花いちもんめ - 安曇潤平

山友達の滝川という男が夏の北アルプスに登ったんです。
三千メートルくらいの山なんですけど、頂上の近くにテントを張って一泊してそれで降りてこようという計画だったんです。
ピストンと言って、登った道をそのまま変更せずに降りてくるやり方ですね。
縦走はしないんです。

上りはまずまずの天気だったんですが、段々と風が強くなってきて雨になってしまったんです。
かと言って登山には慣れてますし、雨は雨で楽しもうと思ってカッパを着て頂上直下のテント場までやってきたんです。
隣には山小屋もあって、その隣のテント場にテントを張り中に入って一段落していたんです。
そうしたらドンドンと雨は強くなってきてざーざー降りの大雨になってしまったんです。

けれどもテントはもう張ってしまっていますし、一晩はここで凌ごうと夕食を作ったりして過ごしていたんですが雨はますます強くなってきたんです。
雨強いなと思いながらテントを少し開けて外を見てみると、テント場というのは広場のようになっていて何人もテントを張れるんですが、来た時は四張り五張りとテントを張っていたんですが、今は滝川のテントだけになっているんです。
どうやら他のテントの人たちは雨があまりにも強いのでテントをたたんで山小屋に移ってしまったようなんです。
テントが浸水してしまうかもしれないという心配もあったんですが、この雨の中テントを畳んで山小屋に向かうのも面倒くさいなと思い、滝川はテントで過ごすことにしたんです。

夜遅くになって、足音が自分のテントに近づいてくるんです。
気持ち悪いなと思って身構えていたんですが、なんてこと無い、山小屋のスタッフだったんです。

「お客さん、テント大丈夫ですか」

「大丈夫です」

「お客さんが明日縦走で移動するなら危ないかなと思って声をかけに来たんです。
 実はこの雨で山道が崩落してしまって、隣の山まで行く道が無くなっちゃったんですよ。
 それだけ言いに来たんです」

「あー、大丈夫です。
 明日は頂上まで行ってピストンで戻ってくる予定なので。
 わざわざすみません」

翌日起きてみると、天気は回復していました。

(あー、こんなに良い天気なら勿体無いな。
 明日も休みだし、隣の山まで足を伸ばしてみたかった。

 でも山道が無くなっているんならしょうがないな。
 これだったら仕方ないからのんびり下って下で蕎麦でも食おうかな)

滝川はそんなことを考えながらテントを仕舞って、下に降りていったんです。
途中まで下って隣の細い道に入ると広い広場のような場所があるんです。
それは登山者の丁度休憩所のようになっている場所なんです。

大きな石があって、広場のようになっていて、その端に扇の雪渓と言って、夏でも雪が残っているような場所があるんです。
そこに風が当たるととても冷たい風が流れて気持ちが良いんです。
もう下に降りて蕎麦を食べるだけだしと思った滝川は本筋を一本離れて、その広場で休憩することにしたんです。
平らな石を登って滝川はそこで仰向けに寝たんです。

(あー、良い天気だなぁ。
 昨日がこの天気だったら最高だったのに)

そんな風に思いながらポカポカ日当たりのいいところにいると段々と眠くなってきたんです。

(周りに何人も同じように休憩している人が居るし、まだ午前中の早い時間だから少しうとうとしてもいいかな)

周りの人は天気が良くてこれから登っていく人でしょうが、滝川はこれから下るだけですから、平らな石の上で仰向けになりながら腕を枕にしてうとうととしていたんです。
そしたら小さな声で花いちもんめの歌が聴こえてきたんです。

 勝って嬉しい花いちもんめ

でもそういうことってよくあるんですね。
ある程度のところまで降りてくると、谷に沿って風が吹くと麓で子どもたちが歌っている声が、風に乗って聴こえてくることがあるんです。
有名な話では、ヨーロッパの垂直のアルプスでも何千メートルも登ってきたのに、すぐ下から麓の牧場のカウベルの音がすぐそこで聴こえるってことがあるんです。

滝川は、あぁ麓の子どもたちの声が風に乗って聴こえてくるんだなぁと思いながら、またうとうととしていたんです。

 勝って嬉しい花いちもんめ

 負けて悔しい花いちもんめ

(あぁ俺もこんな歌を昔歌ったな)

なんて思いながらうとうとしていたんです。

 あの子が欲しい

 あの子じゃ分からん

 この子が欲しい

 この子じゃ分からん

 マキコちゃんが欲しい

滝川はマキコちゃんという人が選ばれたんだと思ったんです。
滝川はなおもうとうととしていたんですが、突然滝川の耳元で「タケオ君が欲しい」という声が聴こえたんです。
たけお君というのは、滝川の名前なんです。
慌てて飛び起きて周りを見るも、誰もいない。
周りを見回しても、休憩している登山者しかいないんです。
自分のすぐ側には誰もいない。

滝川は驚いて慌ててまた下っていったんです。
下っている途中に地震が起こったのか、少し山が揺れたんです。
でも気持ち悪い声を聴いてしまったこともあり、滝川はそんなことを気に留めずに急いで下っていったんです。

下まで降りてきて、広い駐車場を通って、駐車場の脇でやっている古い蕎麦屋で一息つこうと中に入ったんです。
中に入ると、中には登山客や地元の人が数人居て、なんだかザワザワしているんです。
空の上の方ではバタバタとヘリコプターの飛ぶ音がします。

お蕎麦屋さんにポツンとあるテレビには、たった今自分が降りてきた山道が映っています。
よく見るとそこは自分がさっきまで休憩していた広場の映像なんです。
周りがザワザワしているので「何かあったんですか」と聞いてみると、

「昨日の大雨で地盤が緩んで、斜面が崩れて広場が半分埋まってしまったんです。
 幸い登山者のところまでは土砂は行かなかったんだけども、ぽつんと離れていたところにいた女の人が埋まってしまい、亡くなってしまったそうなんです」

「あー、良かった。
 さっきまで俺が居たところじゃないか。
 もう少し遅かったら巻き込まれていたかもしれない」

次の日新聞を見てみると、その人は河村真紀子さんという方だったんです。
滝川が僕に、「あの時は本当に怖かったんだけど、あれは神様の声かもしれない」と言っていたんですよね。

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