廃団地

445 :本当にあった怖い名無し:2011/02/04(金) 19:33:07 ID:BFDZp2FP0

すみませぬ。
では一つ、怖い話を・・・・
学生時代、夜に友人達と廃団地を訪れる計画を立てました。
そこがいつから廃団地なのか、なぜ廃団地になったのかは判りません。
しかし如何にも関係がありそうという風に、実しやかに一つの噂が流れていました。
そこを訪れようとしたのは、その噂があったからであり、怖い物見たさが理由になります。

昭和のまだ四十年代、その団地に一人の身寄りのないお年寄りが住んでいました。
寂しさからか、今で言う認知症だからか、
ある時期を境におかしな事を口走るようになったと云います。
鎌をいつも研いでいて、「もうすぐ草を沢山刈らないとね」と、団地の人へ。

老人が「刈らないと」と言った草、それは団地の子供たちでした。
気が触れていたのでしょう。
周囲へ漏らしていた物騒なつぶやきを、遂に実行へと移したのだそうです。
それは目も当てられない事件だったと云います。

狙われたのは子供と言っても幼児ばかりで、連れ去られ、首を鎌で落とされる。
被害は一人で済む事かなわず、多少の人数に及んだと・・・・
事件は認知症だからで処理されたのか、逮捕投獄されたのか、判りません。
いずれにせよ団地が人が離れ廃墟化したのも、事件が事実であれば、解かる事でした。

>>473
私は当時家庭の事情が複雑で、あまり食事をしていませんでした。(漫画も買えない)
背が高いのに発育が遅かったのも、栄養不足ゆえでしょう。

それにしても、いくら昭和四十年代の話とは言え、それほどの事件があって、
もっと世間に大々的に、知られていないものでしょうか?
話を平成初期に聞いた時、それが疑問に思えたものでした。
しかしこの話が事実かどうか、それは私たちにとり、然程大きな問題ではなかったのです。
おぞましい噂のある廃団地は、大学に入って最初の夏休み、
浮かれていた私たちグループの、格好の探検の場となったのです。

私を含め訪れる計画を立てたのは4人、私以外は野球部、陸上部(短距離のエース)、
もう1人は何部だったか忘れましたが、3人とも運動部でした。
冒頭「友人」と書きましたが、私に広く友人がいたわけではなく、大学に近いアパートに、
その日まだ帰省せず残っていたのが、たまたまその4人だった、というだけに過ぎません。

「なァ知ってるか。俺スゲー危ない場所聞いたんだけど・・・・ 」
話を持ってきたのは、結局帰省し参加しなかった、他の運動部の部員でした。

聞けば都内にあると言います。
廃団地が、です。
大学も私たちのアパートも、東京でした。
近くはなかったものの、車を走らせれば夜じゅうに往復出来ない距離ではありません。
車を出したのは(私が)部活を憶えていないヤツでした。
憶えていないのは何かオカルトな理由があるわけじゃなく、付き合いが無かったからです。
彼の運転で現場へ向かいました。
ラジオからバルセロナオリンピックが流れていたのを、憶えています。

廃団地は大通りを右へ折れ、ほとんど使われていないと見える道路をしばらく進んだら、
左手に見えてきました。
道路は使われていないと言って良い状態なので、そのまま車を停め、4人は降ります。
金網も無い真っ暗な、入れてしまう廃団地が、目の前に聳えます。

引き返せないな、流石に少し怖そうだ――
そんな事を考えようとした、しかし考える間もない、車を降りて何歩目かですぐ、
運転してきた彼がいきなり、走り出したのです。

「うわっ、はしゃぎ過ぎてるよ」

そう誰もが考えると思います。
私もそう思いました。
しかし野球部の友人が、「バカ、すぐ止めろ!」
賢くも、すぐに異変に気づいたのです。

陸上部の友人が慌てて追いかけ、捕まえました。
私も後れて追いつき、取り抑えるのに協力しました。
取り抑えられた彼の様子は、表情、嘔吐、嘔吐物・・・・ とても書けるものではありません。
思い出していて怖いのと、流石に清潔感を(こうわざわざ言うほどに、著しく)欠くからです。

ぐったりと、ひどい発熱をしていた彼は、私たち3人に病院へ送り届けられました。
ご両親にも来て頂いたほど、それは普通ではない容態でした。
その出来事以来、彼は病院(あるいは彼の実家)から、戻ってくる事はありませんでした。
安否を彼の両親に聞けばいい。
そう何方も思うでしょう。
しかし現実には、そうなった家族との関係は冷えきり、何かが聞けるものではないのです。

噂は夏休みが開けすぐに広まり、第二のチャレンジャーまで現れたようでした。
第二のチャレンジャー、つまりかの廃団地を訪れた(私たちではない)二番手グループは、
しかし矢張り恐ろしい目に、遭ったのだそうです。
車から降りる事さえ出来なかったようです。

廃団地が見えてきたと思ったら、「ウキャキャー♪」と笑った幼児たちが飛んできて、
バン、ババン、っとフロントガラスに突っ込まれ、手形をつけられ、逃げてきたのだと。

廃団地はそれから6年後にも、まだ廃団地のままでした。
無論足を再び運んだわけではありません。
人に伺っただけですが、まだ恐ろしい場所だったようです。
何故これほどのある意味不当な場所が、東京に作られてしまったのでしょう。
友人2人は帰りの車中、震えていました。
屈強な運動部の若者が、です。
実は様々見えて、聴こえてもいたのだそうです。
その出来事を境に、悪く言えば2人の人生もまた、暗転したと言えなくもありません。

車に手形をつけられたという二番手グループも、同様でした。
霊能者と言われる方々もそこには近づけず、清める事も出来ないのだと、云います。
寧ろ僅かでも霊感があったら、受信(?)し過ぎて気が触れてしまうのだとも。
ひょっとして昭和四十年代から、そこはどこかおかしな場所だったのかも知れませんね・・・・

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