鬱病SEと山のお話

462 名前: コーヒー7杯目 ◆3W89qHGCZ. 2006/03/30(木) 03:02:11 ID:zLxS1ob/0
システムエンジニアをやっていた知人。デスマーチ状態で、残業4-5時間はザラ、睡眠時間は平均2-4時間。 
30過ぎて、国立受験生みたいな生活に、ついに神経性胃炎と過労で倒れ、そのまま内科で軽度の鬱病と診断された。 
会社も流石に悪いと思ったのか、5日間の休暇と、賞与を結構たっぷりくれたらしいが、彼は本格的に鬱病に 
なりかかっていたらしい。 やったことがある人はご存じの通り、鬱は気晴らしや運動などで直ってしまう場合もあるが、 
鬱病は、れっきとした神経伝達異常で、幸せを感じる回路が接続不良、不安や悲しみ回路が増大という状況で、 
コメディー話を見てすら悲しく、落語を聞いても悲しいところだけクローズアップされてしまう 

知人は、休暇が取れたことで、またあのデスマーチの職場に戻る恐怖感が一層増してしまったらしい。自殺という 
単語すら時折頭をかすめ、気が付くと、愛車のジムニーに乗り込んで、車で3時間離れた、故郷の近くの山に向かっていた。 
高校時代、登山部だった彼が、何度ものぼった山だった。 
ツェルトとシュラフ、食料と水だけを持って、夕暮れ時、ただ、黙々と山へ登り始めた。 

何も考えず、ただ、足を交互に出していく。冷たくなっていく、酸素濃度の高い山の空気。草木と水と土の匂い。 
首と背中を熱く濡らしていく汗。何年ぶりかの登山の感触。 
何時間歩いたか、いつもテントを張っていた場所ではないが、水場もある広場に出た。シーズンではないので誰もいない。 
今日はここまでと思い、ツェルトを張り、シルバーシートを敷いて、荷を下ろした。 
お湯を沸かしてラーメンを茹で、にぎりめしをかじり、番茶をすする。知らず知らずに、孤独な山の空気が、 
自分の鬱屈をふきながしてくれるようで、不眠症気味だったのも癒されたのか、眠くなってくる。 
たき火に砂を掛け、水で絞ったタオルで身体をふき、シュラフに潜り込んだ。頭をつけたかどうかもわからないぐらい、 
素早く、深い深い睡眠に入った。 

「しににきたのか?」「・・・?」「なあ、しににきたのか?」 
突然、唐突に振ってきた声に、知人が粘るような瞼を開いて、寝ぼけ眼を向けると、狭いツェルトのなかに、 
自分以外の小さな人影がある。不思議と怖いとは思わず、芋虫のようにシュラフからは出して枕元の眼鏡を取り、 
据え置き式の蛍光灯をつけると、ようやく相手が見えた。 
 綺麗な赤い着物を着た、肩口で髪を切りそろえた、9-10歳ぐらいの、可愛らしい女の子だった。 
蛍光灯がまぶしそうに手で光を遮って、物怖じせずに知人を見つめている。 
「・・・・」何が起こっているのかいまいち理解出来ていない知人に、ちょっと首を傾げて、また、女の子が口を開く。 
「なあ、しににきたのか?」知人の頭で、ようやく変換ができた。「死にに来たのか?」と聞いていたのだ。 
知人は、自分でも意識しないまま、答えていた。 
「わからない。疲れていたとは思う。でも、いまは、死のうとは考えていない」 
その答えを聞いて、赤い着物の少女は、真っ白な歯を見せて、柔らかく笑った。「そうか、ならいい。」 
知人は、必要があるほど高い山ではないが、いつものくせで持ってきた行動食の飴のパックをきって、 
「純露」少女の手に握らせた。少女は珍しそうに手の中の飴を見つめていた。「飴だよ」知人は、包装を剥いて見せて、 
自分でも食べ、少女にも食べさせてあげると、少女は、とても嬉しそうにもういちど微笑んだ。 
そして、少女は、シュラフを指さして、にこにこと言った。「おらも、いれてくれ。」「・・・狭いと思うけど」「いい。いれてくれ。」 
知人は、二人はいるには少し狭いシュラフのジッパーを下げると、少女は、するりとその中に入り込んできた。 
少しひやっとする、ほそい手足の感触と、季節外れの、桃か桜のような匂い。シュラフの感触が楽しいのか、 
くすくす笑いをしていた少女が、蛍光灯を指して言った。「ねよう。けして。」知人は、手を伸ばして、蛍光灯のスイッチを切った。 
未だに、自分が夢の中にいるような気がして、ふたたび薄闇の中で知人が眼を閉じると、すぐ耳元で、少女がささやいた。 

「うたって。」「・・・?」「なあ、うたって。」 
 子守歌をせがまれているとしばらくして気付いた知人は、こんな時にうたう歌なんて知らないとあわてたが、 
気が付くと、シュラフの中の少女を、あやすように揺さぶりながら、小さな声で歌い始めていた。 
「・・・いかに います父母・・・つつがかなきや ともがき・・・・ 雨に風につけても・・・・ 重いいずる ふるさと・・・・」 
 正月に帰って以来、電話もしていない両親。自分が卒業した小学校。子供時代を遊んだ駄菓子屋と公園。 
「こころざしを はたして・・・・ いつのひにか 帰らん・・・山はあおきふるさと・・・みずは清き ふるさと・・・・」 
 気が付くと、ぼたぼたと大粒の涙がこぼれていた。そして、歌い終わると、知人は、ここ数ヶ月の死に絶えていた感情が 
爆発したように、号泣していた。 
 少女は、驚きもせず、おこりもせず、知人に抱きつくような姿勢を取って、さっきしていたように、優しくあやすように揺すっていた。 

気が付くと、ツェルトの外側が、すっかり明るくなっていた。知人は、まだ濡れたまま顔のまま、シュラフをはい出した。 
飴のパッケージは空になっていたが、ゴミはちゃんとゴミ袋に全部はいっていた。 
知人は、冷水で顔を洗って歯を磨き、ツェルトをたたんで、別人のようにすっきりした気持ちで下山にしていった。 
職場は、その後、ストライキをほめのかす全員の強い要望があって大幅に改善され、定時に帰れることも多くなった。 
知人は、その山の出来事に、心から感謝しているが、いくつか困った点もあったとのこと。 
「困った点ってなんだ?」 「一つ。その朝、パンツが白くガビガビになっていることを発見した」「変態」 
「もう一つ。あの少女のことが思い出されて、よく上の空になる」「ペドエロス」 
あれは、追いつめられた知人の防衛反応が夢となって現れたのか、それとも自分の縄張りで不景気な顔で死なれたくなかった 
人ならぬものの好意だったのか 
元気の代わりに心を奪われ、何度かその場所で宿泊した知人だったが、赤い着物の少女は、出会えてはいないらしい。 
それでも、そのつど、包装を剥いた飴を、お供えするのは忘れていないそうだ。 

長文失礼しました

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