父の遺した言葉

1922 :父の遺した言葉:2012/12/17(月) 15:35:38 ID:5arDSjJc0
面白くないですが、実話を投稿します。○┓

俺がまだ中学1年の夏。
父親が脳梗塞になった。

父親はとある会社の課長を務めていた。
そのおかげか、母親が働かなくても、それに裕福な時を過ごせた。
しかし、中学一年の夏に、その裕福な生活は終わりを告げた。

中1で夏休みの課題を終わらせようと、朝一で起きた俺がリビングへ行くと
父はいつもどおり出勤していた。
そして適当な物を食べ、部屋に戻り課題をしていた。

課題に取り組んでいる時、母が一階から大きな声で俺を呼んだ。
俺「うるせぇな、何だよ。こっちは課題をしてい・・・」
母「あの人(父親)が駅で倒れて、○○病院に今いるみたいなの。お母さん行ってくるから
  お留守番お願いね。」
と言い、俺にワンコイン(500円)を渡して出て行った。

母が出かけた後、課題を終わらせ、母から渡された500円を持って昼食を買おうと着替えてる時
家の電話が鳴った。

母からだった。
父親は脳梗塞になった。体が自由に動かせないらしい、今日は遅くなるから、戸締りしっかりしときなさい。とのことで

中学卒業までの二年間、俺と母は必死に父の介護をした。
父は感情の制御(?)がうまくできないらしく、時には母に罵声、俺に対しての暴言が飛んできた。
今まではどんな事があっても、家族に対してそんな事を言わなかった父親の口から出る言葉は「(母に対して)俺の金を取っただろ。」
俺に対しては、「お前が俺の息子だと思うと死にたくなる。」など、かつての父親とは思えない豹変ぷりだった。
挙げ句の果てには、介護用品を父の預金で買った母に対して「泥棒、泥棒」と叫んでいた事もあった。
母は毎日泣いていた。
俺は父に殺意を抱いていた。 

高校に入ってからは、バイトを始めた為、家に帰っても父とは顔を合わせない日が続いた。
俺がバイトをしている間に、デイケアを始めたらしい。そのおかげか、父は機嫌が良くなっていた。
母にも笑顔が戻ってきた。

しかし、俺が高校に入って初めての期末テストをしている最中、担任に呼び出された。
担任曰く、(担任は父が脳梗塞になったのを知っている)お前のお父さんの容態が悪化したらしい。
不幸中の幸いか、先ほどのテストが最後のテストだった為、俺はHRに参加せず、真っ先に○○病院へ行った。

病院に着くと、わけのわからない機械?と酸素マスクをつけている父と、その横でどうしたらいいかわからない
という様子で立っている母がいた。

母にどうしたのか聞いたところ、俺が学校へ行った直後、父が「頭が痛い、割れそうだ」と言うので、救急車を呼んだらしい。
医者が慌ただしく動き回る中、父が俺を手招きした(ように見えただけかもしれない)。
俺「大丈夫。医者が何とかしてくれるから・・・」
父「・・・く・・・な・・・っ・・・な・・・」
俺「・・・え?」

俺は聞き取れなかった。続きを聞こうとしたが、父は手術室へ運ばれて行ってしまった。 

手術室の前で母と一緒に手術が終わるのを待っていると眠くなってきた。
それを察したのか、母が「あなたは家で待っていなさい。」といい、家の鍵を渡してくれた。
俺はその言葉に甘えて、帰宅した。

翌日、手術が終わった。と聞いて病院へ行った。
病院へ着き、母が教えてくれた病室へ行く。

そこには医者と母、そして意識のない父親がいた。
医者は俺と母に「最善は尽くしましたが・・・最悪の場合を考えなくてはいけません。」と言った。

父の容態は「最悪」のようで、助かる見込みは全くありませんでした。
母もそのことを理解したのか、意識のない父に呼びかけていました。
今でもその光景が脳裏に焼きついています。

数日後、父が意識を取り戻した
と、母が嬉しそうに部屋で寝ている俺を起こした。
そして二人で父の病室へ行った。

医者が俺と母が来たことを確認すると
「○○(父)さん、奥さんと息子さんが来ましたよ」と呼びかけた。
父はその呼びかけに応じて、振り向いた。

しかし、父は何も言わなかった。
どうやら、言葉がうまく話せないらしい。
しかし、父の目からは涙が流れていた。
それを見た母は泣き崩れ「よかった・・・よかった・・・」と泣いていた。

医者が空気を読んだのか、「では、失礼します」といって病室から出ていき、俺ら3人だけとなった。
母と俺は父親に話しかけ、父も小さくだが頷いたりしていた。
幸せの時だった。
優しい父親が戻ってきた。俺はそう思いながら高校生活について話していた。

だが、その幸せは長続きしなかった。 

父の容態がまた悪化した。
父が声にならない呻き声をあげ始め、母親がナースコールをした。
ナースが部屋へ入ってくるのを確認した俺は「医者を呼んでくれ!早く!」と叫び、ナースもそれに応じた。
1,2分後に医者がきた。心臓マッサージなどを施すが、一向に良くならない。
部屋の中は混乱しており、医者の大声、母の泣き声が混ざり、阿鼻叫喚だった。

そしてその混乱が静まり返った。
「ピー」という音が鳴り響いた。

父は帰らぬ人となってしまった。

あれから2年後、高校を卒業した俺は今は普通に働いている。
でも、俺は今でも父が遺した言葉を覚えている。

父の心臓が止まったあと、医者が必死に心臓マッサージを施したおかげか、
父の心臓は臓の拍動を再開した。

そのとき、父は弱々しく、俺に手招きをした。
部屋は静まり返り、誰もが父の言葉を聞こうとしていた。
父は俺に「大きくなったな」と言い、力尽きた。

そういえば俺、中学へ入学したときも、父に言われた一言が「大きくなったな」だった。
でも、父が脳梗塞になった為、高校へ入学したときは言われなかった。

これは自分の勝手な推測だが、父がもし、一度は亡くなったが、何か未練があり、何らかの方法でごく僅かな時間だけ
人間として生きることができたとし、俺に一言伝えたのだとしたら・・・

そう思うと俺は涙が止まらなくなっていた。奇跡は続けて起きることはなく
あの一言が父の遺した言葉となってしまった。 

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