A村の氏神様

592:宮大工 09/26(火) 20:41 SDvdusjR0 [miyadai-9] 
とある秋の話。 

俺の住む街から数十キロ離れた山奥に有るA村の村長さんが仕事場を訪れた。 
A村の氏神である浅間神社の修繕を頼みたいという。 
A村は親方の本家が有る村であり、親方は直ぐにその仕事を引き受けるかと思いきや、 
なにやら難しい顔をしている。村長さんが必死で頼み込んでいるのを横目にしながら、俺は欄間の仕上げをしていた。 
村長さんが帰った後、俺は親方に呼ばれた。ちょうど担当の現場を終えた所で手が空いていたので、 
きっとA村の仕事を指示されるんだなと思いつつ親方の前に座った。 
「○○、頼みてぇ事が有る」「はい、A村の浅間神社の修繕ですね。」 
「バッケやろう!先走るんじゃねぇよ。・・・済まねぇが、俺が今やってる現場を引き継いでくれ。」 
「えっ!」俺は愕然とした。親方が、自身の手がけている現場を途中で止めるなんて有り得ない。 
数年前、交通事故で大怪我し、入院した時でさえ車椅子に乗って現場に来て、 
終いには這うようにして仕事して医者を呆れさせた御仁である。 
「引き受けたからにゃあ、死んでも半端な事は出来ねぇ。それが男ってもんじゃねえか」 
親方の口癖だ。俺はそんな親方に惚れ込み、弟子入りしたのだ。 
「親方、どうしたってんです?親方らしくないじゃ有りませんか。」 
「うるせぇ!んなこたぁ俺が一番解ってる!おめぇは黙って従ってりゃいいんだ!」 
・・・もうこうなったら親方は梃子でも動かない。「・・・解りました。じゃあ現場の状況を教えてください。」 
「おう、今は柱を仕上げた所までだ。床張りは...」 

A村は人口数百人の過疎村で、住人は老人が多く周辺を山に囲まれた小盆地で、 
どこから行くにも一つ二つ山を超えねばならないので、普段は村外の人間はあまり出入りしない。 
また、それだけに排他的な村でもあり、仕事でも無ければ足を踏み入れる事は無い場所だ。 
A村の氏神である浅間神社は本当に村の山裾どん詰まりに有り、裏手は鬱蒼とした深い森である。 
その夜、帰ろうとした俺はおかみさんに呼び止められた。 

○○、ちょっといいかい?」「あ、おかみさん。なんでしょう?」 
「実は、ウチの人の事なんだけど...」 
おかみさんの話を聞いた俺は驚いた。親方の本家はA村で一番の旧家で、現村長さんは親方の実の長兄だという。 
また、次兄は浅間神社の神主だとの事。ただ、その浅間神社というのが実はちょっと性質の悪い神様で、 
普段は良いのだがちょっとした不手際等があると一族や村に不幸を起こす事が有るという。 
そして、どうも最近不手際があったらしく、そうとう怒っている様なのだと。 
その怒りを鎮めるには社の修繕をして鎮蔡を行うしかないと。 
しかしその修繕作業の最中に、必ず職人が一人連れて行かれてしまうらしい。 
「ここ何十年も不手際はなく、氏神様も静かだったんだけどねぇ...。」 
「それで、親方はどうする積りなんです?」 
「一人で修繕をするって言ってんだよ。そうすりゃ、連れてかれるとしても俺だけで済むじゃねえかって...」 
「親方...」俺は胸が熱くなった。そう言うことか。それなら、親方だけにやらせはしない。 
「おかみさん、この件、俺に任せてくれませんか?」「お前さんにしか頼めないんだよ、こんな事...」 
俺は一晩案を練り、おかみさんにいくつかお願いをし、準備に取り掛かった。 
三日後、親方は一人でトラックに乗り、「しばらく帰らねぇ。留守中は○○に全て任せる。」 
とだけ言い残し、A村へ向かって出発した。 

その後、俺は直ぐに弟弟子のX(お稲荷様に取り憑かれた男)に 
「それじゃあ、各現場は打ち合わせた通りにな。なんか有ったら、 
おかみさんに本家に俺宛で電話してくれるようお願いしろ」と指示し、 
オオカミ様の社を管理している神社へと向かった。 
そして神主さんに事情を話し、以前頂いたお守りをもう一度祈祷して頂き、 
魂を込めて貰う為にオオカミ様のお社を目指した。 

数ヶ月ぶりに訪れるお社。ここに来ると本当に落ち着く。長い階段を上り、オオカミ様の灯篭に挨拶し、 
落葉の絨毯で紅く染まった地面を踏みしめながらお堂の前まで行く。どこからか微かに良い香りが漂ってきた。 
そして、俺はお堂の前に守り札と酒と、新しい髪飾りを納め、祈祷を済ませた。 

髪飾りは、以前奈良に出張した時に発注しておいた、 
とある女職人さんの手作業で創って貰った蓮の花をデザインした純銀の髪飾りだ。 
何時も髪飾りばかりで能が無いとは自分でも思うが、俺にとっての彼女のイメージは美しく長い黒髪である。 
何処に出掛けても彼女に似合う髪飾りを何時も探していて、 
結局一流の職人さんに手創りしてもらったものを手に入れたのだ。 

守り札を持ち、帰ろうとするとさあっと一陣の風が吹いた。 
俺は階段を下り始めた所で風に晒され、あの時と同じ気配を感じた。 
確信を持ちながらすっと振り向くと、紅い落葉が風に舞い踊る中、お堂の前に真白な彼女が佇んでいた。 
いつかと同じ代わらぬ姿で、いつかと同じ涼やかな微笑みで。 
彼女の美しく長い髪には、先ほど納めた蓮の髪飾りが光っている。 
俺は駆け寄りたい気持ちを押さえ、深く一礼した。頭を上げると、たおやかなその姿は消えていた。 

俺は車を走らせ、A村の浅間神社へ着いた。 
親方のトラックはまだ無い。おそらく、まず本家に寄っているのだろう。 
俺は自分の車から道具を出すと、早速傷んでいる個所をチェックし始めた。 
一時間も経った頃、親方のトラックが坂道を上ってきた。「あっ!」親方の声が響く。俺の車を見つけたのだろう。 
ドドドと言う足音を立てて親方がお堂まで掛けて来る。そのままの勢いで俺はぶっ飛ばされた。 
「何やってやがるこの大馬鹿野郎がぁぁっ!」親方が鬼の形相で怒鳴る。「てめぇ、かかあに聞きやがったな…!」 
真っ赤な顔でぶるぶる震える親方に俺は言った。「俺は仕事始めちまいました。もう遅いですよ。さあ、とっとと片付けちまいましょう」 

「この…馬鹿がぁ」「親方、俺は貴方を親父と想っています。親父が命懸けの仕事すんのに、息子が何もせんなんて許されんでしょう。」 
「この…馬鹿野郎・・・おめぇなんざ、日本一の大馬鹿息子だぁっ!勝手にしろいっ!」「はい!勝手にしますとも!」 
ふうとため息をつきながら「道具を取ってくらぁ」と背を向けかけた親方に、「あ、親方、これを。」と俺は守り札を手渡す。 
「おお、参ってきたのか...あれ?おめぇの分が無えじゃねえか?」 
「俺には、お札は必要無いんですよ。」なぜかちょっと照れながら俺は答えた。 
「けっ!惚気やがって...」親方はふっと微笑い、道具を持ちにトラックへと向かった。 

俺と親方の息の合い方は半端ではない。お互いに、声を掛ける必要も無く仕事は進んでいく。 
また、親方は通常の修繕仕事であれば図面をまったく必要としない。 
ほぼ目測で切る板が、全く隙間無くピタッと嵌りこむ。修繕作業は見る間に進んで行った。 
夜は親方の本家に泊まり、打ち合わせの後は毎晩宴席だ。俺は家族同然に接して貰った。 
数日後の夕方、何時ものように俺と親方が社に篭り、天井裏の作業をしていると突然親方の乗っていた梁が落下した。 
しかし床に叩きつけられる瞬間、親方と梁が一瞬ふわっと浮き、静かに着地した。 
「始まりやがったかな...」という親方に「問題無いですよ。俺たちは守られてるんだから。」と答えると親方は頷いた。 
夕方、社から帰ろうとする俺と親方の車の前を塞ぐように、道に太く長い蛇がとぐろを巻いていた。 
蛇は鎌首をもたげ、シャーと威嚇してきた。クラクションを鳴らしても、全く退く気配は無い。 
仕方ないので俺が追い払おうと車を降りた瞬間、蛇が俺めがけて飛び掛ってきた。 
「うおっ!」俺は飛び退いたが、足を取られ転んでしまった。「○○っ!」 
親方が叫び、俺が起き上がろうとしたとき、再度飛び掛ろうとした蛇が突然弾き飛ばされ、ぐったりとなった。 
近寄ってみると、頭を完全に潰され息絶えている。直後、突然ガサガサっ!と草叢を掻き分ける音がし、 
何者かが深く茂った森の中へ掛けていく音がした。ダッ!更にそれを追って掛け出す気配。 

俺と親方が息を飲みつつ耳を欹てていると、森の中から獣同士が争うような、 
しかしとてもこの世のものとは思えない雄叫びが聞こえてきた。 
「ゴルルルルルルル...グルワァッ!」「ウオキャーッツ!キーッ!キーーッ!」 
しかし間も無く「ギキキィーーーーーーッ!」というつんざく様な叫び声を最後に、夕闇の中に静寂が戻ってきた。 

「・・・勝ったのかぁ...?」親方が呟く。「ええ、恐らく...」 
「・・・○○、帰ろうや。」「・・・はい。」俺と親方は車に乗り込み、本家へと向かった。 
次の日は日曜であり、昨日の今日なので親方が「今日は休もうや」と言って、二人でゴロゴロと寝て過ごした。 
その夜、A村の長老でもある親方のお袋さんが珍しく宴席に降りて来た。 
そして、俺の顔をまじまじと見つめながら「神様が惚れる男はやっぱ面構えが違うのう。 
よく見りゃあG(親方の名前)に良く似とるわい。」と言い、かかかと声無く笑った。 
親方が「そりゃあ俺の息子みてえなもんだからな。似るのは当然だぁ。」と答えた。 
少し間を置き、お袋さんが「G、もうお宮さんの修繕で誰かが連れてかれる事は無いじゃろ。」と呟く。 
次兄の神主さんも「うむ、そうだな。やはりおっかさんも見ましたか。」と頷いた。 
「ああ、見たよ。面白いもんをなぁ。」「しかし、まさか社の神様があんなことになってたとはなあ...」 
俺と親方はちんぷんかんぷんだ。「おい、兄貴!おっかさん!いったいなんだってんだ?」 
「ふむ。話してやろうかねえ。」お袋さんが語り始めた。 

昨夜、おふくろさんと次兄の神主さんの夢枕に 
古事記に出てくるスサノオの様な男を従えた髪の長い巫女様が立ったそうだ。 
その左手はボロボロになってしょぼくれている大猿の首根っこを掴んでいて、 
「この悪猿が氏神を騙して封じ、300年ほど自分が氏神として収まっていたのです。 
しかし先ほど取り押さえ、きつく戒めましたのでもう大丈夫です。 
これからは本来の氏神である彼がお社を守っていくでしょう。」と仰ったと。 
お袋さんと神主さんは、ははーっと平伏した。しかし、お袋さんは気になった事を尋ねてみた。 
「しかし、貴方様はこの土地に縁の有るお方とは思えんのですが、 
何故わしらの氏神様を助けてくださったのですじゃ?」 
神主さんは真っ青になって「おっかさん!何言っとるんじゃ!」と諌めた。 
「いいえ、私は有る方の身を守る為に来て、その結果この悪猿を懲らしめる事になっただけです。」 
「ほう、そうでしたか。その有る方ってのは、貴方様が御髪に飾っとる銀蓮を納められたお人ですかのう」 
神主さんは、もう夢の中で卒倒するかと思ったそうな。 
「するとな、巫女様は見る見る真っ赤になって、「と、とにかく、もう心配ありませんので!」 
と言って消えてしまったんじゃ。後には気まずそうな氏神様とヘロヘロの悪猿が残っとった。 
じゃが、赤くなって恥かしがる神様を見られるなんて、ほんに長生きはするもんじゃのう。」 
と言って、かかかかと声無く笑った。「ぶはっ!」突然親方が噴出す。 
それと同時に、聞き耳を立てていた宴席の面々が一斉に笑い出した。 
俺は、多分真っ赤になっているだろう顔色を隠す為、コップ酒をきゅっと煽った。 

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