対峙
588 :虚の中の男 ◆AFcPKj5UhQ :2006/12/28(木) 04:36:21 ID:1U84oyOo0
『 対峙 』
「殺したのはお前だ… 殺したのはお前だ…」
森の中から声がこだました。声の主の姿は見えない。
その声は不確かな声色をこちらへ向け、罪を責め立てた。
責め立てられる男には何の心当たりも無い。
「お前は誰だ? 出て来い!」
男は叫んだ。しかし、声の主の姿はやはり見えない。
「殺したのはお前だ… 殺したのはお前だ…」
森の声は、なおもこだまする。
男はそのうち、本当に自分は罪を犯していないのだろうかと、己を疑い始めた。
「殺したのはお前だ… 殺したのはお前だ…」
森の声は、さらにこだまする。
男はもう、自分は罪を犯してしまったと、はっきり確信した。
「そうだ! 殺したのは俺だ!!」
声がピタリと止んだ。男は息を切らせながら、目前の木々を睨みつけていた。
すると、木々の隙間から見える彼方の闇から、何者かがにじり寄って来る。
男はその姿に見覚えがあった。毎朝、目が覚めると顔を逢わせる姿。
自分であった。『自分』は口を開いたかと思うと、男と同じ声でこう言った。
「殺したのは俺だ… 殺したのは俺だ…」
男は何も言えなかった。確かにそうだと認めていた。
後悔と懺悔の念が己の内に渦巻いて体の自由を奪い、やがて意識が遠のき始めた。
自分の罪を責め立てる声が、森の中に延々とこだまし続ける…。
薄れ行く意識の中、男は自分の顔を見上げた。その時、自分の姿に違和感を感じた。
あるはずの物が無い。男の目元にある小さな黒子。それが自分には無かったのだ。
『自分』は『他人』であった。男の意識と肉体に力が蘇る。
「そうだ! 殺したのはお前だ!!」
声がピタリと止んだ。目の前の他人は、息を切らせながらこちらを睨みつけていたが、
やがて踵を返し、木々の隙間から見える彼方の闇へと走った。
その時、森がざわめき、周囲の木の幹がメリメリと音を立て始めた。
そして、彼方の闇を覆い隠すように両脇の木が次々と倒れ、その下の物を押し潰した。
何者かの悲痛な叫び声が森の中にこだまする…。
男はその事態に肝を冷やしながらも、倒れた木々の合間に駆け寄り、目を下へやった。
そこには何の遺体も見当たらなかったが、赤い血が大量に流れ出ていた。
男の心に(これを殺したのは俺なのだろうか?)という疑念が生じたが、
頭を振ってその思いを払い捨て、森を後にした。