鴨南蛮

118 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 2001/05/14(月) 20:06
 
全然恐怖話じゃないけど、まあこんなこともあったということで。 

一昨年の話。父が血の病気になり、入院しました。 
わたしは、広告の仕事をしており、自分のマンションにさえ毎日帰れないほどの忙しさで、 
父の見舞にあまりいけず、母親にばかり迷惑をかけていたのです。 
あるとき、母親から仕事先に連絡がありました。「もう、今夜だから」と言われ、 
愕然として、仕事をほうって駆けつけました。 
父はそのときもう、昏睡状態でした。手を握り、親父と呼びましたが、返事をしてくれませんでした。 
翌朝、父は逝きました。皆が悲しみに暮れている中、自分だけはしっかりとしようと思い、 
わたしは親戚をとりまとめ、とりあえず通夜と葬式の段取りを始めました。 
仕事ではプロデューサーなので、こういうことには慣れている。 
通夜だからといってイベントみたいなもんだと、虚勢を張っていたんでしょう。 
叔父などに「お前、大丈夫か」といわれても、「慣れてるんだよ」と生意気なことを言った。 
とにかく、涙だけは見せるものかと、淡々と葬儀屋との段取りを進めたかった。 
通夜には、友人も、前の恋人も来てくれて、それなりに嬉しかった。 
だけど、母親と姉は疲弊していたから、俺が泣いたらだめだ、と思って、泣かなかった。 

通夜が終わり、実家に帰り、お嫁に行った姉と、いっぷくしました。 
わたしは疲れていたので、お風呂に入りました。ゆっくりつかって、とりあえずまあ、 
半分終わったし明日は楽だよな、まあ、いいかなんて思って、じっくり暖まり、出たのです。 
するとすこしたって、お蕎麦屋さんがやってきました。どうやら姉が頼んだらしいです。 
お蕎麦屋さんがもってきたのは、もりそば、たぬきうどん、鴨南蛮そばが二つ、の計4人前。 
姉はわたしの前に鴨南蛮をおきました。「なにこれ?」俺は聞きました。 
「お前それでしょ」と姉が言う。 
ん?確かに俺は鴨南蛮好きだけど、出前とるなら、聞いてくれたっていいじゃないか。 
「なんだよ、声かけて聞いてくれよ、ひとことぐらい」 
「声かけたじゃない!あんたが言ったんだよ、鴨南蛮がいいって」 
俺はそんなこと聞いていない。些細なことで喧嘩になりました。すると、母親が止めに入りました。 
(つづく) 

父は飲んべえで遊び人でどうしようもなかったんですが、入院してからは当然控えねばなりませんでした。 
そんな父の唯一の楽しみは、時々先生の許可を貰って帰ってきたときに、近所のこの蕎麦屋に出前で頼む、 
「鴨南蛮そば」を食べることだったらしいのです。 
思い出しました。親父は食い意地もはっていて、わたしが食べ盛りのガキの頃でも、 
わたしのおかずを奪ってつまみにするほどの大食漢だった。 
きっと父は、今も、俺の声を騙って、姉に食べたいものを言ったんでしょう。 
「鴨南蛮がいい」って。 
姉は母に聞いて、父の為にも「鴨南蛮そば」をとった。だから、二つ重なったんだと。 
姉は姉で、やっぱ男同士の親子、好みも似るもんね、と不思議とも思わなかったらしい。 
なんだか、それを聞いて、おかしくてしょうがなかった。親父、相変わらずだな、おい。 
母親が言いました。「お父さん、それが食べたくて食べたくて、しょうがなかったんだよ」 
俺はゲラゲラ笑って、じゃあ、親父の分まで食ってやる!と、猛然と食べました。 
先生に内緒で食べる、油が浮いた鴨南蛮の、濃いつゆの味。病床の父には、たまらないごちそうだったんだろう。 
遊んで遊んで、母親泣かせてた親父が、病床ではしおらしくなって。 
食べたくて、しょうがなかった。生きたくてしょうがなかったんだ。 

俺は、なぜか、嗚咽していました。声をあげて泣いていた。 
母親がいいました。「それでいいんだ、お前が泣かなくて、どうする」と。 

以上。無駄に長くてゴメンネ 

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