豊中市小5女児浴槽殺人事件

事件の概要

1990年10月14日午後5時20分頃─ 大阪府豊中市刀根山1丁目にある、医師・智片英治さん宅の水の入ったままの浴槽の中で、市立小学5年生の智片(ちかた)直子ちゃん(当時11歳)が、 意識のない状態でぐったりして倒れているのを帰宅した母・芳子さんが発見した。 直子ちゃんは午後5時20分頃、同級生の誕生パーティーから帰宅。その後、犯人に首を絞められ、浴槽に遺棄されたと思われる。 発見された際には心臓が停止していたため、父親で医師の英治さんらが心臓マッサージなどをして心臓は動きはじめるも、 家族の願いも叶わず、意識不明のまま約2カ月後の同年12月9日死亡した。 警察は豊中警察署に捜査本部を設置し、延べ54000人の捜査員を動員。 母親が帰宅時に『自宅玄関前の階段から急いで走り去る、ジーンズ姿の不審な若い男』を目撃している事から、 その男の似顔絵を作製するなどして捜査を続けてきた。 しかし犯人を絞り込むことは出来ず、さらに事件解決につながる有力な情報を得ることができないまま、犯人検挙には至らず、2005年12月9日午前零時に公訴時効を迎えた。

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●2005年12月8日付『共同通信』 ─ 小5女児殺人が時効に 大阪・豊中、両親が手記 大阪府豊中市の自宅で1990年、市立小学5年智片直子さん=当時(11)=が首を絞められ、約2カ月後に死亡した事件は、未解決のまま9日午前零時、殺人罪の公訴時効(15年)が成立。病院長の父英治さん(64)と母芳子さん(64)は連名で、時効に当たって手記を公表した。  両親は手記で「焦りと絶望の交錯する辛(つら)く悲しい気持ちで一杯」と心境をつづった。また「罪のない幼い命を奪った犯人が、善良な市民の顔で暮らしていることは許せない。今からでも真実を語ってほしい」と訴えた。  豊中署捜査本部の調べでは、90年10月14日夕、帰宅した芳子さんが玄関前の階段を下りる若い男を目撃、直後に自宅の浴槽に倒れていた直子さんを発見した。 ●2005年12月9日付『毎日新聞』─ 豊中小5殺人:事件直後に若い男…公訴時効に 大阪府豊中市刀根山で90年10月、小学5年だった智片(ちかた)直子ちゃん(当時11歳)が自宅で襲われ、同12月に死亡した殺人事件は9日午前0時、容疑者不明のまま公訴時効を迎えた。事件直後に自宅玄関前で若い男が目撃され、府警は似顔絵を公開して捜査したが、犯人特定には至らなかった。調べでは、直子ちゃんは90年10月14日午後5時20分ごろ、同級生の誕生パーティーから帰宅したところを、犯人に首を絞められたとみられる。水が入った浴槽にうつぶせでぐったりしているのを両親が見つけた。心臓が停止していたため、父親で医師の英治さん(64)らが心臓マッサージなどをして心臓は動き出したが、意識不明のまま約2カ月後の12月9日、死亡した。 府警は延べ約5万4000人の捜査員を投入し、似顔絵を基に犯人の割り出しを進め、今春、専従捜査員を改めて配置したが、物証が少なかったことなどから難航した。「(犯人が)罪の償いを免れても罪は消えることはない。時効は受け容(い)れがたい」--。英治さんと母芳子さん(64)は、時効を迎えるにあたって、手記を公表した。犯人に対する憤りと子供を失った深い悲しみ、時効制度に対するやり切れない思いがにじむ。 毎日、朝と晩の花やお供えは欠かさない。「残された人生も子供の命を守ってやれなかった深い自責の念を抱きながら、いつまでも11才のままの直子とともに静かに送りたい」としている。

◆ソース元
Wikipedia - 豊中市小5女児浴槽殺人事件
未解決事件

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