城主の家系

9 :本当にあった怖い名無し:2009/09/16(水) 16:30:06 ID:418wiWb60
前スレでも書いたけどあんまり怖くない長文3レスなので読む苦労に見合わないかも。
最近、十数年も前に結婚するかも・・・という状態まで行った元彼女に街でばったり会って
互いに用事済ませた帰りだったんで居酒屋でメシ食いながら話したんだ。
その時にちょっと話題に上ったこと。


元カノの母の実家は鹿児島の山中に小さな領地を持っていた城主の家系だそうで
今では観光地になっている付近に代々の墓があったが、
そこへはその母親が子供の頃(昭和初期・戦前)行ったきりになっていた。
元カノ母の実家は当時既に霧島の麓近くに移っていて、墓地までは車でしかいけない状態。
勿論今のように誰でも車を持っているわけじゃないので頻繁に行けないため
近所に別に墓を作っており、それ以降亡くなった親族は新しい墓に入れていたし
しかも戦争で墓地を知る大人の男がいなくなってしまい、場所が判らなくなってしまったそうだ。
その墓の場所の目星がついたのも、元カノ母と叔母が歳を重ね偶々観光で訪れた際に
初めてこの辺りだと判っただけで、それ以降墓地を探したが判らなかったらしい。
また城のほうも、元カノの叔母が子供の頃家系図を見て
何十石かの城主だったのだと判った程度で、特に確たる証拠や詳細を知るわけでもなかった。

その家系図は戦争での紛失を恐れて元カノ母の母の実家の腹心に預けたまま結局行方不明、
持っていた山林や何十本もの日本刀は戦時中の徴収に馬鹿正直に差し出す、
など、かなり処世術に欠けた話が幾つもあったが
まあこれは元カノ本人の、貧乏生活に見合わない諸処の能力教養の高さ、気の強さと
どこか飄々とした雰囲気のアンバランスを見れば頷けなくはない話だった。

と、ここまでは付き合っていた頃にも聞いていたが、本人も特に城だのに興味があるわけでもなく
ただ先祖供養はしたいし見つかったらお参りに行ってあげられればね、くらいの話だった。

で、ここからが最近会った時初めて聞いた話。

やがてネットやなんやと便利な世の中になり、墓のことを気にしていた彼女の叔母が調べて
先祖の墓と昔の城の場所を突き止めたそうだ。
墓は何十年か前に潰されて、昔は隣にあり現在は巨大化、観光地化した
歴史上の地元の英雄どんの墓になっていたとのこと。
よく調べてみると、観光開発による町の発展のため、と言われ墓の管理者は
他家の墓の所有者に連絡もせず潰されるままにさせたらしい。

しばらくして元カノが鹿児島方面に行く機会があり、一日時間を作って城跡を訪ねてみた。
実はその前にも出張で鹿児島に行ったついでに探したのだが
詳しい場所を聞いたわけでもなく時間も少なく探しきれなかったそうだが、
今度は地図にそれらしい集落名を見つけたので行けばわかるかもと思ったらしい。
叔母に聞けばと思うところだが、彼女なりに宝探しのような感覚があったのだと思う。
とても簡単、とはいかなかったが地元の人に聞いてなんとか見つけられた。

聞いていた通り城跡は山間の竹藪に門柱の石が残る程度になっており、最近誰かが供えた杯があった。
暫く佇み手をあわせた後、場所を尋ねた地元の人の家にお礼を言いに立ち寄ると
時間があればお茶でも、と言い、集落に伝わる城主の話を聞かせてくれた。
永年家来として仕えた主人を追ってこの地に移り、褒美に領地を分け頂いた一代城主ながら
城内に花木を多く植えて花の季節には村人を迎え入れ酒を振舞うなど
なかなかに民衆に愛されたらしい城主の話を聞き、
勿論家系の娘だと言うことでヨイショもあったろうが彼女は安心したと言う。
最後は、敵が攻めて来た際に
『今ここですべてを明け渡すなら村人に危害を加えないが、抵抗するなら誰一人容赦せぬ』
と言われあっさり城主はその地を(この世を?)去り、村人はその後も難なく暮らすことが出来たらしい。

俺はこの話を聞いてなんとなく元カノの、植物が好きで振る舞い好きで自分や身内に厳しく、
拘りたい事にはとことん拘るが諦めるべき時はあっさり諦める潔さを思い出していた。

その何年か後、また九州に行く機会を得て元カノは城跡を訪れ手を合わせたのだが・・・

丸一日運転して帰宅し、聞いたのは叔母の危篤の知らせだったと言う。
自宅で吐血して危篤状態で救急車で運ばれて初めて胃癌と分かり、
いったんは意識を取り戻したものの、2週間と持たず亡くなったそうだ。
年齢に見合わぬほど若々しく元気だった元カノの叔母も毎年の癌検診は受けており
胃の調子が良くないと訴えて病院で診察を受けてからも四ヶ月も経っていなかった。
両親を連れ叔母の見舞いに車を飛ばす途中、元カノはふとした偶然に気づいたそうだ。

以前元カノが城跡を訪れたときは、母方の叔父が亡くなった。
良く考えてみれば叔母が城跡を見つけた直後、元気だった大叔母が急逝した。

元カノは若い頃に叔母と母が話していたことを思い出した。
何年とか何十年とかに一度だが子供の頃行った墓の夢を見たあと
大抵誰かが亡くなったという話だった。
叔母が本格的に墓探しをしている時元カノの母親は重い病気で危篤と小康状態を繰り返しており
見つかった、と見舞いに来たあとぐんぐんと回復したそうだ。
その偶然が気になって、先祖の供養は気になるし良くしてくれた地元の人に挨拶もしたいのだが
なかなか行きそびれているらしい。

『何か探すべきものがあるのかしら、墓を見つけて病気が治ったのならいいけど
訪ねたり夢に見たら人が死ぬんじゃあ手がかり探しに現場にもいけないし。どうしたらいいのかねぇ』
と半分以上冗談口で聞かれたが答えようもなかった。
答えなくてもこいつなら何とかするだろうな、と思っていたら見透かしたように
『まさかご先祖様も私なら何とかする、とか思ってたりして。叔母もそういうタチだったし。
ウチの祖先なら自分もそう思われて苦労しただろうに、身内に厳しい家系だわ』
と言って苦笑した。

要求伝えるために子孫を殺すんじゃ厳しすぎるだろうよ、と思わないでもなかった。
自分の中ではいろんな意味でほんのり怖いような頼もしいような話でした。
長文乱文すまん。

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