長岡京殺人事件(京都長岡ワラビ採り殺人事件)

事件概要

1979年5月23日(昭和54年5月23日)、長岡京市内にある長岡天神駅前のスーパー「イズミヤ」でパートをしていた主婦2人が、 仕事終了後に近くの山の竹林にワラビ採りに行ったまま消息不明となり、2日後の25日、山頂付近で遺体となって発見された。 2人はパート終了後の午前10時頃、そのまま自転車で同市奥海印寺の通称「野山」(美竹台住宅地の裏山河陽が丘内の竹林)にワラビ採りに出掛けた。 野山は近所の人が山菜やタケノコ狩りをピクニックがてら家族で楽しむような場所だった。 しかし何度もワラビ採りに出かけていたはずの明石さん、3時半には子供を保育所に迎えに行く予定だった水野さんはそのまま消息をたった。 現金や腕時計など2人の所持品は奪われておらず、持ち歩いていたリュックの中には、所持金、空の弁当、ワラビの束がそのまま入っていた。 検死の結果から、二人は昼食の弁当を食べた正午過ぎから午後2時半の間に殺害されたと考えられた。 明石さんのはいていたジーパンの右ポケットからから、「オワレている たすけて下さい この男の人わるい人」と裏に鉛筆で走り書きされた、 勤め先のスーパー「イズミヤ」のしわくちゃのレシートが見つかっている。 だが、どちらの荷物にも衣服のポケットにも、メモを書いたと思われる鉛筆がなかった。 警察は徹底して現場の山道の表層土砂を全部ふるいにかけ、メモを書いたのに使用されたと思われる鉛筆の芯(先の部分)を 遺体から約17メートル離れた土砂の中から発見する。しかし鉛筆自体は発見されなかった。 遺体の状況と死因は下記の通りである。 ●明石英子さん・・・(43歳)全身約30箇所の皮下出血、手拳や蹴り上げられたような跡があった。左右計9本の肋骨が折れ、肝臓が破裂していた。 シャツに乱れはあったものの、きちんとジーパンをはいていた、が、体液が検出された。首を両手で絞められたことによる窒息死。 ●水野恵子さん・・・(32歳)は約50箇所の皮下出血、手拳や蹴り上げられたような跡があった。0型の血液型と特定された体毛が付着していた。 胸を刺傷した事による失血死。胸には肋骨を切断して、心臓から肺にまで達する包丁が突き刺さったままだった。 発見当時、下半身の下着が引き裂かれて、ジーパンや靴が遺体近くに散乱しており、性的暴行を受けた可能性も示唆していたが体液は検出されなかった。 遺留品は水野恵子さんの遺体に突き刺さっていた包丁1本のみで指紋は検出されず、凶器の包丁だけであった。 だが、この包丁からも指紋は検出されなかった。この包丁は岐阜県関市で作られた約7万本の中の1本とみられているが、 販売ルートは解明されていない。 府警捜査本部(向日町署)は捜査員延べ約二万五千人を投入し、徹底した捜査を行った。 犯行現場は、殺された主婦たちのように、ピクニックがてら山菜採りに地元の人が訪れているようなところではあったが、 犯行発生前から木や竹が生い茂り、昼間でも薄暗いところが多く、レイプ事件も発生していた。 犯行当日は山菜取りシーズンだったので、15・6人が野山に入山しており、車両も5・6台駐車してあり、 また近隣の宅地造成地があった為、大阪府豊中市から40数名の作業員が工事に携わっていた。 これらの人から、いくつかの証言が得られるも、直接の犯人逮捕には結びつかなかった。 そして、有力な手がかりも得られないまま、1994年5月24日に公訴時効が成立した。

容疑者に関する情報

主婦2人の遺体にはそれぞれ数十カ所殴られた跡があり、犯人は空手などの武術の心得がある者との見方がある。 警察庁科学警察研究所の鑑定の結果、犯人の血液型はO型と判明している。 だが、白昼に主婦2人を一度に襲い、多数の殴打の跡があることなどから複数犯の可能性もある。 ●『別冊宝島Real 迷宮入り!?未解決殺人事件の真相―真犯人たちは、いまどこにいるのか? 』 田宮 栄一(編)宝島社2003年10月 より以下抜粋 ○長岡京市内に住む不良グループのKとM(建築手伝い)。殺害時間直後に野山から急ぎ足で下山してきたという目撃情報があり重要参考人となった。 Kには空手の心得もありサイクリング車でたびたび野山への道を走っていた。 ○主婦二人が野山を上っていった10分後に入山した25歳から30歳くらいの白いシャツ、ジーパンのようなズボンの二人連れ。身元判明せず。 ○事件の前年同時期にワラビ採りをしていた主婦に声をかけた、40~45歳くらい、身長170cmのねずみ色の作業着を着た男。 長さ30cmくらいの包丁を持ち、「奥さん、ワラビ採れますか」と声をかけた。 ○事件の数年前から横行していたタケノコ泥棒。タケノコを掘り返すのではなく、地上に出た部分を包丁できりとり持ちかえるというもの。 事件発生後1年間で被害がぷっつり消えた。 ○現場付近に残されていた足跡の中で、登山靴やレジャーシューズのような溝のある靴跡ではなく、二つだけ革靴の可能性が高い溝も模様もない足跡があった。 ○6日前にワラビ採りをしていた主婦に声をかけた挙動不審な中年男(似顔絵が作成され、一般公開された)。 スポーツシャツで軽装。サラリーマンタイプの男。

もう一つの事件

○中日新聞1984年05月16日(水)朝刊主婦殺し放火 京都 首や背中メッタ刺し 【京都】十五日午後二時五十分ごろ、京都府長岡京市神足xノxノx、国鉄職員●●さん(54)方から出火、 木造二階建て約百十平方メートルのうち、一回の六畳居間の一部を焼いた。 居間からxxさんの妻xxさん(48)が死体で発見された。体に刺し傷があり、京都府警捜査一課は殺人放火事件と断定。 向日町署に捜査本部を置き捜査を始めた。 調べによると、xxさんは居間の中央にうつ伏せになって倒れており、左耳の下に深い傷が数カ所あり、背中にも十数カ所の切り傷があった。 死体の上には居間の押入れにあった衣類数十点と布団数枚が高さ五、六十センチにわたり重ねられ、 布団や布団からはみ出ていた手足や頭の一部、周囲の畳が燃えていた。一、二階には点々と血痕があった。 同本部は、犯人がxxさんを刺殺した後、放火したとみて物色の跡や被害品の有無などを調べている。 xxさんは左耳下の傷の出血による失血死か、目にうっ血の跡があることから首を絞められたことも考えられるとして、 十六日遺体を解剖し詳しい死因を調べる。 隣家の主婦が火事に気付き声を掛けたが応答がなかったため一一九番。消火作業に当たった消防士の話では、xxさん宅の裏口が開いていたという。 xxさん方は夫婦と会社員の長男(27)長女(23)の四人暮らし。事件当時はxxさん一人だった。近くに住む小学校時代の同級生の男性(48)は 「恨みを買うような人ではないのだが」 と話していた。 現場は国鉄神足駅の約百五十メートル北西で,商店街に面した古くからの住宅街。昼間は人通りが少ない所。 事件から約5年後、同市で主婦Cが首や背中をメッタ刺しにされた上、布団に包まれた状態で火を点けられて殺害されるという残忍な事件が発生した。 警察がこの事件と長岡京殺人事件の関連性を調べていたことが判明して、次のような噂が出現した。 主婦Cはかつて最初の事件当日、主婦AやBとワラビ採りに出かけたが、先に一人で下山したので殺害から免れた。 マスコミと警察は報道協定を結んで、主婦Cの安全のため彼女の存在を公表しなかった。 後日、主婦Cは何らかのトラブルでワラビ採り殺人の真犯人に殺された。 ところが第二の殺人事件の警察記者会見では、最初の殺人事件と主婦Cとの関係はまったく言及されず、 マスコミ関係の人物から報道協定についての証言は一切得られず都市伝説のレベルである。 ただ、残った血液型はO型で右足の第二指が突出していることが判明している。 この事件も同様に未解決となっている。

新聞関連記事

●中日新聞1979年05月25日(金) ─ワラビ採りの主婦2人殺さる 首絞め胸刺され 京都 犯人は不良グループ? 【京都】京都府長岡京市で二十三日昼から山にワラビ採りに出た主婦二人が行方不明になり、捜索が行われていたが、二十五日朝、 二人とも山中で刃物で殺されていた。京都府警は殺人事件とみて捜査を始めた。 ─23日から不明に 殺されていたのは、同市長岡xノxノx、会社員水野xxさん(40)の妻恵子さん(32)と、 同市金ケ原平井xノxノx、会社員明石xxさん(49)の妻英子さん(43)。 二人は長岡京市のスーパーにパートで勤めているが、二十三日午前十一時ごろ、早番の勤務を終えた後、自転車に乗って、 同市奥海印寺の通称西山梅林(標高二百メートル)にワラビ採りに出かけた。 二十四日になっても帰宅しないため、家人が向日町署に届け出,署員五十人と消防団員五十人や警察犬も使って山狩り捜索を続けた。 その結果,二十五日午前十時半、家から三キロ離れた同市光明寺の裏山で二人の死体を発見した。 京都府系捜査一課で調べたところ、水野さんの左胸に包丁が刺さっており、二人とも着衣が乱れていた。 このため同課は、二人は刃物で誰かに殺されたと断定、向日町署に捜査本部を置いた。 二人が殺されていた場所は標高二〇〇メートルの雑木林内で、水野さんは頭を斜面の上に向け下半身は着衣が脱がされており、 明石さんは水野さんから十メートル離れたところで倒れ,首をヒモで絞められ、胸に数カ所の刺し傷もあり、下半身の着衣が乱れていた。 捜査本部は、二人が複数の男に襲われ乱暴された後、首を絞められ、刃物で刺されたとみている。 二人が乗って出た自転車は二十四日午後,西山梅林入り口の畑で、二台とも放置されていた。 昨年十一月には、二人が殺害された現場から南西十キロの宇治市内の田園地帯で、夜間マラソン中の主婦が失踪したまま。 ちょうど半年たったいまも何の手がかりもなく、同捜査本部はこの失踪事件と何らかの関連がある可能性もあるとみて調べている。 また、これまでの調べで最近現場付近の山林内の道路を暴走族がたびたび走り回っており、 同本部は暴走族の不良グループに襲われた可能性もあるとみている。 ●中日新聞1979年05月28日(月)夕刊 ─犯人は一人と断定 被害者の主婦 「助けて」と走り書き ワラビ採り殺人 【京都】京都府長岡京市の山中でワラビ採りにきていた近くの主婦、明石xxさん(43)。 水野xxさん(32)の二人が殺害された事件で、京都府警の向日町署捜査本部は二十八日、明石さんの遺体のジーパンのポケットから 「オワレている たすけてください この男の人はわるい人です」とスーパーのレシートに走り書きしたメモを発見した。 このメモはあお向けになって殺害されていた明石さんの薄青色ジーパンの右ポケットにくしゃくしゃに丸めて残っていた。 パート先の「いづみや長岡店」のレシート(幅四・五センチ、長さ九・五センチ、二十一日の日付)の裏にエンピツで書かれており、 筆跡鑑定の結果、明石さんの文字とわかった。 タテ書きで三行にわたっていたが、ひらがな、片かな、漢字が混じり、字は乱れていた。 また、「たすけて」の「す」の字は「く」の上に二重書きしたうえ、さらに「す」と書き加えている。 こうしたことから、捜査本部では明石さんはレシートを手のひらに隠すようにしながら、急いで書いたものとみている。 また、メモの内容などから、明石さんは犯人が水野さんに包丁を突きつけながら乱暴している間に走り書き、一旦ポケットにしまい込み、 助けを求めるためどこかへ捨てる機会をうかがっていて襲われ、殺されたとみている。 捜査本部では、二人の主婦が同一現場でほぼ同時に殺害されている--との状況から、 犯人は単独犯なのか複数犯なのか決めかねていたが、明石さんが助けを求める"メモ"を書く時間とスキがあったことから、 犯人は一人で、まず水野さんに包丁を突きつけ,明石さんに「逃げたら、こいつ(水野さん)を殺すぞ」と脅しながら、水野さんに乱暴して殺害。 この後恐怖のあまり現場に座りこんでいた明石さんにもロッ骨を九本も折るなどの暴行を加えたうえ、首を絞めて殺したと断定した。 ●中日新聞1984年05月31日(木)夕刊 ─建設作業員の二人に疑惑 ワラビ採り主婦殺人事件 【京都】京都府長岡京市の山中で、ワラビ採りの二人の主婦が殺害された事件で、京都府警向日町署の捜査本部は、 当日の行動に不審の多い変質者など六人を有力参考人として身辺を洗っていたが、三十一日までにさらに二人に絞った。 二人は同市の建設作業員A(28)とB(28)で不良グループ。 これまでの調べによると、二人は事件当日の二十三日昼過ぎ、現場の野山から 逃げるようにして下山し、その後姿を消した。また事件前日まで現場近くの神社付近で犬を連れてうろついたり、 事件のあった翌日から急にブラブラするのをやめて仕事に精を出すなど、急にまじめさを装うなど不自然な点が目立っている。 二人のうち特にAは性格が粗暴で、これまでにも度々けんかを売るなど不良仲間でも「空手の強い暴れん坊」として通っている。 特に捜査本部が重視するのは、殺された二人にこぶしで強く殴られた傷跡が数多くあることから空手のできるAに疑惑が強まった。 捜査本部は引き続き二人の当日のアリバイを調べるとともに、近日中に呼んで事情聴取する。 ●14年の記憶 現場には今も花が飾られている。野山は十四年前と同じように竹林ややぶに包まれていた。 二人が自転車を止めた寂照院では、事件後のしばらくは、二人の卒塔婆(そとば)を立て、供養していたという。 近くに住む主婦(四八)は「当時、三月に引っ越したばかりで事件が起き、気持ちが悪く怖いので、 戸締まりには特に気をつけたのを覚えている」と振り返った。 当時、捜査一課長で、現在、百貨店に勤める中村昭二さんは「多くの捜査本部事件を手がけたが、一番印象深い。 警察をやめても、たびたび現場に足を運んだ。この季節になると思い出す。 犯人逮捕を霊前に報告できなかったことに悔いが残る。あと一年。なんとしても解決してほしい」と話す。 また、当時の捜査員の一人は「金を奪っておらず、ゆきずりの犯行という感じだ。 府警の捜査員にとって深く記憶に残る事件で、今も心に重くのしかかる」と話した。 遺族の一人は「つらく、思い出したくない。十四年もたったし、そっとしてほしい」と口を閉ざす。

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◆ソース元
長岡京殺人事件 - Wikipedia
未解決事件@wiki

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