見えてはいけない女 - 夜馬裕

私はかつて雑誌の記者をしていたんですが、その時に近藤さんという経済記者の方と知り合いました。
彼は心霊やオカルトとは程遠い、実際に自分が見聞きしたものしか信じないという生粋の記者だったのですが、そんな彼が「一度だけ不思議な体験をしたことがある」と聴かせてくれたお話です。

かつてバブルが崩壊した後、1990年台から2000年台の初頭くらいまでとにかく日本中の景気が悪かった。
この頃近藤さんは食品業界の記者をしていたのですが、とにかくどこを取材しても景気の悪い話しかない。
景気の悪いばっかりを載せるのは嫌だなと思っていた近藤さんは何かいい話がないかと探していたら、地方で無借金経営でとにかくこのご時世に黒字を出しているという惣菜会社があった。

連絡をしてみるとそこの二代目社長が頑張っているそうなんですが、快く取材を引き受けてくれたそうです。
取材に行ってみるとその社長の方はとても感じの良い方で、丸二日間営業から企画から経理から全ての部署を案内してくれる。
そして現場の工場も見せてくれて、二日間充実した取材になったそうです。

取材を終えた後、ああこれはいい会社だなぁ、社員がみんな一丸となって新しいことをやっていこうという気持ちがあって、そして地に足のついた経営をしている。
そのように近藤さんは思ったそうです。

二日間の取材を終えて社長室でインタビューを行った。
社長と秘書の方とそして広報と自分を入れて四人でインタビューをしたんです。

ひとしきりのインタビューが終わった後、社長が言うんです。
「この二日間あなたと一緒にいてすごく信頼できる人だと思いました。
 だから僕は人に話さないんだけども、聞いてほしい話があるんです」
という風に社長が言うんです。

社長はその日中小企業が集まる会合があったので最寄りの駅を利用していた。
もちろん大企業ではないので黒塗りのリムジンに乗ったりはしない。
電車を使って公共交通機関を使って移動します。

その最寄り駅というのは駅のホームから駅前の広場のロータリーがよく見える場所なんです。
そのロータリーを見下ろすようなホームで、何気なく広場の方を見ていた。
そこで驚いたんです。
冬場なので広場にある噴水から水は出ていないんですが、その水が噴き出す噴水口、高くなっている先に女の人が立っていたそうです。

しかもその女性はツバのついた帽子を深く被って、顔はよく見えないんですがポーズをとっているような横顔は見える。
着ている服というのは白と黒の社長の言うにはモードのような服で、とても綺麗なモデルさんのような服で、ポーズを取って噴水に立っているんです。
なんだこれはと思った。

当然そんなところに人が立っていたらみんな驚いて当たり前なんですが、周りを歩いている人は誰もその女の人に気づいている様子がない。
えっと思いながらもちょうど電車がやってきたので社長はそのまま会合に行った。

酒の席でみんなにその話をしてみると、
「いや、君はもう前の奥さんを亡くして時間が経っているから男鰥で気分が寂しくなって、ついに美人の幻覚を見るようになったんじゃないの?」
そんな風に酒の席のネタとして笑われてしまった。

社長自身も不思議なことはあっても日常の中に消えていきますから、不思議なものを見たなくらいでその日は終わったんです。
ただ別の日にまた広場に行ってみると今度は広場に建っているビル、そこの3階の窓のサッシ、小さな窓のサッシに全く同じ格好で帽子を被った白黒の服を着たモデルのようにポーズを取った女性が立っているんです。

今度はもう生身の人間とは思えない。
あんなところに人間が立っているわけもない。

でもやはり周りの人間は誰も気がついていないんです。
一体あれはなんなんだろう。
幽霊なのかとも思ったんですが、あまりにも綺麗でお洒落な女性が立っていてしかも真っ昼間なのでお化けというような気もしないんです。
不思議な気持ちになってその日もあれは何なんだろうと思って帰った。

次にまた広場で見た時は広場に高いポールがあってその上に時計がついている。
その時計の上に女がポーズを取って立っている。
やはり周りの人間には見えている気配がない。

社長はここにきて自分も最近忙しくて疲れている。
これは自分にだけ見えている幻覚なのではないか。
精神がおかしくなってしまったのではないかと不安になった。

そこでロータリーに止まっているタクシーに乗って、
「運転手さん悪いんだけども、このロータリーの中を何周かしてくれないか」
と聞いた。

運転手さんは不思議な顔をして、それでもロータリーの中を言われた通りに回り始める。

「ねぇ運転手さん、あそこのところに時計があるじゃない?
 今って何時?」

運転手は怪訝な顔をしながら時計を見て時間を答える。

(あれ、やっぱり見えていないのか)

「ねぇ運転手さん、もう一回よく見て。
 あそこに時計があるんでしょ、今何時?」

「いやだから言ったでしょ」
と言った時に「あっ」と声を上げた。

「いや、今までずっと気づかなかったけど、時計の上に女の人が立っていますよね?」
と運転手さんが言う。

「いるよね女の人!
 白黒の服を着てポーズを取った女の人!」

「本当だ、本当にあそこに女の人が立っている」

運転手さんがそう言うので社長はすっかり安心した。

(よかった、自分にだけ見えている幻覚ではないんだ)

その日から広場に行くと女の人を見かけるんです。
噴水の上だったり、3階のサッシのところだったり。
時計の上の時もあれば木の上の時もある。
看板の上の時もある。
とにかく場所はまちまちなんですが少し高いところに女が同じポーズをとって立っている。

ただもう自分の幻覚ではないことが分かっているので社長は怖くなくなった。
しかも真っ昼間で人がたくさんいる広場です。
そんなところで遠くから眺めても何も怖くないんです。

そして自分だけ見えているわけでもない。
あるいは他の人が目を凝らさないと見えない女の幽霊なのかなと最初は思っていたのですが、しばらく観察していると百人のうち九十九人、千人のうち九百九十九人は気づかないのかもしれませんが、その広場を通っている時に必ず同じ中年風のスーツを着た男の人が女の人の近くを通る時に会釈をするんです。

あ、あの人には自分と同じように女の人が見えているんだと思った。
その男性は必ず女の人の前で会釈をする。

ある日初めに見た時と同じように噴水口の上の方に女の人が立っていた。
例の男性が会釈をして通り過ぎるのを見たので社長は自分も挨拶してみようと思った。
近くまで行って女を見上げるあたりにくる。
男性と同じように会釈をして、フッと上の方を見上げた。

帽子を被っているので初めて見る女の顔。
目をカッと見開いてものすごい憎悪の表情を自分に向けている。
そのまま自分の目をじっと睨みながら、まるで動き出したマネキンのようにぎこちなく腰を曲げてグーっと自分の方に屈んでくるんです。

社長は近づいてくる憎悪の女性の顔にあまりに怖くなって動けなくなった。
体が動かなくてどんどんどんどんと顔が近づいてくる。
どうしようどうしようと思っていたら、急に肩をぐっと掴まれて、「どうかしましたか?」と声をかけられた。
ハッとして振り返ってみると、それはいつも会釈をしながら通り過ぎるスーツ姿の男性だった。
その男性がぎゅっと自分の肩を掴みながら、「どうかしましたか? どうかしましたか?」と無表情の顔で聞いてくる。

突然声をかけられて驚いたものの、体も動くようになったので、その手を振り解きながら
「どうもしません、大丈夫です」
とその場を立ち去った。

以来女の姿があっても見ないようにしていたんですが、どんなに遠くても社長は広場に近づくと例の女は自分に顔を向けてくるようになった。
例の目を見開いた憎悪のこもった顔で、どんなに遠くても自分が広場に入るとこちらを向いてくるんです。
駅のホームから広場を見下ろしてもこちらを向いてくる。
だから思ったんです。

あれは見えてもいいけども、見えたということが相手に分かってはいけないんだ。
そういう見えたことに気づいてはいけない。
いや、気づかれてはいけない。
そういったものってあるんですね。

そういう風に社長は話し終えたんです。
社長は話し終えるとぼーっと呆けたようになっている。
近藤さんの方を見ていないんです。

でも近藤さんは呆けた社長さんなんてどうでもいいんです。
話を聴きながら生きた心地がしなかった。
というのも、帽子を被って黒の白のストライプ、モードのようなお洒落な服を着た女性、ずっと社長の横に座っているんです。
この女性は社長が秘書 兼 再婚した奥様だと紹介されたその女性なんです。
秘書と言ってもスケジュールを見せるだけでほとんど話はしないで、社長の後を無言でついてくるだけだったんです。

この奥様が隣に座っているのをまるで気づいていないかのように社長は一人でずっと話をしている。
社長が話している間、奥様は目を見開いてずっと自分を睨んでくる。
近藤さんは生きた心地がしなかったそうです。

呆けている社長に対して
「お話ありがとうございます」
と言っても返事がない。

社長はずーっと呆けていて、奥様は自分の方を睨んでくる。
ついに居た堪れなくなって
「あ、ありがとうございました。
 もうこれで取材は終わりです」
挨拶もそぞろに社長室を後にすることにした。

ただ入り口でもう一度振り返って「ありがとうございました」ともう一度挨拶をすると、社長はやっぱり前を向いたままこちらを振り返ることもない。
でも奥さんは自分のことをぐっと睨んできて、目があってあまりにも恐ろしくなってきたので近藤さんは奥さんに睨まれたまま少し動けなくなってしまった。
入り口のところで固まっていると肩のところをぐっと掴まれ、「どうかしましたか?」と言われ、フッと見ると今までずっと喋らずに着いてきていただけのスーツを着た広報の男性が無表情のままグッと自分の肩を掴んで「どうかしましたか? どうかしましたか?」と無表情の顔で聞いてくる。

近藤さんは男性の手を振り解いて
「あぁ大丈夫です」
とそのまま会社を後にしたそうです。

近藤さんは結局この取材を記事にすることは出来ませんでした。
というのも記事をまとめている間に先方から社長が急に亡くなったと連絡があった。

社長が急死したので新しく社長になったというのは社長の弟さんという方で、例の広報の男性から
「ついては新社長になった、元社長の弟さんに改めて取材に来てもらえないでしょうか」
と言われたそうです。

でも近藤さんはもう取材に行くことはしなかったそうです。
というのも二日間ずっと案内をしてもらって、営業から企画から現場の工場からありとあらゆる人を紹介してもらったのにただの一度も社長の弟という人には会っていないんです。
何が起きているかは分からないんですがものすごく恐ろしい気持ちになって、もう二度とその会社に取材することはなかった。

そう話していました。
強面で大ベテランの記者の近藤さんが人生で唯一話してくれた怖い話でした。

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