死臭と音

482 名前:全裸隊 ◆CH99uyNUDE [zenratai@hotmail.com sage] 投稿日:05/03/20 10:27:05 ID:Uyn5h1V60
少し前の大型台風で荒れた山で、沢筋を詰める事数時間、 
沢が尽き、そこから先は尾根までの直登となった。 
尾根までの距離は長く急斜面で、台風に流され、浮いた状態の 
木切れや石が、踏ん張りがきかずに滑る足を痛めた。 
岩が消え、木が流され、地面さえその高さや形を変えてしまっている。 
天候は良かったが、山は、お遊びで登るのに適しているなどと、 
決して言えない状態だった。 

そんないつもと違う山が俺たちを、浅はかにも高揚させていた。 
普通に考えれば、あるいは今なら 
絶対に奥まで踏み込まないが、それは今回の本題ではない。 

沢から抜けてすぐ、臭いには気付いていた。 
沢登りが好きだった俺たちは、登山やハイキングのコースから外れた 
あたりを歩くことが人より多かったが、時に出くわす、あの臭い。 
山中で息絶え、土に返ろうとする大型生物が、自らの生きた証として 
周囲に染み付かせようとするかのように撒き散らす、あの臭い。 

空の上の誰かさんが念入りに調合した青を流したような空、 
そこにあるだけで、充分に恵みと言えそうな太陽、 
丹念に葉を揺らしながら、斜面をゆったりと行く風、 
地面から、木々から、もしかすると岩から立ち昇る、程よい湿り気。 
そうした気持ち良いはずの一切合財を、台無しにする死臭。 

やがて分かった。 

斜面の一角に、多くの鹿の屍骸。 
30頭までは居ないだろうが、20頭以下という事はなさそうな、 
そんな多くの鹿が倒れ、足を突っ張り、腹を膨らませ、微動だにしない。 
鳥や熊にでも食われたのか、腹が裂けている屍骸もある。 
大嵐の中、何があったのか、ともかくこいつらは、ここに追い込まれた。 
不思議なのは、木や岩に挟まれて動けないまま死んでいるのは 
3~4頭で、その他のはなぜここで死んだのか見当がつかない。 

不自然に折れ曲がった背中、口から突き出された舌、すでに血膿で 
しかない眼球、こんな場所、状況でなければ、きっと欲しくなったはずの、 
見事な牡鹿の角。 
流れ出た内蔵には、赤やピンクだけでなく、青っぽい色をしているのもある。 
明るい空の下、奇妙に光る死の塊。 
長く見ているようなものではないと分かっていながら足が止まり、息が止まり 
思考が止まった。 
地獄絵図と言って良いだろう。 

不意に肺から空気が押し出され、まともな意識が舞い戻った。 
よく見ると、動いている。 
白い元気いっぱいな奴らが、ざわざわと動いている。 
目や口から溢れた奴が地面にこぼれ、避けた腹から押し出された奴が 
盛り上がり、波打つように動いている。 
鹿の内容物が化学変化を起こし、この白い小さな生き物に変わるプロセスを 
想像した。 
いや、もしかすると、鹿は元々こいつで満たされていたのかもしれない。 
それほどの量に見えた。 

そして、蛆虫の音というのを初めて聞いた。 
一種独特の湿った重い音。 
炊き立ての白米にしゃもじを突き入れ、かき回しているような音だが 
もっと活動的でエネルギーに満ちた音。 

吐き気を感じたが、自分の口から大量の蛆虫が吐き出されるのを想像した。 
喉を、口を、内側から逆流する蛆虫の感触までリアルに感じた。 

その沢に行ったのは、それが最後だった。 

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