趣味の話- 師匠シリーズ

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2012年9月1日 23:13

師匠から聞いた話だ。


僕の師匠は実に多趣味な人だった。
もちろんオカルト道の師匠であるからして、その第一はオカルトであるのだが、他にも色々なものに凝っていた。
中でもスポーツは大好きで、野球、プロレス、水泳、登山、ビーチバレー、短距離走と、節操なく手を出していた。
いずれも見るだけはなく自分でやっているのであって、そのバイタリティと運動神経には驚かされる。
特に足の速さは一級品であり、主に逃げ足などに活用されていた。
この不思議な魅力を持つ人物のことをもっと知りたくて、彼女を知る人に片っ端からインタビューを試みたことがあった。
曰く、

足が速い。
幽霊が見える。
金を貸している。
寝癖が爆発していることがある。
案外いいヤツ。
逃げ足速すぎ。
何を考えているのか分からない。
逃げる野良猫に追いついているのを見た。
ときどき気持ちの悪いことを言う。
キレると怖い。
女ジャイアン。
諦めが悪い。
ずうずうしい。
殺しても死なない。
金を貸していた気がする。
凄く足が速い。
食べ物をたかるのはやめて欲しい。
頭は良い。
痴漢したオッサンに一瞬でノーザンライトスープレックスをきめていた。
怪談話が好き。
お巡りさんに追いかけられているのを見た。
上から目線がひどい。
知ったかぶりをする。
足が速い。
教授に色目を使っている。
…………

等々、その特徴として足が速いことを挙げる人が多かった。陸上部でもないのに、
大学生にもなって足の速さを披露する機会が多いということ自体、彼女の普通ではない様を如実に表している気がする。
また、スポーツ以外でも興信所のバイトで探偵まがいのことをしていたり、地区の消防団に入っていたり、と実に活動の幅が広い。
ただ、その本質は飽きっぽいのであり、長く続いている趣味の後ろには、手を出したものの三日と続かなかったようなものが山を作っている。
例えばホーミー。
モンゴルの伝統的な歌唱法と言うか、発声法で、唸るような低い声と同時に甲高い笛のような音が聞こえてくるという代物だ。
なにかのテレビで見たらしく、さっそく試してみたようだ。実際にその音が出ると嬉しくなったのか、
さらなる練習を重ね、口ホーミーから喉ホーミー、腹ホーミーと、様々に使い分けることもできるようになっていた。
超音波的というか、ビリビリと響く、どこか金属製のものを思わせるその音を聞いていると、僕など頭が痛くなってしまったものだ。
ある時、その師匠の家に遊びに行くと、ボロアパートの部屋の前に猫がたむろしている。四、五匹はいただろうか。
野良猫と思しき彼らはみな一様に部屋の中が気になるようで、ドアの下の隙間を覗き込もうとしたり、
壁際に積んでいたダンボールを踏み台にして部屋の窓を伺ったりしていた。
いったいなにごとかと、僕も一緒になって窓から中を覗き込むと、カーテン越しにちらりと師匠が部屋の真ん中でヨガのようなポーズで座っているのが見えた。
その時、窓ガラスが小刻みに揺れているのに気づいた。そして微かに響いてくる低い唸り声と、それに被さる金属的な音。
ホーミーの練習をしているらしい。いつの間にやら趣味が高じて、近所の猫が集まってくるほどになっていたようだ。
というか、なぜ猫が?
そのホーミーに凝っていたのも二、三週間のあいだだけだった。
あまりに猫が集まってくるので、エサをやっているんじゃないかと近所から苦情が来たらしい。
手品にハマッていたこともあったし、俳句に興じていた時期もあった。ある時など、自分の寝言を記録していたことがあった。
師匠は元々寝言がやたら多いらしいのだが、ふと思いついて自分がどんなことを喋っているのか、それを記録してみることにしたらしい。
最初はラジカセで採ろうとしていたが、録音時間が足りず、人力をもってそれに代えることにしたという。
つまり僕だ。
「いいか。お前はずっと起きてて、わたしの寝言を一字一句聞き漏らさずに書き留めるのだ」
そんな宣言の後、師匠は布団を頭から被って寝始める。
その枕元にはノートと鉛筆を持って座っている僕、というシュールな絵面だ。時計は夜中の十二時をさしている。
確かに師匠は寝言を発していた。
むにゃむにゃむにゃ、というような文字化し辛いうわ言ばかりかと思っていたら、まれにはっきり聞き取れる内容のものもあった。
カナヘビがどうだとか、チェッコ・ダスコリがどうしたとか言っていたかと思うと、
わたしからは名を与えるとか、ちょっとそこをどいてくれだとか、腹が減った、などというようなことをぼそぼそと口にしていた。
それらを黙々と書き留めていると、やがて誰かと会話しているらしい場面になった。
「らるふ、らるふ」と誰かに話しかけているらしいのだが、なにか怒っているような口調だ。
十分ばかり耳をそばだてて集中していると、ようやくなにを言っているのか分かった。
夢の中で近鉄のラルフ=ブライアントに箸の使い方を説明しているのだ。
ブライアントはあまりに箸の使い方がヘタで、師匠がどれほど教えても上手く扱えないようだった。
だんだん「ボケ」とか「違うだろアホ」とか口調が汚くなり、「もう知らん。パンでも食ってろ」との捨てセリフを吐くに至った。
僕はそれを丁寧にメモしていく。
と、ノートに目を落としていたら、耳をつんざくような悲鳴が上がった。
心臓が止まりそうになるほど驚いた僕はひっくり返ってテーブルに頭をぶつけてしまった。
師匠が口元を抑えて跳ね起きた。目が大きく見開かれている。
「な、なにが。ど、どうしたんですか」
しどろもどろでそう訊くと、返事も出来ない様子で肩で息をしている。
「ラルフになにかされたんですか」
そう訊ねた僕に、怪訝な顔をして「ラルフってなんだ」と訊き返してくる。
「寝言で言ってたんですよ。夢を見てたんでしょう?」
僕が説明すると、師匠はひったくるようにノートを手に取り、自分の発した寝言を確認する。
寝ている師匠がなにか喋ったら、その内容と時間とをメモしてあるのだが、最初の一時間半ほどはすやすやと寝ていて、夜中の二時前くらいからぽつぽつと何ごとか寝言を言い始め、
そして三時半現在でいきなり自分で悲鳴を上げて飛び起きた、という流れだ。
師匠の部屋の外はまだ暗い。電柱に取り付けられた街灯の微かな明かりがカーテン越しに見える。
「おい。この、パンでも食ってろ、ってのが最後か」
「はい」
「いつだ」
「いつって、ついさっきですよ」
「何分まえだ」
「何分というか、いきなり叫びだして起きる直前ですよ」
「直前……?」
師匠は真剣な表情になり、目を見開いたまま、なにかを思い出そうとするように額に手を当てた。
「夢が変わってる」
「は?」
「そんな、ブライアントが出てくるような楽しい夢じゃなかったぞ」
真顔でそう言われて、なんだかわけの分からないままに寒気がしてきた。
「どんな夢を、見てたんです?」
恐々とそう訊ねた。
師匠は右手をゆっくりと前に突き出して目に見えないなにかを探るような仕草をする。
「こう…… 誰もいない夜の街で、道路になにかが這いずったような跡があって、それを辿って行くと……」
そこで口ごもった。
続けようとしたようだが、手だけが宙を彷徨うばかりで言葉は出てはこなかった。
師匠は一瞬、身体を震わせたかと思うと、また布団に潜り込んだ。
あっけにとられた僕は、しばらくその布団の膨らみを見つめていたが、いつまで経ってもそのままなので「ちょっと」と揺すった。
「なあに?」
「なあにじゃなくて」
気になるでしょう。
僕が促すと、布団の中から囁くような声でこんな言葉が返ってきた。
「なにかいるぞ」
この街に……
そうして布団が小刻みに揺れた。笑っているのか。怯えているのか。どちらとも知れなかった。

           ◆

そんなことがあってからしばらく後、師匠は今度は読唇術に凝り始めた。
僕はさっそく部屋に呼び出され、その練習相手を無理やりさせられていた。
「ほんじつは……せいてんなり?」
パクパクパク。
「かーる……るいす」
パクパクパク。
「がーたー……べると」
パクパクパク。
「とむ……と……しぇりー」
座って口パクをする僕の唇の動きだけを見てなにを言っているのか当てるのだそうだ。
それが正解なら僕は黙って頷くことになっている。外れなら左右だ。師匠の手元にはどこで手に入れたのか、読唇術のハウツー本が握られている。
「おっ……ぱい?」
正解。
師匠はそこでちょっとタイムとばかり、両手を頭上でクロスさせた。
「なあ、さっきからなんか、ところどころエロい言葉を言わせようとしてないか」
ぶんぶんと頭を振る。
疑わしそうな目で睨みながら師匠は膝を付き合わせた姿勢に戻る。
「なんでも良いから喋るフリしろ、とか言われても逆になにを言って良いのか分かんなくなるんですよ」
抗議をすると、師匠は少し考え込み、やがて「じゃあ、プロ野球選手の名前縛りで行こう」と言った。
僕は真剣な表情でこちらを凝視してくる師匠のプレッシャーを感じながらゆっくりと口を動かす。
パクパクパク。
「くわた……ますみ」
パクパクパク。
「あいこう……たけし?」
パクパクパク。
「お……な……」
そこまで言いかけて、師匠はいきなり僕の左頬に平手打ちをかました。
「い、痛い」
びっくりして思わず喋ってしまった。
「いい加減にしろ、このボケ」
怒鳴りつけられた。
「オマリーって言っただけですよ。オマリー。阪神の」
「うそだ。絶対うそだ」
「うそじゃないです」
実はうそだった。
しばらく言い争ったが、白けてしまったのか、師匠はハウツー本を投げ出して立ち上がった。
そして洗面所でジャージに着替えてきたかと思うと「走ってくる」と言う。
その手には何故かランプが握られている。手に提げるタイプの古色蒼然としたオイルランプだ。吊り下げられたガラス瓶の中に灯は入っていない。
これも、師匠がこのところ日課にしている奇妙なランニングだった。陽が落ちてからこの明かりのないランプを手に街中を走り回るのだ。
スッと師匠が取っ手を目の高さに掲げる。そして丸く膨らんだガラスの中の空洞を見つめる。
ガラス越しにその口元が歪むように笑う。僕はその様子を見てゾクリとする。
「じゃあ行ってくる」
そうしてドアから出て行く後ろ姿を見送った。
これから師匠は夜の街を、明かりのないランプを掲げて走る。人工の光で満ち、ほの白い陽炎で覆われたような夜を、そのランプで照らして行く。
何もない空のランプで。
何もないがゆえにそこから湧き出てくる、底知れない闇で、まがい物のような夜を照らすのだ。
そして走りながら呪文のようにこう繰り返す。
「幽霊はいないか」「幽霊はいないか」
…………
強烈な挑発だ。
かつて古代ギリシャの『樽の中の賢人』ディオゲネスは、太陽の出ている昼間にランプに灯をともし、人で溢れるアテネの街を練り歩いたという。
一体なにをしているのかと問われた彼はこう答えた。
『人間を探しているのだ』
彼は哲学者だったが、狂人ではなかった。真に『人間』と呼ぶに値する人物がこの街にいるのか、という彼一流の痛烈な皮肉である。
その故事にちなんだ師匠の最悪の趣味がこれだ。彼女が馬鹿にし、けなし、挑発しているのは、この街に彷徨うすべての死者だった。
さすがにこの悪意に満ちたランニングのことを知った時には僕も鼻白んだが、
あまりに執拗に繰り返しているので、何か裏の意味があるのではないかと思うようになっていた。
実際にそのランニング中の師匠の表情はどこか緊張を帯びたような様子だった。
幽霊はいないか。
一人になった部屋でそう呟くと、もの寂しさと同時に背筋になにか冷たいものがゆっくりと這い上がってくるのを感じた。
なにをするともなく待っていると小一時間ほど経ってからドアノブを誰かが掴んだ音がする。
「戻った」
汗を湯気のようにまとって師匠が部屋に入ってくる。
同時に、その師匠が潜ってくるドアの外側の上部に、逆さになってこちらを覗き込んでいる顔があった。
まるで二階の部屋から逆さにぶら下がっているかのような格好だ。
しかし現代の長屋とでも言うべきこのアパートには二階などない。
三十代だか四十代だかの痩せこけた男の首だけが無表情にこちらを見ている。
奇妙なことに髪の毛は重力の方向に逆立っていない。
なんとも言い難い嫌悪感とともに、一瞬、そういう絵がそこにあるような錯覚をおぼえた。
僕の視線に気づいた師匠が振り返る。
そしてその逆さまの男の顔を見上げたかと思うと、近くにあった箒を手に取り「しっしっ」と言いながら鼻先を払った。
顔は無表情のまま引っ込み、師匠はすぐにドアを閉じる。
「あー、疲れた」そう言ってランプを転がして、部屋の真ん中で仰向けに寝転がる。
僕はさっきまでそこにあった男の顔が頭から離れず、ドアの上部を恐る恐る見つめている。
師匠の悪趣味な挑発に対してどこからかついてきたのだろうか。
「どうした」
「さっきの首は……」
「雑魚だ。ほっとけ」
平然とそう言う。
しかしその次の瞬間、ドアノブが外から誰かに捻られた音がした。さっきの現実感のない絵のような存在とは明らかに違う、
なにか恐ろしいものの気配。ドアが小刻みに揺さぶられたかと思うと、「ギッ」と音を立てて開きかける。
ざわっとした嫌な感じが体幹を駆ける。まずい。直感でそう思った。
師匠が跳ね起きた。
「どけ」
前にいた僕を弾き飛ばし、信じられないことにそのままの勢いでドアにドロップキックを敢行した。
凄い音がして、ドアが外側に弾ける。
ということは、やはりドアが開きかけていたのは間違いない。玄関口に転がった師匠は、
その場を動けないでいる僕を尻目にすぐさま立ち上がると、さっきと同じ箒を手に持って「しっしっ」と部屋の外に向かって払う仕草をした。
しかし開いたドアの外には何も見えず、箒を持ったまま「ん?」と首を傾げて突き出そうとする。僕もその後ろから、部屋の外を覗き見ようとした。
いる。街灯のわずかな光に照らされて、なにかがいる。
アパートの敷地から立ち去ろうとする影。人ではなかった。それはすぐに分かった。
それは頭部があきらかに普通の大きさではなかったのだ。大きいのではない。逆に小さい。小さすぎた。
顎の上部あたりから先が、まるで切り取られたようにない。後ろ姿からは、丁度うなじのすぐ上が何もない空間になっていた。
そんな状態で生きていられるわけがない。しかしその人影は、ふらふらとした足取りで去って行ったのだった。
師匠はその光景を見つめながら、おお、という感嘆符を残し、しばらくたたずんでいたが、ふいに僕の方を振り返ってこう言った。
「今のは、かなりやばいやつだな」
「最初の首だけ見えてたのとは別ですか」
「別だ。おまえ、見ただけで雑魚とああいうやばいのとの区別がつかないと危ないぞ」
危ないのか。しかしそれをわざわざ招いているのは師匠ではないのか。招いている?
「もしかして、あのディオゲネスごっこは……」
そうだ。
師匠は頷いた。
「霊道を作ってんだよ」
そんなもの作るなよ!
そう突っ込もうとしたが、ゾクゾクとした寒気が背中を走り抜けた。その中に歓喜に似たものが入り混じっているような気がした。
街中の死者の霊を冒涜し、挑発して追って来させているのだ。その意味を知り、反応した連中が同じ道をたどり、やって来る。
ディオゲネスごっこに出くわさなかったやつも、他の霊が進む方向に惹かれて何も知らずにやって来る。この部屋にだ。
「なんでそんなこと」
「なんでって。見たいだろ」
「なにを」
「なんか、すごいやつ」
あっさりそう答えた。探して見に行く手間が省けるじゃないか、という顔だ。呆れてしまって、思わず乾いた笑いが漏れた。
「大丈夫なんですか」
そんなすごいやつを毎回箒で撃退するつもりなのか。そう問うと、師匠はニヤリとしてこう答えた。
「会いたいやつは、たぶんそんな撃退するとかいうレベルじゃないやつなんだがな。でも全然来ないぞ」
その口ぶりは、なにか特定の存在を指しているようだった。
「どんなやつですか」
思わず生唾を飲み込みながら訊ねる。
師匠はドアを閉め、部屋の中に戻った。そうしてこちらに向き直りながら畳の上に胡坐をかいて両膝の上に手を乗せる。
「最近な、街に変な幽霊がいるだろ」
「変って、どんなのですか」
「手がないやつとか、腰のあたりが千切れてるやつとかだよ」
思い浮かべるが、そんなのを見ただろうか。
「さっきのやつみたいに、頭がないのもいる」師匠はそう言って嬉しそうに笑う。
ひとしきり笑った後で、身を乗り出して言った。
「食われてんだよ」
く…… 食われてるって。
絶句する。
「こないだ、駅の近くの郵便ポストの前ですごいのを見たぞ。足首だけの幽霊を。
両足の脛のあたりから下しかないんだ。そんなのがずっとそこにいるんだよ。
ほとんど意思も感じない。あれじゃあ個を保てないだろうから、じきに消えるだろうな」
手のひらを床にかざして、このくらい、と足だけの幽霊の様子を示す。
師匠は、この街の幽霊がなにかに食われているというのだ。
胸が嫌な高鳴り方をしている。
僕は想像してしまっている。今この瞬間にもなにか得体の知れない存在が、
この部屋の屋根をかぱりと開けて、中にいる僕らをつまみあげ、大きな口に放り込んでしまうのを。
あるいは、小さな蟻のようなものがどこからともなく現れ、僕の顔に群がったかと思うと、一瞬でそこだけ白骨化してしまうのを。
そんな荒唐無稽なイメージが次々と脳裏をよぎる。
「なにかがいるんだ」
そうひとりごちて、彼女は視線を床に落とし、考え込むような顔で沈黙した。

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