夢のファミコン

 
870 :夢のファミコン(1/7)@\(^o^)/:2015/02/18(水) 10:25:47.90 ID:GLEb9PmC0.net
「トイレの花子さん2」(編著・花子さん研究会) 
KKベストセラーズ 1994年1月5日・初版 発行 
172頁~177頁 
『恐怖のファミコンソフト』 

子どもの頃に、三○さんは己の体験した事を投稿しました。 
大人たちに『恐怖のファミコンソフト』と題され、本に収録されました。 

まずは、当時のゲーム事情をご説明します。 
ファミコンにはディスク・システムという周辺機器がありました。 
ディスクと申しましても、黄色いフロッピーのような物です。 
これが実は優れものでした。 
両面にゲームソフトを1作ずつ収録できます。 
そして、ゲームソフトは随時書き換えが可能でした。 
街のファミコンショップへ行けば、500円で新しいゲームを入れてもらえました。 
書き換え以前のゲームは消去されてしまいますが、中古転売やトレードするのに比べたら… 
新しいゲームを手に入れるハードルは、断然低かったのでした。 
それだけではありません。 
ゲームの書き換えが終わると、現金200円または週刊少年ジャンプのバックナンバーをもらえました。 
任天堂と集英社にどんな提携があったのかは知りません。 
確かなのは(実質300円+飽きたゲーム1本)で新しいゲームを買える時代があった事です。 
それゆえ三○さんたちは、子どもだけでゲームを買いに行っていました。

もう一つ、ゲーム事情についてご説明することがあります。 
ゲーム販売はともかく、ゲーム開発を正規のゲーム会社に隠れて行う事は困難です。 
でも、不可能ではありません。 
ゲーム会社がファミコン等の開発プラットフォームを保持しているから、困難というだけです。 
物理的には、中古ゲーム等の無断販売と同じくヤミで行なう事が可能です。 
しかしヤミで行なっても、ふつうメリットはありません。 
高価なライセンス料(上納金)を払わなくて済みますが、そのぶんサポートを受けられません。 
どうにかゲームソフトを開発しても、正規品のように流通させる事は不可能です。 
逆に、正規品として開発されたゲームの流通が不可能となる場合もあります。 
元締めのゲーム会社が発売を差し止めれば、正規の流通は望めません。 
特段の契約が無ければ、ふつうプラットフォームホルダーには対抗できません。 
必ず発売中止になるとは限りません。 
しかしゲーム内容の改変、発売の延期、広告なしとか流通地域の制限などを余儀なくされます。 

「恐怖のファミコンソフト」は、どうやって三○さんたちの手に届けられたのでしょうか。 
……というより、どうやって私の地元に届けられたのでしょうか。 

私の地元は伏せます。いま住んでるところも、伏せさせていただきます。 
光優会OBのうち、光優会根絶派のみなさんがいらっしゃるからです。 
地元にはいまも実家があります。近くにありておもふ故郷。 

私の地元にも、「恐怖のファミコンソフト」がありました。 
……というより、私の家にもありました。 
タイトルは、ブラックレター風の字体で書いてありました。 
どう読むのかは分かりませんでした。 
でも、ラベルに「ファミリーコンピュータディスクシステム」の文字がありませんでした。 
私は実家で、両親から「このゲームは絶対やるな」と厳命されました。 
私が実家で「恐怖のファミコンソフト」を見たのは、その1回だけでした。 
なぜやってはいけないか、それも厳しく教えられました。 
「やってみ」と言われて、ディスクをディスクシステムへ入れようとしたら平手が飛んできました。 
一発で覿面に泣き始めた私は、2回目以降の「やってみ」を全部断ることができました。 
言い付けるのが終わってからも、なぜやってはいけないかを4回か5回言わされました。 
1回ごとに言い直しや、繰り返し訊かれることがありました。(4セットか5セット、というべきか) 

よその家にも同じゲームがありました。 
あるいは、私が実家で見せられた物と同じやつだったかも知れません。 
その家の苗字は、やはり寝覚めのため伏せさせていただきます。 
私に睡眠障害はありません。ものの喩えです。 

その家には○イジがいてました。 
私の家にも1学期まで○イジいてたから、よそさまのこと言えませんが(笑)。 
よそのママに私は「[私の名前の一部]ちゃん」と呼んでいただき、○イジの友達やってあげてました。 
○イジつながりで、私たちは家族どうしにお付き合いがありました。 

私が行く前の日にファミコンを、ディスクシステム付きで新調したと聞きました。 
よそのママは途中まで、いつも通り機嫌良くしていました。 
私はファミコンを知ってたので、○イジに持ち方とかを教えてあげました。 
ゲームはマリオ2と「恐怖のファミコンソフト」のどっちかでした。 

私は○イジに手元を見せながら、マリオ2をやらしてもらいました。 
わりとすぐポーズして、○イジに替わってあげました。 
でもすぐ、よそのママがむりにスイッチを切りました。 
いつもより、とても強引な動作に感じました。 
動作の勢いとかが気になったのではありません。 
子どもたちの前に大人が横から背中を見せながら割り込んでくるのは、珍しいことでした。 

よそのママは「恐怖のファミコンソフト」で入れ直しました。 
私は1コンをパッと、手から放しました。 
1コンはカーペットの上へ着地しました。 
次によそのママは、私に1コンを勧めてきました。 

私は、「恐怖のファミコンソフト」を父母から禁止されてると必死で伝えました。 
なんで禁止されてるのかは、一言も言いませんでした。 
それを人に言うことも、同じく厳禁されていたからです。 
よそのママは滅茶苦茶しぶとかったです。 
何度も勧めてくる、○イジをダシにして執拗に勧めてくるのがいつもと全然違いました。 
怒られてるみたいな雰囲気になってから、私はしばらくうつむいていました。 
私が半泣きになってからも、よそのママは「こわくない」などと言って勧めてきてました。 

よそのママが私の横を通り過ぎたとき、私の右足はパッと前へ出ていました。 
右足についていくかのように、左足で1コンのすぐ横をドンッと踏んでしまいました。 
ゲームの画面は、コンティニューの画面に変わっていました。 
ゼルダのコンティニューの画面と似ていました。 
ゲームがどこまで進められていたのかは、定かでありません。 
私が1コンの無事を確かめながら後ろを向くと、よそのママはむちゃくちゃ悔しそうな顔で私を睨みました。 
いや、いつからか知らんけど前から私を睨んでいたのでしょう。 

私は異変に気付かず、よそのママが○イジのせいで変になってるとしか思ってませんでした。 
だから取り乱すこともなく、以前もそうしたようにすぐお暇しました。 
いま思い起こすと、よそのママが私のお暇をあっさり受理したのは謎です。 
いま思い起こすと……あの人は「正座する小さい子を後ろから押え込もうとしたキチママ」以外の何者でもありません。 

ここまで供述すれば、みなさんもお察しと存じます。 
私がその家へ遊びに行ったのは、それが最後です。 
天才バカボン(再)を観る日の昼、○イジに人工呼吸器が付いたと知らされました。 
人工呼吸器と経管栄養になってからがちょっと長いんです。 
よその○イジも同様でした。 

「恐怖のファミコンソフト」が、あれからどうなったのか存じません。 
中学に上がってから今まで、時折思い出しては「恐怖のファミコンソフト」を探していました。 
でも、「恐怖のファミコンソフト」を入手するために探すのは今が初めてです。 
胃瘻よりも、「恐怖のファミコンソフト」の方が優れています。 
食道穿孔(胃瘻拒否の前段階)は、未だに適法行為ですらありません。 
しかし「恐怖のファミコンソフト」の何がどう作用するものなのか、全く分かりません。 
ディスクがそうなのか、ソースコードがそうなのかすらも見当がつきません。 
おそらく前者だとは思います。 
だけど、一度は「恐怖のファミコンソフト」を解析したい。 

三○さんはとういと、しばらく「恐怖のファミコンソフト」を持ち続けてました。 
「恐怖のファミコンソフト」をやってて倒れた友達は、意識が戻らないまま亡くなりました。 
彼の死因を、三○さんは「特定不能だった」と聞かされました。 
友達の訃報を聞いてしばらくしてから、別のゲームに書き換えました。 
その後も特に深追いするような試みはしませんでした。 

私の両親は、「恐怖のファミコンソフト」を神戸のノミ市で手に入れた…と私に話した。 
「買い物客のペルシャ人に売ってもらった」とも言う。 
そのとき「箱入り娘4姉妹」というゲーム入れたディスクも一緒に買った(私は初耳)。 
だけど買い物客はふつう、人に物を売らない。 
また、ペルシアという国はもう無い。 
そして「恐怖のファミコンソフト」は……また別の、○イジのいる家へ貸していたと言う。 
取り返してからは、昼間に神主呼んで…お焚上げしてしまった。 
人形供養のようにして、ディスクを処分してしまったというのだ。 
私の知らないうちに。 
でも私は、まだ、この件に関して両親を信用していません。 

夢のゲームソフトを、私は探しています。 

注釈.姓は同じですが、<Mr.オクレ>三○さんではありません。甥にあたる方です。 
今では大人(成功例♪)だし、口臭も叔父と違って正常です。 
念のためお断りしますが、文献中で彼の友達のお名前は仮名にされてます。 
故人の名誉のため重ねてお断りしますが、三○さんの旧友は健常児でした。 

雑感.家族が人質。見る見る衰弱。連日の後藤Kenjiさんに関する報道が、閃きを与えてくれました。 
なぜ、既に『きょうだい児』ですらない、健常児に過ぎなかった私を……キチママが狙ったのか。 
………。行きがけの駄賃? 
キチママの一家は今も同じ家に住んでるそうです。 

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