列 - 師匠シリーズ

255 :列  ◆oJUBn2VTGE :2010/09/04(土) 23:07:32 ID:e+ha2oiV0

師匠から聞いた話だ。 

大学に入ったばかりの頃、学科のコースの先輩たち主催による新人歓迎会があった。 
駅の近くの繁華街で、一次会はしゃぶしゃぶ食べ放題の店。
二次会はコースのOBがやっているドイツパブで、僕は黒ビールをしたたかに飲まされた。
三次会はどこに行ったか覚えていない。

ふらふらになり、まだ次に行こうと盛り上がっている仲間たちからなんとか逃げおおせた頃には、
夜の十二時近くになっていただろうか。 
同じようにふらふらと歩いているスーツ姿の男性と、それにしなだれかかるような女性、
路上で肩を組んで歌っている大学生と思しき一団、
電信柱の根元にしゃがみ込む若者と、背中をさする数人の仲間……
そんなごくありふれた繁華街の光景を横目に、
僕は駅の方角に向って、液体のように形状の定まらない足を叱咤しながら歩いていた。 

前掛け姿の店員が看板を片付けている、中華料理屋の前にさしかかった時だった。 
自分が進んでいる道と垂直に交差する道が視界の前方にあり、その十字路の上を奇妙なものが歩いているのが見えた。
それは街路灯に照らされているわけでもないのに、ほんのりと光を纏っている。
人間のようにも見えるが妙にのっぺりしていて、顔があるあたりは眼鼻の区別が定かではない。
そういうものが何体も、前方の道を右から左へ通り抜けて行く。
この世のものではないということはすぐに直感した。 
元々他人より霊感が強く、幽霊の類にはよく遭遇するのであるが、こうして街なかで群をなしているのを見るのは珍しかった。
ゆっくりと十字路に近づいていくと、その歩いてる連中が行列をなして同じ方向へ進んでいるのが分かった。 
その数は十や二十ではきかない。
無数の人影がぼんやりと繁華街の夜陰に浮かびながら、そろそろと歩いている。 
寒気のする光景だった。
『霊道』という言葉が思い浮かんだ。 
蟻が仲間のフェロモンをたどって同じ道を列をなして通るように、なにかに導かれて彷徨う霊たちが通る道だ。 
こんな繁華街の真っ只中に……
恐る恐る十字路に出て、行列の向かう方向を窺う。 
どこまでもずっと続いているような気がしたが、道の向こうに列の先頭らしきものが見えた。 

その瞬間だった。列の中からこちらに手を伸ばしてくるやつがいた。 
間一髪でその手をかい潜り距離を取る。 
思いもかけない攻撃に焦って足を挫きかけた。心臓がバクバクしている。 
異様に長い白い手が、波打つように揺れながら列の中に戻っていく。 
周囲の人々は誰もその光景を見ている様子がない。
行列を横切ろうとする人はおらず、十字路にさしかかった人も何気ない歩調で左右に折れていく。 
元々そちらに向かう人なのか、それとも無意識に霊道を横切らないように迂回しているのか…… 
そんな中、彼らの存在が『見えて』いる僕に反応したのだろう。 
それでも、列から離れてこちらを追いすがってくる様子はない。
列に添って進むことは、抗いがたい何かを秘めているのか。 

体勢を立て直し、道の中心を通る彼らからなるべく離れたままで、その進む方向へ足早に歩を進める。 
ぼんやりと光る彼らに横から目をやると、
その着ている服がうっすらと見えたり、無表情な横顔や砕けて開いたままの顎から垂れる血糊、
左の肩が落ち込んで鎖骨が覗いている姿などが垣間見えた。 
はっきり姿が見えるものや、闇に消え入りそうなものもいて、
そんな『見え方』はバラバラで一貫性はなかったが、どれも一様に歩を乱さず歩いて行く。 
僕は小走りに駆け、ふたブロックほど先でその先頭に追い付いた。 
その時に見た光景をなんと表現すればいいのか。 
その光景は、僕の生涯の中で忘れることのできない輝きを持って、様々な瞬間に幾度となく蘇ることになるのだ。
明かりの落ちた薬局の看板の前で思わず立ち止まり、その横顔に見とれていた。 
霊道の一番先端を行くのは女性だった。 
白いジャージの上下を着て、ポケットに両手を突っ込み、少し猫背で、睨み上げるように前を見据えて歩いている。
その相貌は怒気を孕んだように白く、眼は…… 
眼は、そこに映るすべてのものを憎悪し、唾棄し、苛み、
そしてそれでいて全く興味を喪失しているような、そんな色をしていた。 
苛立ちを撒き散らし、自分を不機嫌にさせたすべてを呪いながら彼女は歩いている。 
その後にぼんやりと光る死者の行列が音もなく続く。 
僕は息を止めて見つめている。 

葬列にも似た荘厳な行進は、夜半を過ぎて狂騒の冷めかけた繁華街の夜の底を行く。 
この世のものならぬものたちを従え、そして、そのことに気づいているのかどうかも分からない表情で、
振り返りもせず、ただ前方を睨み据えて彼女は歩き続ける。
いったい彼女の何が、まるで誘蛾灯のように彼らを惹きつけるのだろう。 
僕はその幻想的な光景に一歩足を踏み出し、通り過ぎようとする彼女に声をかけようとした。 
「あの……」
挙げかけた右手が虚空を掻く。彼女は足を止めようともせず、そしてこちらを一瞥もせずに、ただ短く口を開いた。
「後ろに並べ」 
そして次の瞬間、彼女は今自分が言葉を発したことさえ忘れたように、表情を変えず歩き去ろうとする。 
すべてがスローモーションのように映る。
今自分に話しかけたものが、この世のものなのか、そうでないのか、まったく関係がない。そんな声だった。
そうした区別もなく、ただ、どちらにも等しく価値がないと、他愛もなく信じているような。 
僕はその声に従いそうになる。
深層意識のどこかで、彼女につき従う葬列に混ざり、意識を喪失し、個性を埋没させて、
ただひたすら盲目的について行きたいと、そう思っている。 
だが現実の僕は、目の前を通り過ぎていく寒々とした列を、呆けたような顔で見送っている。 
その時僕は、彼女の横顔に涙が流れていくのを見た。
いや、それは涙ではなかった。左目の下、頬の上あたりに、仄かに光る粒子が溢れている。
それが風に流れる水滴のようにぽろぽろとこぼれては、地面に落ちる前に消えていく。
その粒子の跡を追って、無数の死者たちが光の帯となって進む。静かな川のようだった。 
僕はそれに目を奪われる。
その情景に、自分の感情を表現するすべを持たない自分がひどくもどかしかった。 

気が付くと行列は去り、やがて再び繁華街のざわめきが戻ってきた。
さっきまでの異様な空気はもうどこにもない。 
何ごともなかったかのように、酒気を帯びた人々が道を横断していく。 
遠くで客の呼び込みをしている嗄れた声が聞こえる。
終わりかけた夜の残滓が、アスファルトの表面をゆっくりと流れている。
我に返った僕は、棒立ちのまま左目の下に指をやる。 
もう一度、どこかであの人に会うだろう。 
そんな予感がした。

前の話へ

次の話へ