蔵書

453 名前:蔵書 1/3 :04/04/03 06:36
友人の父が母親と同じ脳溢血で倒れ、
母親と違って、あっけなくこの世を去ったのが2年前。
後遺症で全身が麻痺した母親の看病を15年間も
甲斐甲斐しく続けた翌々年の事だった。
彼の父は国家公務員だったが、昇進に役立てばと、
在職中に簿記検定1級を取るほどの努力家だったにも拘らず、
母親が倒れてからは、宿泊が必要な研修は全て断り続けたせいで
退職時の級数は8級という、ちょっと才覚の有る者なら
40代でたどり着けるような低い地位だった。
彼が大学入学を機に家を離れ、たった一人の姉も他家に
嫁いでしまうと、母の看病はすべて父親独りに任され、
そんな状況に彼も彼の姉も引け目を感じて、
増々実家からは足が遠のいて行った。
しかし父親は子供たちの気持ちを察してか、
小言ひとつ言わず、電話をかけてくる事も滅多に無かった。
母親が急逝した時も「母さん、死んじゃったぞ」と、
病院から素っ気無い連絡が有ったのみだった。
友人が駆けつけた時には既に母親は霊安室に安置されていて、
姉と二人で、なぜもっと早く知らせてくれなかったのかと
父親をなじったが、疲れ切った表情の父親は
何も答えなかったそうだ。

その父親の死後、友人の実家はずっと空き家だったが、
一周忌が終わったあと、彼の姉から人に貸して
家賃を折半しようと持ちかけられ、彼もこのままにしては
置けないと考えていたので、姉の提案に乗る事にした。
そこでお互い幾つかの思い出の品を選び、それ以外は全て
廃棄すると決めたのだが、彼が父の書斎を片付けていると
蔵書の間から父親には似つかわしくない一冊の婦人誌が出てきた。
「母の物か? でも本なんか読んでなかったはずなのに・・・」
訝りながらパラパラめくっていると、あるページの部分で
女性の顔がボールペンで黒く塗り潰されているのに気付いた。
細い線を何度も何度も執拗に引き重ね、紙が破れるほどに
真っ黒に塗り潰されている。
彼は奇妙な不安に駆られながらも記事を追ってみた。
そして顔を塗り潰された人物が、
「私って若い時は女優の○○に似てるって言われていたのよ」
と、元気だった頃の母親が口癖のように自慢していた、
女優である事を知った。
彼は家の整理がついた後に姉を誘って両親の墓参りに行き、
そこで婦人誌の話をした。
父の苦悩を聞いて、姉は子供のように声を出して泣いたそうだ。

「実はね、姉には話さなかった事があるんだ・・・」
彼はこの話しをした時、躊躇いながら最後に言った。
「あの記事が終わるページの余白には、小さな文字でびっしりと
 “死ね”と書かれてたんだ」

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