Yの家

947 :ほんのり:2006/08/23(水) 05:32:31 ID:lIrFzkWp0

中学時代の仲良し、Yの家は築六十年の高台に建つ洋館で、一階の突き当りに彼女の自室があり、放課後によく遊びにいったものだが、遅くまで長居したり、「お泊まり」した経験は一度もなかった
途中廊下の中ほどに夏場でも閉められた引き戸があった
増改築を繰り返した館の歴史は聞いていたし、さほど気にとめていなかったのだけど、ある時に戸が開いていて、奥の部屋が見えた
この屋敷にしては狭い部屋で、六畳ほどの応接間
内は暗い赤で飾られていた 大きいだけの安っぽいシャンデリアがぶら下がり、年代もののテーブルとソファー 隅にはデカンターの類が並んだ小さな棚がしつらえてあった
窓には重い、これも赤の更紗が引かれていた
息苦しくて不健康な部屋だった
後ろで私が戸口から中の様子を覗っているのに気付くと、彼女は振り返り、「入ってみる?」とにやにやしながら訊いた
私は首を振り、そのまま彼女の自室へ向かった
その日以来、ずっと閉め切りだった赤い部屋の戸は、ときどき開かれているのを目撃するようになった(もっとも、たいていは閉じられていたのだけど)
一度だけ部屋に入った事がある

中学の卒業間際、屋敷には彼女と二人きりだった
飲み物を前にして、ギシギシと音の鳴るくたびれたソファに並んで座っていた
私は一気にコップのジュースを飲み干したので、五分も滞在しなかったに相違ない
高校、大学と進路は別れたが、Yとはそれからも交際は続いた
ただ屋敷にお邪魔することは滅多になくなり、大学に入ってからはずいぶんと疎遠になっていた
何気ない会話から、大学の友人RがYの高校時代の同級だったことを知った
あの屋敷にも何度か行ったことがあるという
「そうだ、赤い部屋見た?」
「ん?」
「あw ほら、廊下の右側にあるシャンデリアのある応接間よ 真っ赤な内装だから 勝手に私がそう呼んでるだけ」
だが彼女は知らないという
たまたま彼女が行った時は戸が閉め切ってあったのかと思った
「ほら、黄色い木の引き戸があったでしょ? その向こうが応接室になっているのよ」
「ううん 木の戸は知ってるよ でもあれは壁に作り付けの棚の扉なのよ」
一気に顔を曇らせた私に、穏やかな口調で彼女は続けた
「あれは書庫みたいなものかな? 上から下まで本がギッシリ 部屋の戸じゃなかったはずだよ」
わけがわからなかった
簡単な間取り図を描いて二人で確認してみたけど、位置は間違いなさそうだ
でも彼女はその場所は棚だという
Rが屋敷に行ったのは高校時代、でも私は大学入学後もお邪魔したことがあって、赤い部屋もその時見ていた
だけど私は
「そっかー 間違えたのかな? あそこ広いからわけわかんなくなっちゃって」
と、話を打ち切りにした
Rはもちろん納得しなかったはずだけど、にっこりして、この話題を終わらせるのを歓迎したみたいだった
それからしばらくしてRから連絡があった
驚いたことに、彼女はYの屋敷を訪問してきたと言った
ほとんど交流の絶えていたYの家に、近くに寄ったという理由で強引に屋敷に上りこんだのだという
さらに剛毅なことには、閉まっていた木の扉を(ちょっと見せてね)、相手の返事を待たずに引き開けてきた次第
結果は訊くまでもなかったが、記憶通りの書庫だったとの事
YはRの無作法にも不快な様子を見せず 例のにやにやした笑顔を向けただけだったらしい
訪問の意図も、私との関係も黙って、適当な話をして帰ってきたと告げると、Rは挑むように切り出した
「サア、ドウスル?」

「あれ? 今月は旧友が訪ねてくる星回りなのかな?」
そんな嫌味への返答を想定しながら向かったのだが、Yは旧友の突然の来訪をそれ相応に喜び、歓迎してくれた
だが、すぐに私の顔色が変ると、本心から心配してくれたようだった
ありがたいことに戸は開かれていた、
もし自力で開け放ち、目前に饐えたあの赤い部屋が広がっていたら、その場にしゃがみこむほどの衝撃を受けたことだろう
「どうしたの?」気遣いの言葉に、往時の友情がこみあげてきて、Rとの事、Rと私を重苦しくさせるこの屋敷の謎を彼女に打ち明けたくなったが、どうしても言い出せなかった
私は彼女の元を辞した
Yは「また会おうね」と声を掛け、とても優しく私を送り出してくれた
駅までの帰り道、少し涙をこぼしたのを覚えている それきり、Yとは会っていない

翌日Rと話をした
赤い部屋の事を聞いても、Rは驚きも憤慨もしなかった 
「私が行くと本棚、あなたが行くと暗く赤い部屋」Rは寂しそうに笑った
「じゃあ今日これから。。。二人で行こう」Rはそう言った

夕方、私達は連れ立って神戸の駅に降りた
空が赤い
高台の洋館、扉の向こうに赤い部屋と書棚のある屋敷、なによりも懐かしいあの友人の家が、劫火につつまれていた

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