電話の相手

250: 全裸隊 ◆CH99uyNUDE 2005/11/03(木) 08:04:17 ID:If1MmDfF0
10年も前になると思うが、ある登山家が遭難死した。 
一般的にはともかく、登山の世界ではそれなりに知られた男で、 
ヒマラヤの、ある高峰を世界で初めて登頂したパーティーに 
参加していた。 
彼自身も山頂に立っていたと思う。
俺自身、面識はない。 
顔見知りでも、知り合いでもない。

彼は、俺の友人が属していた高校山岳部の顧問をしており、 
友人の自慢の種だった。 
友人は、彼のことを「御大」と呼んでいた。

ヒマラヤの厳しさ、美しさ、神々しさ。 
ヨーロッパの山々の、独特の色。 
日本の山にはない、あれこれ。 
同時に、日本の山々の、美しさ。 
御大が語る山は、それがどんなにつまらない山であっても 
魅力に溢れていた。 
高校入学後に山を始めた彼にとって、御大は神だった。

その御大が、海外での登山中に死んだ。 
御大の名前と顔写真が、テレビニュースの電波に乗った。 
俺は数年ぶりに友人に電話した。 
御大を慕い、御大と山に行ける喜びを語ってくれた友人。

その友人は、無関心だった。 
冷淡でさえあった。 
御大の死を知らないのかと思ったが、かつての山岳部の 
仲間から連絡があり、テレビニュースも見ていた。
彼の言葉に、御大との日々を懐かしむ響きさえない。 
それどころか 
「俺、あの人の事を良く知らないんだ」 
卒業後、顔を合わせた事もないらしい。 
友人は「御大」という言葉さえ使わない。 
「ただの顧問だからなあ」 
「ま、ご冥福をって、それは思うけど」 
通夜にも、葬儀にも友人は行かないと言った。 
「虚礼廃止っていうだろ」 
そう言って、電話の向こうで彼は笑った。 
悲しかったが、間違いなく、古い友人だった。

数ヵ月後、その友人と電話で話していた。 
俺が御大の死を知ってかけた電話を、彼は知らなかった。 
俺と電話で話す事など、あり得ないと言い切られた。

その時期、仕事が忙しく、連日深夜まで働いていて、俺が 
電話をかけたような、世間並みの時間に帰宅していた事など 
無かったという。 
その中、友人は御大の葬儀に出席し、部のOB会主催の 
追悼山行にも参加していた。 
「人生を教わった恩人だからね」

あの時の冷淡な電話の相手は、確かにその友人だったんだが。

前の話へ

次の話へ