投石

127 :虚の中の男 ◆AFcPKj5UhQ :2007/02/15(木) 04:20:44 ID:MCXvImZp0
『 投石 』 


小学生のT君は、山腹にある自宅から麓の学校まで歩いて通っていた。 
途中、昼間でも薄暗く、通るのをためらうほど陰気な感じの道がある。 
その道の近くには沢があり、辺りは常にじめじめと湿気を帯び、ガードレールは苔で真っ青。 
傍らには何年も手入れがされていない竹林があり、枯れた笹の葉が道の端に降り積もっていた。 

ある日の午後、T君はこの薄気味悪い道を、いつものように小走りで通り過ぎようとした。 
すると突然、強い風が吹いて笹の葉が宙を舞い、彼の目を覆う。 
T君が目を擦りながら前を見ると、道の奥から子供たちの楽しそうな声。 
子供たちは、皆できゃいきゃいと声を上げながら、何かに石をぶつけている。 
石が飛ぶ先には、淡い灰色の毛で覆われた生き物が倒れており、顔はよく見えないが猿のようであった。 

「や、やめろよ…」見慣れぬ子供たちに戸惑いながらも、T君は頼りなく詰め寄る。 
しかし彼らは悪びれる様子も無く、「おまえも投げろよ。」と数個の石を手渡してきた。 
T君はその酷な誘いに躊躇したが、嬉々として石を投げ続ける子供たちの姿と声を見聞きするうちに、意識が自分の知らない空間に迷い込み、ついに手にした物を目の前に投げてしまった。 

楓(かえで)のような小さな手から放たれた硬い石が、地に伏す肉塊のこめかみに見事に当たった。 
それは「ぷぎゅっ」と笑えるほど滑稽な音を発し、絵の具では出せないような鮮やかな赤色の液体を流した。 
周囲の子供たちは「ナイスピッチ!」と大喝采。さらに「もっと! もっと!」と囃し立てる。 
T君は何だか面白くなり、手にした石を次から次へと猿に投げつけた。 
鮮血がそこかしこに飛び散る中、子供たちの笑い声が山の中に鳴り響く…

T君が手にした石が尽きた時、ざわざわとした感覚とともに、猿の呻き声と子供たちの笑い声が止んだ。 
辺りを見回すと、子供たちの姿が見えない。T君は薄暗い山道にひとり取り残され、急に寂しさに襲われた。 
道端に置いたランドセルを急いで背にして、逃げるようにその場から立ち去ろうとしたが、その時、道に横たわり微動だにしない骸と目があった。 

しかし、そこに寝ていたのは猿では無かった。確かに体は猿のような毛で覆われているのだが、その上に付いているのは、毎日見るよく知っている顔…… 妹の顔であった。 
爪先から頭のてっぺんに戦慄と後悔の念が逆流し、体中から濁った声と涙が溢れ出す。 
石を投げた手は、秋の紅葉のように真っ赤に染まり、しょっぱい生臭さを漂わせた。 
T君は言い様のない恐怖と悲しみに襲われ、帰りの山道を転がるように駆けた。 

T君が放心状態で家に着くと、いつの間にか手の赤みはどこかへ消え、いつもの日常が出迎えてくれた。 
母は台所で夕飯の仕度をしており、妹は居間でのほほんとテレビを見ている。 
T君はその元気な姿を見て精気を取り戻し、妹の元へ駆け寄って号泣しながら何度も何度も謝った。 
兄のおかしな様子を見て、妹も悲しくなったのか怖くなったのか、いっしょにわんわんと泣き始めた。 
そんな二人を奇妙に思いながらも、母は台所の隅で笑みを浮かべて黙って見ていた。 

それ以来、T少年は周囲の風潮に流される事無く、自分の頭でよく考えて行動するようになったそうだ。 
あの子供たちが何だったのかはよく分からず、少年時代のTには、ただ怖いだけの存在でしか無かったが、大人になった今では、自分に何か大切な事を教えようとしたのではと思い直し、感謝していると言う。

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