眠っていた。

(この爺さんか・・・どうしようどうしよう・・・)

その老人が目を開けてこちらを見た。

「・・・誰だ」

若者はもうそのまま部屋へ飛び込んでいき、何も考えられず、老人に馬乗りになり、
掴んでいる薪を老人の脳天へ向け叩きおろした。


「うわあああああぁぁぁあぁぁあ」

老人の悲鳴が上がった。

更に薪を叩きおろした。
老人の断末魔が上がっても、何度も薪を振り下ろした。
飛び散った血が辺りを真っ赤に染めていく。

しばらくして、動きを止めた。
何だかすごく疲れた。
そのまま気を失ったように倒れ、寝てしまった。

翌朝、外がうっすらと明るくなってきて目が覚めた。
隣を見ると、脳天が割られ真っ赤に染まった老人の顔があった。
辺りに落ちている毛布を広い老人の顔にかけた。

(これからどうしよう・・・今この家を出ると、追手に見つかるかもしれない・・・
 それだったらこのままこの家に居よう。暖も取れるし食料もある。雨風もしのげる
 しばらくここに居てから出ていこう)

若者は2,3日死体と一緒にこの家で暮らした。
その後若者はこの家にあった服に着替え、別荘にあった小銭を持って別荘を後にした。

さて、施設はというと、若者が逃げ出したことが世間に知られると何かと都合が悪い。
それで施設は世間に知られる前に男を見つけようと血眼になって調べていた。
そして4日目になり、街へ向かってフラフラと歩いているその若者を見つけた。
若者は人とコミュニケーションが取れない。
対人恐怖症でもある為、ヒッチハイクが出来なかったというわけです。
だから誰にも声をかけず、そのまま街へ歩いていた。
そして疲れきっているところを施設の人間に捕まった。

見ると服が違うし、小銭も持っていた為、どういうことだと若者を問いただした。
すると人の家に入り、盗んだという。

これは窃盗である。
この事態が世間にバレると大問題となる。
何かと表沙汰となって騒がれては困る。
施設としては非常に困った。

でも盗んだといっても、人が居ない家に入って服を着ただけである。
お金だって小銭だし、精神的に病んだ若者が起こした事件だからこちらから出頭すれば大目に見てくれるかもしれないなと思い、
職員がついて警察に出頭した。

警察に事情を話した。
警察も盗難届が出ているわけでもないし、そういうことならばということで一応了解はしてくれた。
そして形だけの取り調べが行われた。

ところが、若者は別荘に忍び込んで薪で老人を殴り殺したという。
途端にその場がどよめき立った。
これは窃盗じゃない。殺人である。

若者の言うとおりに道を走ると、確かに別荘はあった。
別荘の入り口を開け、警官が入っていった。
二階に上がり、部屋の中に敷いてあった布団の中で死んでいる老人を発見した。
ところがこの布団の中の死体がおかしい。
既に白骨化が進んでいる死体だったんです。

恐らくこれは二ヶ月以上前に亡くなっている死体なんですよ。
ということは、この若者が殺したわけじゃない。

考えられることは、この若者は必死になって逃げてこの別荘を見つけた。
そこで偶然布団の中で死んでいる遺体を見つけた。
ところが頭のなかでは怖い怖いと思いながら逃げてきている為、幻覚か妄想で生きている老人に見えたのだろう。
それでその遺体を殴ったというわけである。
警察はそう判断した。

ところが若者に聞くと、そうじゃないと答える。
家に忍び込むと、声がしたんでびっくりしたと。
二階に登って行くと、老人が自分を見て「誰だ?」と聞かれたので思わず殴り殺したと言う。
でもどう考えてもこの若者が言っている話はつじつまが合わない。
それで彼の自供というのを警察の方で少し変えて記録した。

一番、近所で聴きこみをしないといけない。
でも家の傍には他に家は無いんですよね。
それでもどうにかして聴きこみを行うと、二、三話が聞けた。
しかし、聞けた話というのは、次のようなものだった。
 ・あの別荘、たまに明かりが付いている
 ・事件から一週間前に家の中を歩きまわる影を見た

でも老人はもっと前に亡くなっているのでおかしい。
これではオカルトである。
これでは何の記憶にもならない。

老人はどうやら孤独死だったようである。
「若者が飛び込んできて、孤独死している老人の死体を見つけた」
そのように警察は記録して、うやむやのままこの事件を収束させた。

それからまたしばらく月日が経ちまして、
宗教法人の建物のあちこちに痛みが出ているということで、修繕をする為に若い大工さん二人がやってきた。
仮に大工さんをAさん、Bさんとしましょうかね。

毎日この施設を修繕するためにやってくる。
そしてここのスタッフとも親しく話をするようになった。
それで何かの話から、スタッフが「実はね」とこの話をし始めた。

聴いた二人は面白そうなんで行ってみようと言う話になり、その別荘にやってきた。
確かに別荘はあった。
車を降りて別荘の裏手に回ると、警察の立入禁止のテープが貼ってある。
裏口は鍵が壊れたままとなっている。
戸を開けてみた。
懐中電灯で中を照らした。

A「おい、ちょっとおかしいぞ。中がキレイだ。誰か掃除しているようだ。
  もし人が居たら、俺ら家宅侵入になっちまう」
B「それはないだろ。二ヶ月以上死体が放ってあった場所に人が来るわけないじゃないか。
  そんな場所に人が住んでいるわけないし、第一明かりも消えている」

Aさんも確かにそのとおりだと思ったので、そのまま別荘へ入っていった。
壁にある窓から星明かりや月明かりが部屋の中へ差し込んで、部屋の中のあちらこちらを照らしている。

裏口から最初に入った場所は台所だった。
冷蔵庫がある。

A「おい、俺ひっかかっていることがあるんだよ。
  見つかった遺体って結構時間が経ってたんだろ。
  なのに冷蔵庫の中には飲み物・食べ物がタップリと入っているって話だ。
  ということは前に買ったものが冷蔵庫にそのまま入っていたということか?
  でもこの話って何だか妙な気がするんだよな」

B「そうか?そういうこともあるだろ」

そう言いながらBさんが冷蔵庫の取っ手に手をかけ、見るとも無く冷蔵庫を開けると、中から明かりが漏れた。
開けた瞬間二人共驚いた。
冷蔵庫の中は飲み物も食べ物もぎっしり入っている。

おかしい。
若者はここで2・3日生活していたという話である。
冷蔵庫に入っていたものを飲んだり、食べていた。
それだと冷蔵庫の中身は減っているはずである。
何故こんなにぎっしりと入っているのか?
誰が冷蔵庫の中に飲み物・食べ物を補充したのか?
やっぱりここはおかしい。

Aさん「二階に上がってみるか・・・」

二人は二階に上がっていった。
二階に上がると、多少幅の広い廊下がある。
一方は窓になっており、黒い闇と木々が見えている。
もう一方は障子が閉まっている。
障子の縁を指先でひっかけ、開けてみた。

中は真っ暗なので、懐中電灯で照らしてみる。
八畳ほどの和室だった。

A「部屋の感じからして、布団はこういう風に敷かれているよな。
  おそらく頭はこのあたりだろう。
  若者はこの辺りで老人と目があったんだろう。
  そしたらこの辺りで若者は老人に馬乗りになり、薪で頭を殴りつけたということだろうか」

見るとBさんが居ない。
AさんはBさんもてっきり後を着いてきているはずだと思っていた。
しかしBさんの気配がない。
Aさんは怖くなり、急いでその部屋から出ようと階段に向かおうと、明かりを部屋から廊下に向けた。
その途端、自分の後ろに暗い闇が出来た。
一瞬その闇の中に誰かが立っているような感じがした。

Aさんは冷えた汗が出て、首筋から背中へ流れていく。
Aさんは懐中電灯で足元を照らし、階段の前まできた。

A(落ち着け・・・落ち着け・・・)

階段を一歩一歩ゆっくりと降りていく。
Aさんはその途中足を止めた。

A(居る・・・やっぱり気配がする・・・)

かすかな息遣いが聴こえる。
Aさんはどうしようと思ったが、自分を奮い立たせまた階段を一歩一歩降りていった。
途中、階段がギィと軋んだ。
するとまた、自分のすぐ後ろで階段がギィと軋んだ。
自分の後を誰かが着いてきている。

A(B、来てくれよ・・・。助けてくれ、頼むよ・・・)

Aは後ろを決して振り向かずに階段を降りていく。
あと二・三段で降り切るという時点で、気配が更に近づいたように感じた。

A(あぁ、もうダメだ)

その時、前方の闇のほうから「うわぁああ」と声が聴こえた。
途端に自分に対し明かりが照らされた。
その瞬間、Aさんは階段を飛び降りた。

A「おい!B!」

Bがやってきて、二人は走って裏口から外へ出た。
そして一目散に車に向かって走っていった。

A「あぁ・・・怖かった。
  いやぁ、参ったよ。二階に上がった時にてっきりお前も来ていると思ったよ。
  部屋の中に入るとお前居ないんだもん。
  それで帰ろうと思ったら、後ろに誰か立っているし。
  もう駄目だと思いながら階段を降りている時、心のなかでお前のこと一生懸命呼んでたんだ。
  でも良かったよ。闇の中でお前が声を出して明かりを向けてくれたから。
  そのお陰で一瞬隙ができて俺は助かったんだ。
  お前、俺に明かりを向けた時に俺の後ろに居た奴を見たか?」

B「いや、見なかった。
  それに、俺は声なんかかけてないぞ。
  声がしたんで俺は明かりを向けたんだ」

Bさんは声を出していない。
Aさんも声を出していない。
二人共声なんか出していないんですよね。
ということは、二人が聴いたあの声は一体誰だったのか。
どうやらこの別荘には妙な何かが居るようなんですよね・・・。

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