常世入道

90 :虚の中の男 ◆AFcPKj5UhQ :2006/12/04(月) 04:28:10 ID:vAeYOoMR0
文字に暗く、力も無く、邪なるものに取り憑かれ、あらゆる厄を背負い込んだ、不運な小僧っ子がいた。 
常世の国より、現世を映し出す神鏡にて、小僧の姿を覗き見ていた彼の縁者が、「小僧の身に起こる凶事が故で、
この常世へも祟りが及ぶやも知れぬ。」と危惧するほどであった。 
終に縁者は、小僧の災難を打ち払うべく、使役している式神を遣わせた。 

ある日の事。小僧は文机へと向かい、通っている寺の和尚より言いつけられた写経に精を出していた。 
しかし、何度筆を走らせても字を誤り、とうとう、筆を投げ出し寝転んでしまった。 
小僧がうとうととし始めたその時、不意に文机の引き出しがガタゴトと揺れ始めた。 
パッと後ろへと飛び退く小僧。引き出しはギギギと濁った音を発しながら、ゆっくりと開いた。 
引き出しの中は深遠なる闇。そこには筆入れも帳面も見あたらなかった。 
やがて、その闇の中から「ぬぅ」と、指を切り取られた手の甲が出てきた。親指のかすかな痕跡が痛々しい。 
小僧は怖れおののき、その場から動けないでいた。 

指の無い手が引き出しの縁をつかんだかと思うと、中からは青々とした頭の入道が這い出てきた。 
小僧はあまりの恐怖に失禁し、何とかその場から逃げ出そうとした。 
しかし入道は、老女のような潰れた声で小僧をなだめ、常世の国の縁者の命を受け、小僧の災厄を祓うため馳せ参じた旨を述べた。
今のままでは『邪』の一族により、身の破滅を招くとも。 
小僧はいぶかしみながらも、その言葉に心を委ねた。そして入道は、小僧の家の押入れに居ついてしまった。

またある日の事。小僧は寺から戻って来たかと思うと、死人のような顔をして怖れていた。 
この村を支配する邪なるものが、子供らを村外れの更地へと召還し、死へと誘う儀式を企てていたのだ。 
小僧が入道に助けを求めると、入道は己の腹を横一文字に切り裂き、中から怪しげな祭器を引きずり出した。 
その時、辺りに雷鳴が響きわたり、稲光で小僧の目が眩んだ。 
少し不思議な事に、入道の体から血はまったく流れ出ていなかった。 
腹の切り口はあらゆる常世へと通じ、福を呼び禍を祓う祭器を得る事が出来るのらと云う。 
入道は言う。この祭器を用いれば『邪』がもたらす災いを振り払えよう、と。 

小僧は祭器を手にし、更地へと向かった。そこには既に、村中の子供たちが神妙な面持ちで座していた。 
やがて邪が、この世のものとは思えぬ禍々しい出で立ちで現れ、磐座の上に立った。 
そして、地の底より湧き出る咆哮をあげ始めたのだ。 
小僧と村の子供たちは、その前で金縛りにあったかのように動けずにいた。邪の唸り声が耳をつんざく。 
あまりの苦通に堪えられず、小僧は入道より授かった祭器の封印を解いた。 

すると、どうだろう。祭器の呪詛の力が邪を包み、咆哮が小僧らの耳から消えた。 
邪はそれに気づかず、声をあげ続けているつもりらしい。子供たちは苦痛から解放され、歓喜の声をあげた。 
儀式を終えた邪の顔がやたらと誇らしげだったのが、何とも滑稽だった。禍は去った。 


このようにして、小僧は入道の祭器の力を借り、その身に降りかかる災厄を食い止めた。 
しかし時折り、祭器の扱いを誤り、その呪詛の力が己自身へと向けられ、身を滅ぼす事もあった。 
それを省みた小僧は、ある晩、祭器の力に頼らずに邪を振り払い、常世へと帰る入道を静かに見送ったと云う。 

後に小僧は、寺の裏山に登って入道の事を思い出していた。 
入道は面妖な風貌に似合わず、甘いものに目が無かった。栗饅頭や三笠山を取り合っては喧嘩をしたものだ。 
そんな入道との思い出に目を細めながら、小僧は山の上の青い空を見上げるのだった。

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