「さいが」

267 :本当にあった怖い名無し:2006/09/02(土) 14:42:20 ID:k45PU+FD0

出来るだけ短くまとめます。
しかし、長文を書くのは初めてなので
至らない所もあると思います。すみません。


俺の母方の実家は和歌山県の山間にあります。
その村には綺麗な川が流れていて、よく祖父と釣りに行きました。
森の傍に流れていて、上流に行くと
百葉箱のような祠?かなんかも見えます。
祖父は鮎の友釣り、俺はセムシで雑魚釣りが定番でした。笑

その川なんですが、本当に人がいないのです。
地元の人は近付くことを毛嫌っている、そんな感じです。
本当に綺麗な川なのに、と不思議でなりませんでした。

そして思い出しました。
母が「少し変な話があるので、川の上流には行かないこと」
と何度も言っていたことを。

「そこに行けば何かが分かる!」
そう思い、祖父と釣りに行った際にこっそり上流へ向かおうとしました。
しかし、祖父に見つかり、止められました。
「気になるものがあるのだろう。
何でも教えてやる、だから上流には行くな!」と。

そこで俺は祖父に
「なぜこの川に人は来ないの?」と聞くと、
少し渋りながらも語ってくれました。
その理由となっている伝承を。

―昔、和歌山には鉄砲を巧みに操る「さいが」と呼ばれる人々がいた。
ある時、この地に「さいが」が数人訪れてきた。
彼らは「織田から逃げているのだ。助けてくれ。」と言い、宿と食を求めた。
人々は「見つかればこの村も織田に攻められる」と、拒否した。
すると、「さいが」は布の袋を取り出しこう言った。
「これは織田によって殺された者達の怨念そのものだ。
もし拒否するならば、厄災がこの村を襲うぞ。良いのか。」
人々は恐怖したが、真偽不明な怨念と織田軍のどちらが怖い。

結局「さいが」の要求は飲まなかった。
人々は「さいが」は別の村へまた放浪するだろう、と考えた。

しかし、違った。

「さいが」の者達が去ってから後、
例の川で人が溺れ死ぬ、魚が大量に死ぬ、川から腐臭が漂う。
田に水を引くと、稲は枯れ蛙一匹いなくなる。
川の水を飲めば何日も寝込んでしまう。そういったことが続いた。

おかしい、そう思った人々は川を調べた。

そして見つけた。河原に漂っている。
「さいが」の者たちの醜い亡骸。
数体あった亡骸の口には全て「そがれた鼻」がいくつか入っていた。
しかし亡骸に鼻はついている。ならばこの鼻は?
なぜ「さいが」の亡骸がここに?去ったのではなかったのか?
どうやって死んだのか?まさか自害したのか?

常ではないことが続き村人達は恐怖した。
見計らったかのように疫病も流行り、村を離れる者も出てきた。
「このままではこの村は無くなってしまう」
残った村人達は高名なお坊さんに村を見てもらった。

「あらゆる所に不浄な信仰心、怨念、穢れた魂が渦巻いている。
それらは複雑に絡み合い、更に禍々しい物へ変容し始めている。
このまま時を経れば、この地に人は近付けなくなるだろう。
まだこの地に根付いてはいない、祠を建てて奉ること。
祠を建てたら、そこには絶対に近付かないこと。
もし近付いたりしたら、ほぼ確実に引かれる。」
お坊さんはそう言った。

人々は言われた通りに河原に祠を建て、「さいが」の者達の
亡骸を再度丁寧に弔い、奉った。
すると、川に起きていた異変は止まり、
疫病も少しずつであるが最後には無くなったという―

と、祖父が語ってくれました。
少し抜けてる所があると思うけど、
出来るだけ語ってくれたことをそのまま書きました。

何この変な昔話?って感じですよね。すみません。
怖くないだろゴルァ!ですよね。ごめんなさい。
どうせネタだろ?そう思われても仕方ないです。

それでも聞いた俺は気味の悪さに半泣きになりました。

「これがこの村に伝わる話。ほとんどの人は親から聞かされて、
川に近付くな、と言われるんだ。
確かに今も祠はあるが、絶対に近付くなよ。」

最後に祖父は付け加え、そのまま寝てしまいました。

それからも変わらず、祖父母とは仲良くしましたし、
不気味ではあったけど川にも釣りに行きました。

今は祖父も祖母もあっちの世界に行ってしまったので、
もうあの村に行くこともないんですけど、
思い出すたびに不気味です。

恐らく、「さいが」=雑賀衆 「織田」=織田信長
だと思うのですが、そがれた鼻などは何のことかさっぱりです。

歴史関係のスレに書き込もうと思ったのですが、
伝承が本当かどうか分からないし、
ほんのり怖い?のでこのスレに書き込みました。

どなたか歴史に詳しい方がいましたら
この伝承について考えて頂きたいです。お願いします。

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