病院の子供の声

病院。そこは一歩踏み込んでしまうと、元気に無事に帰ってくるか、またはそのまま二度と帰ってこないか。
要するに、そこは生と死の境界線なんですね。

わたしのまだ若い頃の話です。
わたしの姉の親友で、まあT子さんとしておきましょうかね。
運動が万能な素敵な女性なんですが、わたしもこの方の家に何度か遊びに行った事があるんですよ。

それで、このT子さんがスキーをしに行ったんですね。彼女は素晴らしくスキーが上手いんです。
ただ、その時に勢いが余って、段差のところに突っ込んで、結構な怪我をしてしまったんですね。
怪我は骨折だったんですが、雪って白いから距離感が掴めなかったんでしょう。

それで、地元の小さな病院に入院するハメになっちゃったんですね。
一緒にスキーに来ていた他の連れは、仕事があるって事で東京に帰っちゃったんです。
それで暇なものだから、何かにつけて私の姉に電話をしてくるんですよ。

そんな時に姉が、T子がおかしい事を言ってるって言うんですよ。
「なんなんだ?」って聞くと、
「それが、わたしに病院にすぐ来てくれないか?って言って、病院にいるのをすごく嫌がってる」
って言うんですよ。

というのも..
小さな病院がスキー客の怪我人が多かったのか病室がほとんどなくて、彼女の居る病室は広い踊り場で、
そこをカーテンで仕切って入院してるっていう事なんですね。
それで昼間はやる事がないですから、ブラブラしてるんですよ。
ところが、夜になってボーっとしていた。
消灯は早いですから、やる事がない。

夜中が過ぎた頃ですかね。
「お母ちゃん~お母ちゃん、お母ちゃん」
小さな女の子が涙声でお母さんを呼んでいる。

「ん?」T子さん目があいた。

(あー可哀想になあ、ここに入院している女の子がいるんだなあ..)そう思った。
気の毒になったんですね。
夜一人になって目があいて、お母さんが居ないから呼んでるんでしょうね。

「おかあちゃ~ん..」
なだめてあげたいんですけど、自分も足折っちゃってるから歩けない。
思うように動かせないから、まあいいかあ..と思っているとそのうち寝ちゃった。

翌朝になったんで看護婦さんに、
「あの小さな女の子なんで入院しているんです?」と聞いてみた。

看護婦「え?」
T子「いや、このお部屋で入院していらっしゃる小ちゃい女の子」
看護婦「いえ、ここには子供は一人も入院していませんよ」
T子「え?だってわたし昨日聞いたんですけど。じゃあお見舞いに来たのかなあ?」
看護婦「夜中にお見舞いは来ないでしょう」
T子「でも確かにわたし聞いたんですけどね..」
看護婦「あぁ..そうですか..」
と言って、看護婦さんは行っちゃった。

(おかしいなあ、空耳にしては随分はっきり聞いたんだけどなあ..)

T子さんその日は昼間気持よく寝ちゃったものですから、夜目が冴えちゃった。
ああ、弱っちゃったなあ..昼間寝ちゃうから夜寝れなくて..

そうこうしているうちに、時計が一時を過ぎて午前二時。
(嫌だなあ..もういいか、明日寝てれば。昼間)と思ってた。

すると、自分の並んでるベットの、1つか2つ向こう位から、
「おかあちゃ~ん、おかあちゃ~ん、おかあちゃ~ん」と声がする。

(空耳じゃない。確かに昨日聞いたのと同じ声で、女の子がお母さんを呼んでいる)

「おかあちゃ~ん、おかあちゃ~ん」聞いているうちにゾクッと寒気がしてきた。

(一体この子どこから来たんだろう..なんなんだろう..よーし明日になったら調べてやろう)そう思った。

それで、夜が明けてから、ベットから降りて、その踊り場の病室を調べてまわったんですね。
すると、入院してるのは、自分と、隣のベットが空きになってて、その向こうにベットがあってカーテンで仕切られている。
そこにお年寄りが一人入院しているんですね。

(あれ?他には居ないしなあ..お孫さんでもきたのかな?)と思いつつ、何だか気になるから姉に電話してきたんですね。
なーんかここ変だよ。むかえに来てくれない?って言ってたんですね。

そして看護婦さんに「やっぱり女の子いたんですよ。泣いてましたから。お母さんって呼んでましたもん」って言ったら、
看護婦さんは「いえ、そんなはずありませんよ。だってここには女の子なんて入院していませんから」とまた言う。

T子さんは、じゃあ今夜絶対にその正体をみてやろうって思ったんですね。

昼は寝て、夜は目をあけたままジーッっとしてた。
十二時を過ぎて一時をまわって、そろそろ二時。
そろそろだなあ..と思ってる。

すると、並びのほうから、
「おかあちゃ~ん、おかあちゃ~ん」小さな女の子の声がする。

よし!怖いけど、T子さんは度胸のある人でしたから、ゆっくりとベットから降りて、音がしないように足をひきずるようにして
背をかがめて声のほうに近づいていった。

隣のベットには誰もいない。空っぽのまんま。
次のベットはおばあちゃんなんですが、覆われたカーテンの向こうから声がする。
「おかあちゃ~ん、おかあちゃ~ん」
やっぱりおばあちゃんのところに来ているんじゃないか!
白いカーテンの向こうから、確かに「おかあちゃ~ん、おかあちゃ~ん」と声がする。

よーし見てやろと思って、T子さんゆっくりカーテンの隙間に近づいていって、隙間に目をやった。
シルエットがうつっちゃいけないと思ったので、なるだけ屈むようにしていった。

何かがザワザワ動いている。
「おかあちゃ~ん、おかあちゃ~ん」
うっと思いながら、よーしと思って覗いた。

その時T子さんが見たものは、ベットの上に起き上がった老婆が人形を抱いてこっちを向いて、
「おかあちゃ~ん、おかあちゃ~ん」と言っている姿だったんですね。
老婆の声は、まるで3、4歳の女の子の声だった。

人形を抱きながら、
「おかあちゃ~ん、おかあちゃ~ん」
と言っている。

さすがに気持ち悪くなったもんですから、T子さん音がしないように自分のベットまで戻った。
その日はどうしようもすることが出来ない。まんじりともしないで夜が明けた。

するとその瞬間スーっと眠くなっちゃったんですよね。いい気持ちになって寝ていると、
ガタンガタン音がするので、なんだろうと思ってた。看護婦さんが慌ただしく出入りする。

ん?なんかあったのかな?と見ていると、隣の隣のベット。あのおばあさんのベットを行ったり来たりしている。

「ね~可哀想ねえ..誰も身寄りがいないんだって..」とああだこうだ言っている。

T子「あの!なにかあったんですか?」
看護婦「ああ、こちらのねお祖母ちゃん、今朝方亡くなられたんですよ」
T子「え...そうですか..」

何時間前まで、確かに声を聞いてただけにT子さんいい気持ちはしなかった。

看護婦「身寄りがない人でかわいそうなんですよね。荷物って言ってもこれだけですからね..」
と言って、荷物を片付けて持っていっちゃった。

あとから来た看護婦さんが、「よかったですね!これから広くなりますよ!」って言った。
T子さんから冗談じゃない。広くなったって人が亡くなったばかりの部屋ですからね..

T子「すみません、どっか部屋あいてないですか?変えて欲しいんですけど..」
看護婦「他はもういっぱいですしねえ..これだけゆったり使える人なんていませんよ?そんなに長い入院じゃないんだし我慢して下さい」
そう言って出て行っちゃった。

仕方がない。我慢するしかないですよね..

そんな夜。やはりいい気持ちはしないですよね。どうにも眠れない。
(わあ..寝なくちゃ。どうにか寝なくちゃ。寝なくちゃ、寝なくちゃ、寝なくちゃ)と思った。

夜中を過ぎて一時位になると、うまい具合に寝る事が出来た。

寝ていると、突然耳の近くで
「おかあちゃ~ん、おかあちゃ~ん」って言うんで、目が覚めた。

誰もいないはずの自分のカーテンの中から、
「おかあちゃ~ん、おかあちゃ~ん」声がする。

(助けてー)と思ったけど、声が出ない。体は固まっている。

耳のそばで「おかあちゃ~ん、おかあちゃ~ん」って声が響いてる。
ナースを呼びたいんだけど、わからない。体が動かない。

(お願い助けて。助けて下さい。)必死に思ってる。

「おかあちゃ~ん、おかあちゃ~ん」という声が聞こえたと思ったら、スーっと意識が遠くなった。

次の日、病院にこのままで構わないから東京に帰りますと話をしにいった。
看護婦「そうなんですか..」と言いながら看護婦さんがやってきた。

看護婦「あら?」

見ると、T子さんのベットの下に、忘れていったのかなんなのか、あのおばあちゃんが抱いていた人形が落っこちていたそうですよ。

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