指さし - 師匠シリーズ

83 :指さし ◆oJUBn2VTGE:2009/06/21(日) 00:06:05 ID:m2hpAMu/0
小学校のころ、海沿いの青少年の家でクラス合宿があった。
近くの神社までの道を往復するという肝試しをしたあと、あとは寝るだけという時間帯がやってきた。
怖い思いをした直後の妙なテンションのせいか、
僕らは男女合わせて八人のグループで、建物の一階の奥にある談話室に集まった。
消灯はついさっきのことだったので、まだ先生が見回りにくる可能性があったが、
見つかったらそのときだ、と開き直っていた。
なぜならその中に一人、怪談話の得意なやつがいたのだ。
普段は目立たないのに、意外な才能というのか、
とにかく、彼の話す怖い話は訥々とした語り口と相まって、異様な雰囲気を作り出していた。
僕らは夢中になって彼の言葉に耳を傾けた。いや、その場から離れられなかったというべきか。
畳敷きの談話室は、背の低い本棚が壁際にならんでいるだけで、
その本棚に、車座になった僕らの影がゆらゆらと揺れていた。
円陣の真ん中に、彼がろうそくを立てているのだ。
いつもは体育の授業も休みがちで、青白い顔をして教室の隅でじっとしているイメージの彼が、
そのときは僕らを支配していた。
誰も、もう寝ようなんて言い出さなかった。
一人で部屋まで戻れ、と言われるのが怖かったのだ。

淡々と話は進み、女の子たちの顔が次第に強張っていくのが分かった。
男の子の方も半ば強がりで次の話を早くとせがんでいたが、
それも恐怖心を好奇心にすり替えようと、自分を騙しているのに違いなかった。

ふっ、と話が途切れ、部屋の中に静寂がやってきた。
彼はちょっと休憩というように手を挙げ、持ち込んでいた水筒に口をつけて喉を動かしている。
スン、と誰かが鼻を鳴らし、連鎖するようにスン、スン、という音が静まり返った談話室の中に流れた。
そんな空気にたまりかねたのか、男の子の一人が無理に明るい口調で言った。
「こんなゲームしようぜ」

みんな目をつぶって、いま幽霊がいそうなところを同時に指さすんだ……
そんなことを言い出したその子に、男の子も女の子も戸惑ったが、
「おもしろそう」という彼の一声で、やらざるを得ない雰囲気になってしまった。
「じゃあつぶれよ」
言いだしっぺの子がそう言って、僕も嫌々目を閉じた。
急に自分の心臓の音が大きくなる。
「もう指さした?」
そんな声が聞こえ、慌てて適当に指をさす。
いそうなところを感じたわけじゃない。
なんだかそれを感じようとするなんてことは、『しないほうがいい』と思ったのだ。
「目を開けろ」という声が聞こえて恐る恐る瞼を開く。
キャッという短い悲鳴がした。
ほとんどみんなバラバラの場所を指さしていたが、その中で女の子が二人ほとんど同じ方向に指を向けていた。
やだあ、なんてふざけてみせているが、声が震えているのが分かった。

「次の話」と彼がぼそりと言って、肩を少し突き出す。
僕らは蝋燭の火に顔を近づけた。車座が小さくなる。
また彼の寒気のするような話が始まり、なぜか不思議な余韻の中で終わる。
息を吐く音がそれぞれの長さで微かに聞こえる。

「また幽霊がいそうなところを指さそう」
同じ男の子が言った。ああいいよと、強がって別の子が目をつぶる。他のみんなもつられて目を閉じた。
少なくともこの僕は、一人だけ目を開けているのが怖かった。
「じゃあ目、開けて」
そう言われて目を開けると、今度は男女のペアが同じ方向を指さしていた。
僕は思わずその白い壁から視線を逸らせる。なにか見えてしまう気がして。

その後も彼が一つ話をするたびに、この霊感実験のようなゲームは行われた。
ゲームを言い出した本人も、血の気の引いたような顔をしている。けれど、誰もやめようとは言わない。
全員が抜け出せない繰り返しの輪の中に、囚われてしまっているようだった。 

そして、やがて気づき始める。
指をさす方向が、だんだんと揃い始めていることを。
目を開くたびに息を飲む音がして、みんなの視線がそちらに向く。
今度は四人がほぼ同じ方向の窓を指さしていた。
厚手のカーテンがしてあって、外の様子は覗けない。きっと外からも、蝋燭の小さな明かりは見えないだろう。
へへへ、と誰かが照れたような笑い声を漏らした。誰も窓の外、カーテンの向こうを確認しようとはしなかった。
みんなそちらから、ぎこちなく視線を逸らすだけだった。

「次の話」と彼がまたひっそりと言った。
その彼が喋り始めてすぐに、今までの怪談とは違うことに気付いた。
真夜中に子どもたちが集い、霊のいる場所をあてる指さしゲームをする話だった。
まるで僕らのことのようだ。
一話二話と話が進むにつれ、だんだんと指は揃い始める。二人、三人、四人、五人……
そして最後の話が終わったとき、全員の指が同じ場所を向いた……
そこで彼の話は終わった。
はずなのに、みんな息を吐かない。
これからその続きが始まるのだ。
「目をつぶって」と彼は言った。
誰も逆らえなかった。
僕の前には蝋燭のゆらめきだけが闇の中、陽炎のように残っている。
僕らが沈み込むように丸く座っている談話室の、あらゆる方位がぐにゃぐにゃと動いているような気配がある。
どこを指さしても、とても嫌な場所を指さしてしまいそうな予感がした。震えながら、手が動く。
「目を開けて」と闇の中から声が聞こえた。
そして僕たちは、全員が同じ方向を指さしているのを見た。 

大学一回生の春だった。
僕は大学に入って早々に仲良くなった先輩と、二人きりで心霊スポットを訪れていた。
その人は、怪談話の好きだった僕がまったく敵わないほどの妖しい知識を持っている怪人物で、
僕は彼を師匠と呼び、行く先々について回っていた。
「この世には、説明のつかないことがあるものだな」
山鳩の声が彼方から聞こえる暗闇の中で、小さなランプが僕らの顔を照らしていた。
僕のとっておきの体験談を聞き終えて、師匠は一言呟いて頷いたきり反応しなくなった。
なにも言ってくれないと怖さが増してくる。
今いるここは、人里を離れ山道をくねくねと登ってようやくたどりつく、打ち捨てられたようなプレハブ小屋だった。
色々な資材らしきものが散乱し荒れ放題に荒れていたが、中は広い。
ブルーシートの埃を払ってその上に座っていたが、なにもない空間が身体の外側に張り付いて無性に冷える。
心霊スポットに居座って怪談話に興じる、という無茶をよくやれたものだと思う。
話している最中から変な気分だった。
ここには二人しかいないはずなのに、もっと多くの気配が聞き耳を立てているような気がしていた。
「その……指さしゲームは初めてだったんだな」
ようやく師匠が口を開いた。
「そうです。たぶん、みんなも。それがどうかしましたか」
師匠は目を細めながら口元を緩めた。
「最後、みんながどこを指さしたか、あててやろうか」
驚いた。そして同時に、その談話室の中の詳しい様子を説明してないんだから、分かるはずはないと思った。
「お前の話だけでわかる」
師匠はさも当然のように言い切った。
僕は少し緊張する。
分かるはずはない。けれど、不気味な雰囲気の漂う夜のプレハブ小屋の中では、その確信が揺らぐ。

ランプの周りを飛ぶ小さな羽虫の音を聞きながら、暗闇に浮かび上がる顔を見つめる。
「全員、その怪談話をした『彼』を指さした」
そう言いながら師匠は、僕の眉間のあたりに指を向け、ついでその指を隠すように握る込む。
「と、言いたいところだが、違う」
なぜなら、と続ける。
「お前は一度も、そのゲームを真剣にやろうとしていない。
 霊の気配を探すなんてことは、恐ろしくて出来ないからだ。
 むしろ、自分の指がそんな場所をさすことを恐れている。
 他の人と同じ方向を指さしてしまえば、本当にそこに霊がいるような恐怖心を抱いてしまう。
 そう思っている。
 だから逆に、何もない場所を指さなくてはならない、という強迫観念にとらわれてしまうことは想像に難くない。
 そしてそれは、ゲームが進むにつれて、その場のみんなの共通意識になっていった……」
師匠の言葉は、揺らぎのない不思議な自信に満ちていた。
「最初に女の子ふたりの指が揃ったあと、たぶんみんなこう思った。
 『もう一度あの方向に揃うのは怖すぎる』と。
 だから意識的に、あるいは無意識にその方向を避けた。
 そしておそらく、その方向から全く離れた場所。
 例えば、反対方向に偶々別の男の子と女の子が指を揃えてしまう。
 そしてみんなは思う。『あそこも駄目だ』と。
 また、指をさせる方位が減る。自然、次に指が揃う確率が上がる。繰り返せば繰り返すほど」
スッ、スッ、と文字を書くにように指を虚空に走らせながら、師匠はプレハブ小屋の中を見回す。
「そして、『彼』が、今の自分たちの置かれた状況とそっくりな怪談を始める。これは反則だ。
 どんなに怖くてもお話の中、というフィルターが外され、怪談が現実を侵食し始める。
 子どもたちの心が、恐怖で満たされていったことは間違いない。
 そうして、たった一つの強迫観念に支配される。
 『次は絶対に他の人と同じ方向を指さしてはいけない』と。
 まして彼の語った怪談の結末である全員が同じ場所をさすなんてことは、絶対にあってはならない」

師匠は指を下ろし、そのまま頭を垂れた。
「だから、みんな目を閉じたまま考えた。
 絶対に他のみんなが指ささない場所。そんな方向に霊がいるはずがない場所。
 いそうだなんて、思いつかない場所……」
ふいに寒気がした。まさか、師匠には分かってしまうのか?
「そこは、その談話室は、一階にあった。だから……」
師匠は顔を上げて右手を突き出し、そのひとさし指をゆっくりと真下に向ける。
「みんな、下を指さした」
その言葉を聞いた瞬間、頭の中に鮮明な記憶が蘇った。

女の子の悲鳴。男の子の悲鳴。バタバタとどこへともなく逃げ惑う足音。
全員の指が下を向いたとき、僕は得体の知れない金切り声を耳元で聞いた気がした。
背中に重くて冷たい液体が流し込まれたような気がした。
とにかくその場を離れようとして、誰かにぶつかった。
転んだ僕の目に、蝋燭の前で驚愕の表情を浮かべて硬直する彼の姿があった。
やがて談話室から喚きながら数人が飛び出して行き、その騒ぎを聞きつけて先生が寝巻き姿で走ってきた。
僕らは散々に怒られ、一発ずつビンタを頂戴した。
特に蝋燭を持ち込んだ彼は、先生の部屋に担がれるようにつれていかれてしまった。
怪談話をしていたときの落ち着き払った態度は消え失せ、ごめんなさいごめんなさいと泣き喚いていた。

「よく、分かりましたね」
そう言うしかなかった。改めてこの人は凄い人だと思った。
「おそらく全員の指は、厳密にはバラバラだったはずだ。自分の真下や、畳の上のどこか。
 いずれにせよ、それまでに二人以上が同じ方向を指さしてしまったようには、揃っていなかったと思う。
 でも目を開けて、他の子の指が向いている方向を見たとき、
 みんなの意識は、『下』というその記号だけを認知していた」
そう指摘されて始めて気付いた。確かに指は揃っていなかった。なのに『揃った』と錯覚していた。

「思い込みの強い子どもに、そのゲームは酷だったな」
師匠は口元だけで笑った。
僕は左腕をさすりながら肩を縮める。あの恐怖体験に、そんな心理トリックが隠れていたなんて……
ふと頭の中に微かな引っ掛かりを覚えた。
あれ?だとすると変だ。
「この世には、説明のつかないことがあるものだなって、言いませんでしたか」
僕の話を聞き終えたあと、確かに師匠はそう言った。しかしその直後、見事に心理的な説明がついてしまった。
あのときにはすべて飲み込んだ言葉のように聞こえたのに。なんだかあっけない。
「誰が、その話のオチのことだって言った?」
師匠がゆっくりと言葉を吐く。その瞬間、ゾクリと肌が粟立った。
ランプのほの明かりの中で首を巡らせて、蜘蛛の巣が煙のように覆っている小屋の四隅に視線をやりながら、
師匠は語り始めた。
「ここは、倒産した土建会社の資材置き場だったらしい。
 それがどうして心霊スポットになったのか、まだ話してなかったな。
 まあ、あっさり言うと、社長がここで首を括ったんだ。そこの柱にネクタイを巻きつけてな」
ランプをそちらに向ける。
なにかおぞましいものでも見たように、僕は思わず身を引いた。
「で、そのあと夜中に小屋の前を通ると、窓の内側に誰か立ってるのが見えるって噂が立った。
 その窓の向こうの人影は、異様に首が長いんだと。
 死んだ社長が浮かばれない地縛霊になって、今もこのプレハブ小屋の中を彷徨ってるっていう話だ」
ところが。と、師匠は一拍置いた。
「社長が首を括った理由を辿っていくと、面白い別の噂に突き当たる」
カタン、とランプを置いて立ち上がった。
ブルーシートから出て、地面の上を円を描くように歩き始める。 

「土建会社が倒産したのは、資金繰りが悪化して不渡りを出したからだが、
 その資金繰り悪化に止めを刺したのが、
 杜撰な設計で始まった地元の自治体の公共工事を、最低制限価格ギリギリで落札してしまったことだ。
 設計の通り行おうとする限り、工期は遅れに遅れ、
 自治体の担当と侃々諤々のやりとりを繰り返しながら、キャッシュフローが目に見えて澱んでくる。
 なんとか工事は終え、自治体からの支払いも完了したが、
 そのころには、土建会社としての足腰はボロボロになっていた。
 そしてその一年後に倒産、という流れになるんだが…… 
 実はその公共工事の最中に、ある事件が起こっていた」
ピタリと師匠は足を止める。
「基礎工事をするために、地面を掘り返していたときのことだ。
 現場監督と数人の作業員が、土の下から、なにかの遺物らしきものを見つけてしまった。
 通常、貝塚やら古代人の遺構なんかの、遺物を見つけた者には、教育委員会に報告する義務が生じる。
 しかしこれが、工事をする会社にはやっかいな代物で、
 一通りの調査が終わるまでは、工事を中断せざるをえないし、
 場合によっては、工事そのものが中止されることもある。
 体力のない中小の土建会社にとっては死活問題だ。
 だから、その報告を現場監督から受けた社長は、遺物発見の事実を隠すことを指示した。
 そしてその掘り起こされた遺物は、密かに別の場所に運び込まれ、埋め直された。
 もちろん。その土建会社の私有地だ。
 すぐあとで、その土地の上に、まるで覆いをするようにプレハブ小屋が立てられる。
 資材置き場として使われていたが、やがて土建会社が倒産の憂き目に会い、社長はそこで首を括って死ぬ…… 
 つまり、ここだ」
師匠は静かに言った。
空気の流れがほんの少し変わったのか、小屋の隅につまれた藁の束から饐えた匂いが漂ってくる。
ゾクゾクとなんだか分からない寒気が、足元から這い上がってきたような気がした。

「一体、掘り出してしまったものは何だったのか、それは伝わっていない。
 この噂自体、工機を動かしていた作業員からの又聞きで、
 土建会社の元従業員たちの間に、密かに囁かれていたものらしい。
 ただ、会社の倒産も社長の死も、その遺物の呪いによるものではないかと噂されている。
 見つけてはいけないものを見つけてしまい、
 それをもう一度埋めてしまうなんていう、とんでもないことをしたからだと。
 社長が首を括ったのが、本社や他の施設ではなく、この山奥の資材置き場だったなんて、
 それだけで因縁めいているじゃないか」
師匠は柱のそばに立って、それを撫でた。社長がネクタイを巻きつけたという柱だ。
「そして、その社長の霊が、未だにここに囚われているというのも、
 底知れない、暗い重力のようなものを感じさせる」
さっきから、遠くなったり近くなったりしながら、耳鳴りのようなものがしている。
僕は耳を塞ぎ、叫びたくなるのを必死で堪え、それでも師匠の口元から目が逸らせない。
何かが立ちのぼってくる。
目に見えない何かが。
「お前は、このプレハブ小屋にまつわる話をまったく聞いてない段階で、
 特にお題もなく怪談話をするのに、わざわざその小学校のころの体験談をした。
 まるで選んだように。
 だから、言ったんだ。この世には、説明のつかないことがあるって」
師匠は足音も立てず僕の前にもう一度座った。

さあ、目を閉じて、指をさそうか

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