黒いやつ

236 :長文スミマセン1/8:03/02/14 17:18
私はずっと母親と二人で暮らしてきた。 
父親は自分が生まれてすぐにいなくなった、と母親に聞いた。 
祖父や祖母、親戚などに会ったことはない。そんなものだと思っていた。 
それが異常な境遇だということに気付いたのは、ずっと後になってからのことだった。 

いつ頃のものかはわからないが、姉がいた記憶がある。 
夢のようにかすかな記憶なので、本当のものなのかはわからない。 
ただ、小さい頃、母親にそのことを話すと、なぜか酷く叱られた。 

その頃は引っ越しばかりしていた。同じ場所に1年いることは無かったと思う。 
母親に理由を聞くと、「追いかけられているからだ」という答えが返ってきた。 
「何に追いかけられているのか」と尋ねると、「とても恐ろしいもの」だと。 
「どれだけ逃げ回っても、必ず追いかけて来る」「黒いやつが真っ先に見つける」とも言っていた。 

引っ越しの仕方も奇妙だった。 
朝起きると、いきなり母親は荷物をまとめて、家を出る準備をしている。 
家財道具など無いに等しいので、準備などすぐに終わる。
すると、近所への挨拶などもなしに、その足で家を出てしまうのだ。 
まるでその場の何かから逃れるような、慌ただしい引っ越しだった。 

母親は行く先々で、いわゆる霊能者に会っていた。 
霊能者達は何か呪文のようなものを唱えたり、私達に様々な指示を与え、それに従うように命じたりした。 
しかし、効果は無かったのか、私達の引っ越しは延々と続いた。 

ある霊能者は最後にこんなことを言った。 
「あなたに憑いているものを祓うのは、私には無理です。 
 ひょっとすると、祓える者などいないかもしれない」

小学校4年生になった頃、私と母親はある寺に転がり込んだ。 
そこの住職が、悪霊祓いで地元の評判を取っていたからだった。 
私達はその寺の隅にある離れで生活を始めた。
毎日早朝から座禅を組んだ。お経も覚えさせられた。 
時には水垢離や護摩の煙を浴びたりもした。 
住職は私達のために毎日のようにお経を唱え、お祓いの儀式を繰り返していた。 
母親はそれに安心したのか、もう引っ越すこともなく、寺に留まり続けた。 

中学生になり、私はようやく一所で生活するという事に慣れ始めた。 
学校の友達もできて、人並みに勉強もした。部活も始めた。 
そうなると、寺の生活が疎ましくなってきた。 
そのことを母親にこぼすと、母親は物凄い剣幕で怒った。 
昔の自分なら、その剣幕に驚いて母親の言うことに従っただろうが、 
その頃の私は丁度反抗期に当たっていたせいか、そんな母親の態度に反発した。 

・母親は妄想に取り憑かれているだけだ。 
・霊など存在しないし、だからここでしている事なんて何の意味もない。 
・この寺の住職は、私達を自分の霊能力を宣伝するダシに使っているのだ。 

当時の私の考えはだいたいこんな感じだった。 
学校や世間で得ることの出来る様々な意見や知識は、私のそんな思いを裏付けるものが多かった。 
私の中に芽ばえた『心霊的なもの』に対する反発心は、日々ふくれあがる一方だった。 

高校3年生の冬、夜中に母親の声で目が覚めた。
廊下へ出ると、母親の部屋の前に住職と住み込みの坊主がいて、中を覗き込んでいた。 
母親は半狂乱になって何かを訴えていた。
「黒いやつが来た」「もうダメだ」「大丈夫だと思っていたのに」「また逃げなければ」 
そんなことを錯乱気味に口走っていた。
私はまた始まったと思い、「いい加減にしろ!」と母親を罵倒した。 
住職はそんな私を怖い目で睨み付けたが、何も言わなかった。 
私はうんざりして部屋に戻り、眠ってしまった。 

次の日、学校から帰ってみると、離れの前の中庭に護摩壇がしつらえてあった。 
驚く私の目の前で、白装束に身を包んだ母親が、住職と一緒に護摩壇のすぐ側で、一心不乱にお経を唱えだした。 
時折水を浴び、また護摩壇に向かう。それを何度も何度も繰り返していた。
私も最初は呆気にとられてその光景を見ていたが、すぐに馬鹿馬鹿しくなってしまい部屋に戻った。
しかし、部屋にいても、外からはお経や掛け声が聞こえてくる。
心底うんざりした私は、寺を出ると友達の家に泊まりに行った。

次の日の朝。寺に戻ってみると、驚いたことに母親はまだ同じ事を続けていた。 
私は母親を止めようとしたが、住職やほかの坊主に阻まれ、
あまつさえ「昨日は何処へ行っていたのか」などと詰問された。 
呆れかえった私は、なおも詰め寄る住職を無視して部屋に戻り、学校に行った。 

そんな事が3日ほど続き、疲れ切った母親はぶっ倒れて、自分の部屋で寝込んでしまった。 

次の日、母親は部屋で首を括って死んだ。 
私は悲しみと同時に怒りを感じた。 
母親を自殺にまで追い込んだのは、この寺のせいだと思った。 
素人の母親が荒行を3日も続けたことにより、心身共に疲労困憊して精神に異常を来し、ついに自らの命を絶ってしまった。
その時の私はそう確信した。 
葬儀が終わった後、私は住職を捕まえて、母親に対する仕打ちを非難し、 
寺での生活について口汚く罵った挙げ句、半ば飛び出すように寺を出た。 


 高校を中退した私は、職を変えながら各地を転々として過ごした。 
大型免許を取ってからはトラックの運転手を始めたが、一所に落ち着くことはなかった。 
幼い頃の引っ越し三昧が、尾を引いていたのかもしれない。 

そんな私にも転機は訪れた。
勤務先の会社でバイトの女の子とウマが合い、付き合っている内に子供が出来た。 
すでに同棲はしていたし、その頃は好景気で私の稼ぎも安定していたため、
いっそのこと結婚してしまおう、ということになった。 
私が天涯孤独の身であったことが、向こうの親には気がかりだったようだが、 
子供が出来たという既成事実と、それまでの堅実な暮らしっぷりもあって、結婚はスムーズに決まった。 

やがて子供が生まれ、私もこの地で腰を落ち着けていることを実感するようになった。 
長距離のドライバーだったので、家を空けることが多かったものの、 
休日に妻や子供と戯れている時などに、かつて味わったことのない家族の温もりを感じた。 
その頃の私は、この幸せがいつまでも続いて欲しいと切に願っていた。 

ある日、不意に夜中に目が覚め、何だか嫌な感じがして眠れなくなった。 
隣では妻と2才になる子供が眠っている。 
しばらくその姿を見ている内に、何か視線のようなものを感じて天井の隅に目をやった。 
そこに濃い影ができていた。 
部屋は豆球の明かりでほんのり明るいのだが、その一角だけが光が届かないかのように真っ暗になっている。 
目を凝らしてみると、その奥で何かが蠢いているようにも見えた。
不意に母親の言葉を思い出した。
『黒いやつが真っ先に見つける』『黒いやつが来た』
私はバカげた考えを振り払おうとしたが、上手くいかなかった。 
眠れぬままに、そこを見つめながら朝を待った。 
影は外が明るくなると次第に薄れていった。私は寝不足のまま仕事に向かった。 

翌日の夜も影は現れた。 
相変わらず、そこからこっちをじっと見ているような視線を感じる。 
その夜も眠れなかった。 

次の日は仕事が休みだったため、私は病院へ行った。 
医者は「ストレスからくる幻覚だろう」と言い、「しばらく仕事を休んではどうか?」と提案した。 
私が「それはできない」と言うと、薬を出してくれた。 

薬を飲んだにもかかわらず、夜中にまた目が覚めた。 
部屋の隅を見ると、黒い影がまたこっちを見ている。 
気のせいか、前の日よりも大きくなっているように見えた。 
ふと、背中に気配を感じて振り向くと、茶の間に鎧姿の武士が立っていた。 
面当てで顔は見えないが、こっちを見ている気配は感じる。 
すんでのところで悲鳴を堪えた。
「幻覚だ、幻覚なんだ」と必死で自分に言い聞かせながら、妻と子供の方を見た。 
妻の布団の上に、白い着物を着た老婆が座ってこっちを睨んでいた。 
私は意識を失った。 

私の幻覚は日に日に酷くなっていった。 
鎧武者や老婆だけではなく、小さい子供や犬のような獣も見えるようになった。 
医者に相談しても、「幻覚だ。とにかく仕事を休め」と言われるばかりだった。 
「あなたの母親や寺の古い記憶が、類型的な幽霊の姿を作り出している可能性もある」とも言われた。
確かにそう言われればそんな気もする。 
私はまた薬をもらって病院を出た。 

仕事を休むことを考えながら自転車を漕いだ。 
家の近くの大通りにある横断歩道で信号待ちをしていると、
正面から妻が子供を前に乗せて、こっちへ向かってくるのが見えた。 
買い物に行く途中のようだった。 
妻は私を見つけると、笑って手を振った。
それ見た子供も、こっちに向かって手を振っている。 
二人を乗せた自転車は、そのままのスピードで交差点を横切った。 
信号はまだ赤だった。 
私の目の前で、妻と子供は直進してきたトラックに轢かれた。 

そこから先の記憶は酷く曖昧だ。 
病院や警察関係者、妻の両親、いろんな人が目の前に現れたけれど、 
何を話しかけられ、何を話したのか、全くといっていいほど憶えていない。 

気がつくと夜で、私は自宅の寝室で3人分の布団を敷き、自分の場所に横たわって、 
妻と子供の居ない布団をボンヤリと眺めていた。不思議に涙は出なかったと思う。 
天井を見ると影があった。だが、そんなことはどうでも良かった。 
振り向けば鎧武者や老婆もいるのだろう。
それがどうした、というような気持ちだった。恐怖など感じなかった。 
また、空の布団のほうを見た。
妻の布団にあの老婆が座っていた。 
その時、初めて感情がこみ上げてきた。物凄い怒りと悲しみだった。 
何でお前がそこに居るんだ、と。
そこに居て良いのは妻と子供だけだ、と。 
ここに居て欲しいのは家族だけなんだ、と。 
妻や子供、母親と父親、いたかどうかもわからない姉。 

私は叫んだのかもしれないし、暴れたのかもしれないけれど、 
朝が来ると部屋はそのままで、足下には3組の布団が整然と並んでいた。 

あれから10年以上の時が過ぎた。 
私は相変わらず長距離ドライバーをしながら、全国を転々としている。 
今年で36になるが、未だに独身だし、結婚するつもりもない。 
死ぬまでこの暮らしを続けようと思う。 

相変わらず心霊現象には否定的だ。 
あの時の事も偶然と幻覚の所産だと、そう思いこんでいる。 
死後の世界や怨念なんか信じていない、信じたくもない。 
死にさえすれば、意識や感情、思い出も何もかもが無くなるのなら、こんな楽なことはない。 
けれど、もし、本当に死後の世界があって、私が幽霊になったなら、 
あの世で私の家族を奪った霊を見つけだし、ぶん殴るつもりだ。

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