これで済んだと思うなよ

これで済んだと思うなよ
10年くらい前です。

当時付き合っていた彼女と無事婚約も済ませて、双方の家族で親睦も兼ねて温泉に旅行へ行きました。
私が車を運転して彼女は助手席に座っていました。
運転に疲れた私は彼女に運転を変わってもらって、助手席で少し眠ることにしました。
私がうつらうつらとした頃、運転していた彼女が突然短い悲鳴をあげました。
「どうしたの?」
と聞くと彼女は
「何でもない」
と言いました。
しばらくして、また彼女の短い悲鳴。
彼女は怯えた顔で
「もう運転したくない」
と言いました。
私が運転を交代して、彼女にいろいろ聞いたところ
「すれ違った車の運転手と目が合ったんだよ・・・
あの人・・・私・・頭から血を流している私だった・・・・」
彼女は小刻みに震えながら脅えていました。

そうこうしているちに温泉へ到着。
場所は岐阜県の某温泉旅館です。
私は夜中に温泉に入るのが好きなので、いつものように夜中一人で温泉に入りました。
狭いながらも良い感じの温泉でした。
一旦お湯から出て鼻歌まじりに頭を洗っていると、脱衣所の扉が開く音がしました。
そのまま私の後ろを通り過ぎると、温泉に浸かったようでした。
(ああ誰か入ってきたんだな)
もう一度温泉で温まろう思い、チラッとさっきの人が入ったと思われる場所を見ると、誰もいない?
狭すぎるくらいなので、人がいればすぐに分かるような温泉なのに。
いっぺんに体が冷えましたが、不気味で温泉には入れませんでした。
ろくに体も拭かずに、浴衣を羽織るように着て部屋へ向かいました。

部屋に向かっているとき、何の前触れもなく耳元で
「これですんだと思うなよ・・」
と言う声が聞こえました。
間違いなく女性の声でしたが、変にくぐもった声でした。
そのことは誰にも、もちろん彼女にも話しませんでした。

旅行の3ヶ月後。
彼女は交通事故でこの世を去りました。
私と結婚する2週間前でした。
彼女が見たすれ違った車のことを思い出しましたが、今更どうにもならないと思い、今でもこのことは私しか知りません。

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