山が呼ぶから

59 :虚の中の男 ◆AFcPKj5UhQ :2006/12/03(日) 05:54:45 ID:VY2ATJcJ0

ある画家がいた。画家は山の絵を描くのが好きだった。 
しかし、売れない。生活は困窮した。妻には苦労をかけっぱなしだった。 
認められぬ才能への葛藤と、不甲斐ない自分を支えてくれる妻への申し訳無さで、
悶々とした日々を送っていた。それでも描き続けた。 

ある日の夕方、勤めが終わり帰宅した妻は、製作中の夫の絵を見て驚いた。 
それはいつも描いているような山の絵だったが、山の頂上に何人もの人間が立っているのが見える。
数えてみると12人いた。 
その12人は山のサイズからして、不自然に大きなサイズで描かれており、
写実的な画風である夫が描いたものにしては、異様な絵であった。 

画風でも変えたのかと思い、夫に訊ねてみたが、「だって、あそこにいるもの。」と、窓から向こうの山を指差した。 
窓から見える山は、確かに絵の山と同じ形をしていた。しかし、人など見えない。 
このとき妻は、夫が精神に支障を来たしてしまった事に初めて気がついた。

妻はすぐに絵を描くのをやめさせ、夫を病院へと連れていった。 
入院するほどのひどい病状ではなかったのは、貧しい二人には不幸中の幸いだった。 
しかし、医師から筆を折る事を勧められたのは、夫にとっては酷だったようだ。 
しばらくして、夫は絵を描くのをぱったりと辞めた。かといって、勤めに出るわけでもなく、
毎日、窓の外の山を眺めているのだった。そんな停滞した時が幾日か続いた。 

ある日、夫は忽然と姿を消した。跡には、いつのまにか完成された例の絵と
「山が呼ぶから、ちょっと行ってきます。」という書置きが遺されていた。 
妻は警察に捜索願いを出したが、行き先が判っていたのですぐに見つかった。 
だが、その姿はあまりにも変わり果てていた。 
夫は自宅の窓から見える山の頂上で、遺体として発見された。 
遺体はバラバラに引き裂かれ、それぞれ、12本の木の枝に紫紺の紐で結びつけられていた。 

警察は猟奇的な殺人事件として捜査したが、未解決のままだ。 
妻は身内だけのひっそりとした葬儀を執り行った後、山の見えない地へと移った。 
あの絵の所在は分からないという。

前の話へ

次の話へ