帽を振っている水兵

190: 本当にあった怖い名無し 04/08/27 08:27 ID:9+m1AXas
昭和18年6月8日終戦間近い日本海軍の根拠地、呉軍港柱島泊地で、戦艦”陸奥”は謎の爆沈を遂げた。
弾薬庫内での主砲弾の自然発火説がもっとも有力であるが、原因は50年以上が経過した今も謎のままだ。
当時、艦内には1,474名の乗組員がいたが救助されたのは僅か353名に過ぎず、
艦長海軍少将三好輝彦ほか1,121名が艦と運命を共にした。
戦後、江田島の海軍兵学校は米軍の接収を経て、海上自衛隊の訓練校となり、
昭和45年7月23日に引き上げられた”陸奥”の第四砲塔が校庭に飾られた。
夜、洋上から海に面した校庭の方を見ると、白く塗られた巨大な砲塔が 鮮やかに暗い陸地の影の中に浮き出てみえる。
ある、月夜の晩、呉基地所属の内火艇(小型の連絡艇)が、校庭の沖を通りかかった時、操縦していた。
某ニ等海曹がふと砲塔の方を見ると、砲塔の上に白い水兵服を着た人影が立ちしきりに海に向かって帽を振っている。
訝しく思い、速度を落として、見ていると次々に砲塔の上に水兵が上がってくる。
全員が、どうもこちらに向かって帽を振っているように見える。
好奇心に駆られ、よく見ようと彼は速度をほとんど流速計が零になるまで落とした。
そして、奇妙な事に気付いた。砲塔に次々に水兵たちは登ってくるのに砲塔の周りには人影がないのだ。
と、その時船体に鈍い衝撃音と振動が走った。僅かに汐に乗って動いていた内火艇は急停止し、彼は、操縦板に叩き付けられた。
舵輪で打った胸を押さえながら、原因を見極めようと右舷を見ると、何か黒々とした塊が船体を擦りながら通りすぎて行く。
「ブイか。」投錨海域を示す巨大な浮標だった。先端の標識灯が故障している。
月夜とはいえ巡航速度を出していれば、激突していただろう。
5トンも有る浮標に合板で出来た内火艇がまともにぶつかっていたら命はなかったかもしれない。
偶然にもあの妙な水兵たちに助けられたのかと思い。
再び校庭に目をやると,すでに砲塔の上に人影はなかった。
白い”陸奥”の砲塔が静かに月明かりに輝いているばかりだった。
後日、機会があり、学校関係者に尋ねると、校内でそのような夜間訓練または行事は計画も実施もされたことがないという
返答だった。

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