ヤメトキナサイ

39 :本当にあった怖い名無し :04/08/26 18:09 ID:JpaMyM55
おれは東京生れの横浜育ちなんだが、オフクロが富山県出身者でね。親戚が富山に大勢いるんだ。 
その中に、オフクロの弟で、絵に描いたような山男がいるんだよ。 
おれや従姉妹は『ヤマの叔父さん』と呼んでいるんだけど。 
寡黙で、優しくて、日に焼けてマックロで、お人好しで…。 
だけど、山に入ると猿みたいにすばしっこい人。おれはヤマの叔父さんが大好きだった。 
オフクロはおれが結婚した次の年、病気で亡くなってしまった。 
葬式の時は、叔父さんは大泣きしてくれた。オフクロが一番可愛がっていた弟だったそうだ。 

何年か前、ヨメさんと一緒に、叔父さんのうちへ遊びに行く事にした。 
電話にでた叔父さんは喜んでくれて、
『じゃあ今回は剣岳に連れていってやる』と言った。 
「えっ、大丈夫ですか、オレみたいなシロウトでも?」と尋ねると、
叔父さんはボソボソと、
『剣は優しいヤマだ、オレと一緒なら大丈夫』と答えてくれた。 
おれはヘタレのくせに山男に憧れていて、あの美しい剣岳に登れるなんて!猛烈に興奮した。 

だけど、明日は富山に旅立つって云う前の日、ヨメさんが「登山は嫌だ」って言い始めた。 
「何でだよ!ヤマの叔父さんがせっかく連れて行ってくれるんだぞ!」
おれはヨメさんを詰問した。
ヨメさんは最初、言い渋っていたのだが、おれの剣幕に押され口を開いた。 
「アンタがヤマの叔父さんと電話で話していた時…。
 剣岳に連れてってくれるのワーイ!って大騒ぎしている時ね。 
 私の耳もとで、『ヤメトキナサイ』って囁く声が聞こえたんだよ…。
 あれ、お母さん(=おれの)の声だった…」

結局、富山に遊びには行ったが、ヨメさんに月のものが来ちゃったって理由で、剣岳は諦めた。 

登山予定日だった翌日。
おれたちはオフクロの本家でお世話になったのだが、従姉妹がおれに新聞を差し出して来た。
そこには『剣岳で落石事故。登山者2名死亡。』と云う記事があった。 
おれとヨメさんは、その後いろいろあって別れた。 

数年後。オフクロの法事でヤマの叔父さんに会った。 
おれが話し掛けても、叔父さんは「ああ」とか、「おお」とか、ボソボソ酒呑んでただけだったが、 
「今度こそ剣岳に連れて行って下さい!」とお願いしたら、 
「ああ。…でも、またお前のオフクロに叱られるかも知れんねえ」と答えて、不器用に笑った。 

おれは叔父さんに、剣に行かない理由を話していないんだけどね。 
別れたヨメさんはなおさらだ。叔父さんの家の電話番号さえ知らないんだから。 
今思うと、おれたちは剣に行っても、遭難しなかったと思うよ。 
叔父さんが一緒だしね。
ただ、オフクロが心配して、一寸でしゃばってきたって思ってるんだ。 
…母さん、ありがとね。

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