柿色の傘

910 :909[sage]:2011/08/17(水) 01:09:19.47 ID:eO/DiPXP0
先月下旬に出張で山形に行った時の事。 

駅前でレンタカーを借りて、ぐるぐるとお客さんの所を周ってさ。 
その日最後の約束先との商談を終えて、車を返す為に市内に向かって山道を走っていた。 
商談の途中から雨が降り始めていてさ、帰る頃には叩きつけるようなゲリラ豪雨の状態。 
お客さんからは「気ぃつけてな」って言われて、 
山道でこの天気だし、車の返却時間まではまだ時間的に余裕があったから、 
「まぁ、のんびり行くか」って結構ノロノロとしたスピードで走ってた訳ね。 

山道はギリギリで車がすれ違える位の道幅でさ、 
しばらくすれ違う車もないまま「ラッキー♪」って思いながら、 
ゆっくり車を走らせていたんだけど、お客さんの所を出てから15分くらい経ったのかな。 
車の屋根を叩く雨音が一層酷くなってきて、 
フロントガラスも全力でワイパー動かさないと前が見えない状態。 
雨のせいで視界もかなり悪い中、細い山道をグネグネと曲がりながら、 
「うわぁ…危ねぇなぁ…」とか思いながら慎重に運転してたんだ。 

ふと前方にオレンジっていうより柿色っていうのかな?…派手な色が見えて、 
ノロノロスピードでそれに近づいて行くと、道のど真ん中に傘が開いて置いてある。 
見える範囲で周りに人の姿なんてなかったから、 
「誰だよ、んなとこに傘捨てた奴」って思いながら仕方なく車を止めたんだけどさ。 
車を止めると同時に道路に置いてある傘が、ふわっと浮かび上がった。 
当然、一瞬びびっちゃって「何??」って思ってよく見ると、 
柿色の傘を持った人影があってさ…傘と同じような色の服を来た小さな人影が。 
開いた傘の正面が俺の方に向いていたせいで、 
子供が傘の陰になっているのが見えなかったのかったんだ…って「ホッ」としてさ。 
それで、車が突然止まったから「気づいてくれたんだな~」って、 
その子がどいてくれるのを待ってた訳ね。 

雨の中で細い山道を走っていたのと、傘の件があったというのも含めてさ、 
緊張をほぐす為に「ふぅ」って息を吐いて姿勢変えたんだけど、 
道の真ん中にある傘がどいてくれる気配が全くない。 
朝の早い時間から新幹線に乗って山形まで来て、 
車でお客さん周りをした後で流石に疲れていたから、 
どいてくれない子供に対して「イラっ」ってきてさ。 
軽くクラクションを鳴らそうかと思って手を動かそうとしたら、 

「しばらく待つのが良いだろう」 

…って女性の声が聞こえて来た。 

車の中には当然俺一人しかいないし、車の外から聞こえてきた感じもしない。 
それどころか激しい雨の音のせいで、外からの音なんてまともに聞こえる状態じゃない。 
クラクションを叩こうとした手を浮かせたまま、前方の柿色の傘を持った人影を凝視。 
それでよくよく考えたら、この辺りに民家なんてないのよ。 
しかも、物凄く激しい雨で視界が悪くて、前方にいる人影はぼんやりとしか見えないのに、 
柿色の傘だけは浮かび上がるようにくっきりと見えている。 
夕方でこの雨とはいえ外は比較的明るかったんだけど、 
怖くて怖くて何も考えられなくなって、思考も体も完全に固まってしまってさ。 

そしたら「しばらく待つのが良いだろう」…ってもう一度女性の声がしたんだ。 

何でかは知らないけど、二回目の声を聞いてからスーッと緊張と恐怖感がなくなって、 
「待てって言うんだから待った方がいいんだろうなぁ…」って思っちゃってさ。 
少し後にバックして、車を道の端に移動させてハザードランプをつけたのね。 
車を道の端に寄せて前方を見ると、 
さっきと変わらずに柿色の傘を持った人影が道の真ん中に立っている。 
「一服するかぁ…」って煙草を吸おうかと思って懐を探ったんだけど、 
「…子供?が見てるし…なぁ…」と思い直して懐に入れた手を取り出そうとした時に、 
ふと助手席に置いてある物に目がとまった。 
助手席あったのは、来る時に上野駅で買った「ひなの焼き」の袋。 

「ひなの焼き」っていうのは、銘菓ひよ子のお店が上野駅限定で販売している大判焼きでさ。 
白餡と黒餡の二種類の大判焼きに、ひよ子の焼印がしてあるだけの物なんだけどね。 
来る途中の新幹線で食べようと思って、白・黒一つづつを買ったんだけど、 
山形に到着するまで爆睡しちゃって、そのまま車に置きっぱなしにしてたんだ。 

助手席に置いてある「ひなの焼き」の袋を開けて中を嗅いでみたら、別に変な臭いもしていない。 
「おっ♪ いけるじゃん」と思いながら、 
煙草を吸う替わりに水気でしなっとした「ひなの焼き」を食べようとして、 
ふと…正面を見ると柿色の傘の人影がいなくなっている。 
「えっ?」と驚いて周りをキョロキョロと見ると、助手席側の窓の外に柿色の傘が見えた。 
後から考えたら、道の端に車を寄せたせいで、人が立つスペースなんてないはずだし、 
「どうやって移動したんだ?」って思うんだけど、その時は別に不思議に思わなくてさ。 

「この傘って和傘なんだ」 
「傘しか見えないな…さっきも雨で姿はまともに見えなかったけど」 

とかくだらない事を思ってた。 
「何か…見られてるのに、一人で食べるのもなぁ…」と思って、 
持っていた「ひなの焼き」の袋を助手席に置いて、 
「食べます?」って助手席の窓に向かって声を掛けたんだ。 

返事なんて期待してなかったし、自分が取り出した「ひなの焼き」にかぶりついたら、 

「いただこう」って女性の声。 

行儀が悪いんだけど、口の中で「ひなの焼き」をもごもごさせならが「どうぞ」って応えて、 
「あ~黒餡だったかぁ」とか思いながら、ペットボトルのお茶を流し込んだんだ。 

そうしたら「ほぅ…甘いのぉ…」って嬉しそうな女の子の声。 

「へっ?」と思って助手席の方を見るけど、 
袋は助手席に置いてあるし、窓の外にも変わらず柿色の傘が見える。 
「………」 
車と道路を打つ雨音だけが響いてる中、喜んでもらえているなららいいか…って思って、 
ロントガラスを叩く雨粒を眺めながらチラチラと助手席の方を窺ってたのね。 
時間にしたら1~2分だと思うんだけど、 

「そろそろ良いだろう……馳走になった」って女性の声がした。 

助手席の方を見ると、さっきまで窓の外にあった柿色の傘が見えなくなっている。 
念の為に車の周辺を見渡してみるけど、傘も人影もない。 
助手席に置いてある「ひなの焼き」の袋の中を確認すると、中には「ひなの焼き(白餡)」が一つ。 
煙草を取り出して火を点け、紫煙を吐き出して「行くか」と慎重に車を動かそうとすると、 
久しぶりの対向車がノロノロとしたスピードで山道を上がってくる。 
じーっと対向車が通り過ぎていくのを確認して、ゆっくりを車を発進させた。 

その後は「何かあるのかな?」と用心しながら運転していたけど、 
何事もなく山を降りる事が出来、車も無事に帰すことが出来た。 
袋の中に残っていた「ひなの焼き」は車を返した後に食べてみたけど、 
ほとんど味らしい味がしなくて、パサパサとした感じになっていた。 

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