役僧

948 :サンタナ ◆H8yA7h3n0U :2006/09/26(火) 20:37:12 ID:7FPB5hWZ0

今を去ること十数年前の話だ。
毎年この時期になると思い出す。たしかあの夏も暑かった。

当時の僕は僧侶だった、といっても住職ではない。役僧と呼ばれる雇われの身であり、医者であればインターンと呼ばれる立場だった。
毎朝、まだ暗いうちから起き出して勤行の用意をし、夜は遅くまで参拝客の世話をする。
西国であれ四国であれ、およそ某かの番号のついている寺院の殆どがそうであるように、僕の職場は信者寺であり、半ば観光地と化していた。
檀家との付き合いといった煩わしさがない代りに、仕事内容は宗教上の戒律や因習よりもサービス業のそれであり、ひどく現実的な要素が勝っていた。
ボランティアでもないし労働法に基づいた職員でもない、修行の名を借りた業務から得る賃金は僅かなものだった。
親も同然、子も同然と言われる師弟関係は、一般社会の上下関係よりよほど堅固で、言いつけられた仕事を拒む権利はなかった。何も考えずに、ただ働いた。

同胞は、僕と同じ役僧が一人、住み込みの学生が二人の計三人。
この数は決して労働量に見合った数ではない。それでも大して苦に感じていなかったのは、若かったからだろうか、世間を知らなかったからだろうか。
特に仏道を成ぜんと志を明らかにしていたわけではないが、毎日が規則正しく、めまぐるしい速さで過ぎ去って行く生活に、心安さを感じていたことは事実だ。

もちろん、さぼれる時にはさぼった。
夏には参拝客の数がピークに達する。連日三百人を超える参拝客の相手は重労働だった。 
そんな時、僕が避難先に選んだのは本堂だった。夏の暑い盛りでもひんやりとしていて、昼寝には絶好の場所だった。
むろん、周囲には内緒で、だ。
僅かながら一息つける時間ができると、僕は香炉に抹香を盛ると告げて本堂に向かった。
香盛りは加行したての者の仕事であり、実際に僕がその役目を負っていたから、なにも怪しまれることはなかった。
手早く仕事を済ませ、本尊を奉ってある場所の裏側、俗に裏堂と呼ばれる、入り口からは死角になった場所に腰掛け、つかの間のまどろみを満喫する。
突然の闖入者に備えて身体を横にはしない。見つかればこっぴどく叱られることは目に見えている。
時間はせいぜい三十分といったところか。しかしその三十分は僕にとって何よりも貴重な三十分だった。

一度だけ寝過ごしたことがある。それ以降は本堂での昼寝自体をしていないから、それが最初で最後だった。
その日はいつもに輪をかけて眠たかった。
例によって周囲に告げて本堂へ向かい、大急ぎで香盛りを済ませると、僕はその場にあぐらをかいて目を閉じた。
体が切実に休息を求めていた。少しだけ、少しだけ横になろうか。そんな考えが脳裏をよぎった。
痺れるような感覚が後頭部から全身に広がった。全身が遠のいて行くような快感に危ういものを感じながらも、その欲求に抗えなかった。
僕の意識は急速に薄れていった。

前の晩は夜更かしをしたのだと思う。
その頃、僕たちは少ない財布の中身を出し合って、月に1度か2度のペースで宴会を開いていた。
宴会といってもささやかなものだ。アルコールを嗜む者はいなかったし、近所の中華料理屋から、一人につき一品か二品出前を取って、卓を囲んで食事をするだけだ。
寺で供される食事は、食べ盛りの若者の空腹を満たすには、あまりに御粗末だった。それも修行のうちだったのだろうか。三度の食事は当然のごとく精進だった。
いや、はっきり精進料理と名前で呼べるような代物ではなかった。
参拝客に出した食事の残りであることが多く、時にはそれ自体がなかった。白飯だけは事欠かなかったものの、おかずに困って、沢庵のしっぽや味噌で食べたこともあった。
宴会は昼寝と同様に、僕らにとって必要不可欠だった。生臭が僧職にあるまじきという考えは僕らにはなかったし、おそらく師僧である住職にもなかったろうと思う。
げんに夕食時になると、庫裏から蛋白質の焦げるなんともいえない香ばしい香りが漂ってきものだ。
そして、僕らはたまにしか食べることのできない鶏のから揚げや海老のチリソースに舌鼓をうち、やがて腹がくちくなると、夜遅くまで語り明かすのが常だった。

鼻を抓まれる痛みに身をよじった。
振り払った手が空を切った。
まるで水の中でもがいているように、意思に反して四肢が緩慢にしか動かなかった。
男性の指だ、直感的に思った。
涙で滲む視界を通して、相手の姿を見極めようとしたその時だった。万力のように締め付けて動かなかった指が、煮えたぎる湯に投げ込んだ雪のように、跡形もなく緩んだ。
慌てて飛び起き、周囲を見回した。誰もいなかった。
周りには身を隠すものなどない。足早に立ち去る足音も、畳と足袋が擦れ合う微かな物音も聞こえなかった。
呆然と立ち尽くし、狐につままれたような気分で、ふと腕時計に視線を落とした。もう少しで夕方の勤行が始まる時間だった。
その指が誰のものなのか、考えている暇はなかった。
僕は慌てて本堂を飛び出した。

結局、僕がそのことについてゆっくり考える時間を得たのは、夜もとっぷりと暮れた頃だった。
過去帳に新しい永代供養の戒名を記入して、その日の仕事の締めくくりに、毎朝供える仏飯を回収して回る。
僕は本堂へ続く暗い廊下を歩きながら、思案に暮れた。

師僧ではない。
夕勤が始まるまでの数時間は、日課である昼寝の時間だ。現に今日も最後に現れて、読経の間中、気持良さそうに寝ていた。
もし師僧に見つかったら、鼻を抓まれるくらいでは済まないだろう。およそ僧侶らしからぬ直情径行と、特攻帰りが口癖の、口より先に手が出る凶状持ちだ。
その場で張り倒され、罵倒された上で、場合によっては師弟関係にまで及ぶかもしれない。
学生二人はどうだろう。二人とも加行を済ませていないから、夕の勤行には加わらない。従ってあの時間に割と時間があった。
その点、役僧の彼は時間的に無理だ。僕が慌てて空衣と袈裟に着替えに戻る途中で、丁度本堂へ向かう彼とすれ違った。
だとしたら、やはり学生か。僕は屈託のない笑顔で、一心に飯をかきこむ二人の様子を思い浮かべた。あの二人にそんな芸当ができるだろうか。

消去法で一人ずつ消していくと、ついには疑わしきがいなくなった。最後に残った可能性は、全てが錯覚だったというオチだ。
僕には無頼を気取り、周囲に対して無神経に振る舞う者がえてしてそうであるように、実は非常に気が弱いところがある。常に人の目を気にしながら、それを隠す為に素行を悪くしたりする。
要するに、さぼっているという後ろめたさと、起きなくてはという強迫観念が、僕にありもしない幻覚を齎したのではなかろうか。

しかし、本当にそうだろうか。
僕は鼻を抓まれた時の指の感覚を覚えている。指紋のざらつきまで感じた。焼けるように熱かった。
夢で済ませるには、あまりにも生々しい痛みだった。今一つ釈然としない思いを抱えながら、本堂の敷居を跨いだ。
鎧戸に閉ざされた空間は、電気灯篭の淡い光で照らされてはいても、なお暗かった。
僕は子供の頃から暗がりが苦手なのだが、この本堂だけは違った。それどころか、電気を消されて真っ暗になっていても、少しも恐いとは思わなかった。

僕は仏飯を盛った小皿を集めながら、ゆっくりと本堂の中を巡った。
そして裏堂の前を通りかかった時、ふと誰かの気配を感じた。
不思議と怖くはなかった。丁度目に入ったそれを見て、僕は胸をなでおろした。目の前の靄が晴れて、ようやく合点がいったような気がした。
僕が眠りこけていた場所の真正面には、金箔で飾られた一際大きい位牌と遺影が立てかけてあった。

ふと目があったような気がした。
先代の住職は写真の中で、悪戯が見つかった子供のようにわらっていた。

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