ミシン

栃木に住む年配の女性で、仮に奥田智子さんとしておきましょうか。
それはこの人が若いころ、昭和三十年代の話なんですが、
その頃智子さんは地元で洋裁店を開きたいという夢があったので
東京の洋裁学校に入学したんです。

当時は洋裁学校というのはあちこちにあったようですね。
それで智子さんが入学した洋裁学校にも地方から上京してくる生徒たちが結構いたんですね。
ただね、まだこの時分というのはまだあまり近くにアパートが無かったので
みんな学校の寄宿舎に入るんです。
宿舎と言っても立派なものではないんです。
古い木造の日本家屋なんです。

そこに何人かずつに分かれて共同生活を送るわけなんですけどね、
こういった建物というのは戦時中に疎開していく人たちが売っていった建物なんです。
こういった家が学校の周りにも何軒かあった。

その一つに智子さんも入ったわけなんです。
十代から二十代の年齢もバラバラで出身地も違う。
若い女の子たちが八人ほど入るんです。
で、先輩後輩はもちろんあるんですけど、そこは若い女の子ですから、ワイワイギャーギャーと賑やかにやっているわけだ。
それで夏休みになるとこの寄宿生達が皆実家に帰るということで、学校としては共同の場所を少し建て増ししようとなったんですね。
まぁこれは来年に備えてのことなんですけどね。

ただ智子さんと、もう一人の寄宿生の和代さん、この二人は夏休みに入ってもしばらくは東京に居ることにしたんです。
それっていうのは実家に帰っても退屈だし、憧れの東京で夏休みに少し羽根を伸ばそうと、そういう気持ちだったんですね。
それで学校の事務局に申し入れた。
学校の方からは工事の最中だけ、違う寄宿舎に入ってくださいねということを言われた。
それで二人は身の回りの物や着替えのものを持ってそちらの寄宿舎に移ったんです。

ここも古い木造の日本家屋なんです。
ただまだ一度も使われていない。
もう長いこと使われないままでいた、そんな家なんですね。
片付けも済んだんで智子さんが和代さんを誘って遊びに行こうと思っていると、
和代さんが

「ごめんね、私おばさんのところに泊まるから」

と言ってさっさと出かけてしまった。
それで智子さんは一人残ってしまったんです。
まぁ元々一人でも残るつもりだったので、気にはならなかった。

それで智子さんはじゃあ今日は近場をグルグルと回ってみようと思って一人出かけてみた。
あちこちを回って歩いて、買い物をしたり店で食事をしたりしながらそうこうして帰ってくると、あたりはもう暗くなっている。
そして一日目が終わったわけだ。

夏と言ったって当時は扇風機もそうそうある時代じゃないので襖を開けっぱなしにして
蚊取り線香を炊いて布団を敷いて寝間着に着替えて腹ばいになってファッション雑誌を広げて目を通していた。
そうして時間が経っていく。

あたりはシーンとしている。
いつもだったら他の寄宿生の笑い声や話し声が聴こえてくるんですが今日は全く聴こえない。
段々と時間が経っていく。
シーンとしている。
まぁ初めての家ですし、長いこと使われていないような家なんですがおそらくここだって家族が昔暮らしていたに違いない。
あまり静かなのでどうも気持ちが悪い。
何だか台所の方から音が聴こえてくるような気もするし、暗い廊下を足音が聴こえてくるような気もするし、
奥の襖が閉まったその部屋、そこに人がいるようなそんな気もする。
やっぱり一人は嫌だなぁと思ったけども仕方ない。
まぁそうしているうちに段々と眠くなってきたのでさぁ寝ようと小さな豆電球一つを残して目をつぶっていつかしら眠ってしまったんです。

それから夜中頃、フッと目が覚めた。
蚊取り線香の煙がゆったりとなびいている。
あたりはシーンと静まり返っている。

(静かだなぁ)

と、何処からか

ジャカジャカジャカジャカジャカジャカ

ミシンの音が聴こえたので(あら?)と思った。
人の寝静まった夜の夜中、何処かでミシンをかけている。
ぼんやりと(あぁ誰かがミシンをかけているんだなぁ)と思った。
ミシンの音を聞きながらいつかしら眠ってしまった。

翌朝目が覚めてからこの家は一体どんな家なんだろうと思い、家の中を見て歩いた。
いくつか部屋はあるんですが、何もない。
と、その時に(あら?)と思った。
暗い廊下の突き当り、板戸がピタッと閉まっている。

(あ、あそこにも部屋があるんだ)

見るとそこは納戸なんですね。
家の中の物置だ。
何かあるのかなと思い、行ってみて板戸を開けた。
中は真っ暗なんで柱のところにあるスイッチを入れた。
と、黄色みを帯びた電球の明かりがフワッと付く。
見るとそこは畳二畳ほどの板の間なんですね。
窓が無くて壁だけなんです。
そして目の前には古い足踏みのミシンが一台だけ置いてある。
壁にはウエディングドレスのような白い衣装が掛かっている。
見てみるとそれは縫いかけなんですよね。

(えぇ、これはなんだろう)

そう思って手にとってみた。
これもミシン同様古いもので昨日今日縫ったような跡は無い。

(何でこんなところにミシンと衣装があるんだろう)

そう思いながら板戸を閉めた。
それでこの日は早めにお風呂屋さんに行って帰ってくると、よそ行きに着替えて銀座に出かけた。
流石に銀座ですからオシャレをした人が行き交っている。
デパートのショーウィンドウには流行の服を着たマネキン人形がずらっと並んでいる。
店内に入ると制服を着たデパートガールがあちこちで「いらっしゃいませ」と声をかけている。
垢抜けた人が行ったり来たりしているだけで何だかワクワクしてきた。

一階、二階、三階とあれこれ見ながら、そして屋上に出た。
と、銀座の街が一望出来る。
(東京はすごいなぁ)と眺めている。
それでしばらくして一階に下りた。
そこはデパートの大食堂なんです。
当時はデパートの大食堂というと、大変人気があったんです。
というのはメニューも豊富だし、味もとてもいいんです。
大体デパートの最上階にあるんですが、女性の間では当時アイスクリームが人気があった。
それでアイスクリームを食べてまたあちこち見てみようと順繰りと一階ずつ下りながら眺めてみた。

あれこれと眺めてデパートを出て、(じゃあ今度は店を見てみようかな)と思った。
店をあちこちを見て、(じゃあ今度は地下鉄に乗ってみよう)と思った。
そうこうして家に帰ってくるともうあたりはだいぶ暗くなっている。
そうしてまた一日が終わったわけですね。

どうやらこの日も和代さんは帰ってこないようなので戸締まりをした。
襖を開けっ放しで蚊取り線香を炊いて布団を敷いて寝間着に着替えてパタンと腹ばいになると、
またファッション雑誌を広げて見ていた。
そうするうちにうつらうつらとしてきたので豆電球の小さな明かりを一つつけて目をつぶるうちにいつの間にか寝てしまった。

それが夜中を回った頃、また目が覚めてきた。
あたりはシンとしている。
段々と目が冴えてくると雨音が聴こえてきた。

(あれ、雨が降っているんだな)

耳を澄ましていると瓦屋根を雨が叩いている音が聴こえる。

(あら、いつから降りだしたんだろうなぁ)

聴くとはなく雨音を聴いている。
と、この雨音に混じって

ジャカジャカジャカジャカジャカジャカ

ミシンの音が聴こえてきたので(あら?)と思った。
雨が降る人が寝静まった夜中、誰かがミシンをかけている。

(何処の家でミシンを使っているんだろうな)

フッと思った。

(雨が降っているから今晩は何処の家も雨戸を閉めているに違いない。
 それに今は雨が降っている。
 こんなにミシンの音が聴こえてくるわけがない)

そのように思っていたら、どうやらミシンの音は家の中から聴こえている。

(え、誰だろう。
 こんな時間に一体誰が来ているというんだろう)

何だか怖くなってきてしまった。
明るい時間に「お邪魔します」と来るなら分かる。
たとえ夜だったとしても「こんばんは」くらいは言って入ってくるはずだ。
(人が来るなら分かるはずなのにな)と思った。

確かにミシンの音がしている。
(これはもしかしたら納戸のミシンじゃないだろうか)とふと思った。
そして昨日のことをふと思い出した。

(昨日もミシンの音がしていた。
 でもそれは何処かの家でミシンをかけているもんだと思った。
 でもどうやらそれもこの家の中のミシンらしい。
 でもそれはおかしい。
 朝時分が戸締まりを確かめた時に、前の日に時分が閉めた時のままになっていたはずだ。
 それならば一体どうやって入ってきたと言うんだろう)

段々と怖くなってきて気持ち悪い。
どうしようと思いながらも起き上がってしまった。

ジャカジャカジャカジャカジャカジャカ

相変わらずミシンの音がしている。

(嫌だな、怖いな)

そう思いながらソッと廊下に出てみた。
暗い廊下の突き当り、納戸から黄色い明かりがうっすらと漏れてきている。

(いる、やっぱりいる。
 誰かがやっぱり来ているんだ)

誰かが納戸の中でミシンを使っている。
一体なんでこんな時間に人がいるんだろう。
怖いものですから逃げ出したいなぁと思うんですが、雨の降っている夜中ですからね。
逃げ出すといったって行く宛はない。
じゃあこのまま寝たふりをしようかなと思ったけどもそうはいかない。
膝のあたりがガタガタと震え始めた。
怖い怖いという気持ちはあるんですが、その気持とは裏腹に
一体誰なんだろう、何処から来たんだろうという興味も湧いてきた。
それで怖いなと思う気持ちとは裏腹に足が勝手に納戸の方に向かっていった。
足音を忍ばせてヒタヒタと板戸の前まで来た。

ジャカジャカジャカジャカジャカジャカ

板戸の向こうからミシンの音が聴こえる。

居る、確かに中に居る。
板戸の向こうで確かに誰かがミシンをかけているわけだ。
それで光が漏れている板戸の隙間から、ソッと中を覗いてみた。
中は明るいんですが、見えるのは納戸の隅のほうだけなんです。
板戸に明かりがあるわけですから、他が見えない。
ミシンが音を立てている。
それでこのミシンの音に合わせて少しだけ板戸を開けた。
と、もう少しだけ中が見えた。

でも中を覗いても人の姿は無いんだ。
二畳ほどの狭いスペースだから、人が隠れるスペースなんて無いんだ。
それなのに人がいない。
壁にはあの白いウェディングドレスが掛かっている。
それで目の前でミシンが動いている。
見ると針も糸も無いんですが、ミシンが動いている。
戸を広げたので音が大きくなっている。

(え、これは一体どういうことなんだろう)

足踏みのミシンですから、蓋になっている板を上げているとこれが台になるわけだ。
そして中の本体を引き出して立てる。
それで足踏みですから、連結している輪っかを踏むと大きい輪をミシンと繋ぐわけだ。
それでミシンを踏むと、ミシンが動く。

確実に誰かがその作業をしたに違いない。
でもその作業をしたはずの人間がいないんだ。
一体どういうことなんだろう。
雨が降っている、人が寝静まった夜中に閉めきった納戸の中に明かりがついて、
ミシンだけが勝手に動いているので流石に智子さんは怖くなってきた。
怖いんですが気になるわけだ。
ペダルを踏まないとミシンは動かないわけですから、一体下の方はどうなっているんだろう。
上に明かりがついていて台があるので、下は闇になっていて見えない。
そうしながら、視線を下の方にずらしていった。

段々と目線を下げていく。
やがて薄暗いミシンの下が見えてきた。
段々と体を下げて、両膝が床についた。
正座をするような格好になって、そして下をヒョイと見た。
ミシンの下の薄暗い闇の中、誰かがいる。
頭が見える。

(え、一体なんだろう)

どうやらそれは女の人のようなんですけど、板のところに正座をするような格好で何かをしているようですが、
その格好がなんだか変な感じがする。
おかしなバランスをしているわけだ。
気になるものですからまたミシンの音に合わせてまた少し襖を開けた。

ジャカジャカジャカジャカジャカジャカ

ミシンの音がまた一段と大きくなった。
一体どういうことなんだろうと思ってなおもよく見た。
と、次の瞬間

「あー!!」

と思わず声をあげてしまった。

それは正座をしているんじゃないんだ。
両足の無い、上半身だけの女がミシンのペダルに両手をついて、手でもってミシンを漕いでいるんだ。

ジャカジャカジャカジャカジャカジャカ

智子さんが声を上げてしまったもんですから、女がフッとこちらを見た。
漏れた明かりがそれをフッと照らしたその途端、悲鳴を上げて智子さんは倒れてしまった。
それは顎の下から真っ赤に血に染まった若い女の顔だったそうですよ。

時間が過ぎて智子さんがフッと気が付くと、あたりはもうすっかりと明るくなっている。
そして板戸はピタッと閉まっている。
智子さんは慌てて起き上がった。
それで急いで着替えると、学校の事務局に行って寄宿舎を変えてもらうようお願いしようと思った。
学校へ着くと顔見知りの掃除のおばさんがいた。
この人は学校の近所に昔から住んでいる人なんですね。
それで「おばちゃん、あのね」と言って夜中の体験を話すと、聞いていたおばさんの顔がみるみる青ざめていった。
おばさんはブルっと震えると

「あのね、あなたのいるあの家だけどもね。
 昔あの家に洋裁学校を卒業した、娘さんが一人いたの。
 この人は自分の結婚式の衣装を時分で縫っていたのね。

 ところが当時は戦争で灯火規制がされていたでしょう。
 夜に電気をつけていると、それが敵への目印となってしまって
 爆弾を落とされるというので、明かりを消さなければいけなかったの。

 それで娘さんは納戸に入って襖を閉めてね、その中で縫い物をしていたのね。
 それが夜中に空襲警報のサイレンが鳴ったものだから、皆慌てて防空壕に逃げ込んだの。

 でもその娘さんは縫いかけのウェディングドレスを気にして防空壕を飛び出したところ、
 爆撃を受けて、両足を吹き飛ばされているのよ。
 まぁその後現場に行った人の話じゃ、両足を吹き飛ばされてその上半身だけが少しの間なんだけど
 家の方へ這いずっていたようなのよ。
 踏み石に真っ赤な血の手形がいくつも付いていたそうよ。

 それでね、あの家はずっと使われないままで、この秋には取り壊されて新しい宿舎が建つそうよ」

それを聴いた智子さんは荷物をまとめて慌てて実家の栃木に帰ったそうですよ。

前の話へ

次の話へ