懺悔

335 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ :04/03/27 00:23
猫の話と言えば、実は俺、反省している事があるんだよね。
猫の話という事では(ゴキブリを食べさせた事以外の事を)この際だからぜ~んぶ並べて懺悔しておこうと思う。
さて、そもそも俺自身の猫との接点とは、前述の汚い団地に集う野良猫達と、親友の家の「半飼い猫」のニャベという猫。
(家の外に出入り自由だった)ぐらいのものだった。
親友の所に遊びに行けば、じゃれて足にマトワリついてくるので、俺としては悪い気はしなかったが、とりたてて特に猫を好きな程ではなかった俺。
ただ、そのニャベが死んだ時に、昔「きんかん」(虫刺されの薬)を、そのニャベの鼻に押し当てた悪戯(いたずら)の事を思い出し、俺は悪い事をしたなぁと後悔したよ。
親友のお母さんは深く悲しんだらしい。
良い印象に残る猫といえばそれぐらいで、、それ以外の猫の話と言えば、思い出す悲しい事が2、3ある。
隣に住む友達と一緒に拾ってきた子猫を、友達の母親に諭されて、段ボール箱に入れて捨てに行った(正確には行かされた?)話。
だけど、これぐらいは、どこの家庭にでもよくある話だよね。
それ以外では預かった子猫を幼い頃の俺が、子猫に酒を少量飲ましてしまい(俺は子猫が酒を呑めるものだと思っていた)それらの2匹の子猫が死んでしまった出来事。
これもマジで凹んだよ。
なきがらを山に埋めて俺が葬ったんだ。

あとは、猫の尻尾を車で踏んだ話。
いつか忘れたが妻と2人で行った福島への旅行での話だけれど、ホンダ・インテグラのポンコツを運転している俺は、ラーメンを食べに会津若松~喜多方方面へ遠征していた。
古くから流通の岐路であった喜多方は味噌が有名で、その味噌を工夫した美味しいラーメン屋が、今も町に軒を連ねている。
その時、俺達を乗せたインテグラは、狭い二車線の国道を喜多方へ向かっていたんだけれど、60キロ程度での走行中に、偶然に右側前方から飛び出そうとする青年期の猫を発見。
しかし、その飛び出し角度・速さ・距離というものが、俺のドライビング・テクでは回避不可能なタイミングだったので、先の見えにくいカーブで回りは寂れた商店街?という事もあり、俺は回避行動も、減速さえもせずに、祈るような気持ちでハンドルを握っていた。
すると、小さく「コトッ」と音がする。
音と振動から推察するに、尻尾を轢いたらしい。
幸い妻と談笑していた最中だったほんの瞬間の出来事なので、妻は事件に全然気がつかなかったらしく、俺は気の毒だと思い、黙ったまま運転し続けた。
あの猫、尻尾大丈夫だったんだろうか、、。

最後は、、初めて買った銀色のアメリカンバイクVツイン・マグナ250ccで猫を踏んだ話。
発売して間もない新製品のアメリカンバイクを買って、得意になった俺は町中を走り回ていた。
俺の生まれた街中で「そのバイク格好良いね」なんて見知らぬ他人から話し掛けられたりして、話のネタにもなり、俺の方も十分過ぎるほど恩恵を受けたバイクだった。
で、事故の話だが、自宅近所の病院前を俺が愛車に乗って快走中、道端右側から出てきたオス猫を幅20センチはあろうかという太い後輪で、踏みつけてしまった事。
しかも事もあろうに、俺は慌てて急ブレーキを踏んだから、それで余計に後輪がロック。
だからモロに猫の奴は、俺の重いマグナの重量を受けたに違いなかった。
さらに可哀想な事に、その猫には連れ合いがいて、その猫が体がギクシャクしてしまっている(恐らく脊椎を損傷していたのであろう)事を心配し、後ろからいたわる様に付き添っている。
アレには本当に参った。
先ほど俺が轢(ひ)いてしまったその猫をオス猫だと言ったのは、後ろから付き添う猫の姿が、あまりにも慈愛に満ちていたから、俺がついメス猫なのか?と思ったからである。
体をギクシャクさせながら俺のバイクに轢かれた後も、ヨロヨロと道を横切ろうとするそのオス猫。
その猫は本当に怒りと恐怖でパニックに陥っていて、若かった俺にはどうする事もできず、、、、俺は卑怯にもそのまま見て見ぬ振りをして走り去るしか無かった。
「飛び出してくるお前が悪いんだ、許してくれ」と心に何度も復唱しながら、、。

以上が、おおよそ俺の人生における全ての猫への懺悔である。猫達よ、本当に悪かった。
もしかしたら、猫たちは俺の事を許してくれないかもしれない、でもね、今、何故に俺がこの事を懺悔しようかと思ったかと言うと、もうこれ以上同じ事をくりかえしたりしないと、自分自身に誓う為なんだよ。
そもそも何でこうう馬鹿な事を俺は繰返すかというと、俺は昔から余りにも自分勝手だった。
思い込みの激しいガキだった。
おんきせがましい馬鹿野郎だったんだよ。
本当に他人や自分と違う生命を宿した生き物を、対等に扱うという姿勢に欠けていた。
不可避なものはさておき、自動車やバイクを運転する時には、もう少しスピードを緩めて走行する事も(後から考えれば)可能だった筈である。
だから、持ち前の俺の自分本位な気持ちが災いして、多分このような多くの悲劇が生まれたのだと思う。
自分のモノサシで人間や生き物を測り、それにあたかも等級をつけるようにして、その相手に対して知らず知らずのウチに差別をしてしまった俺。
(自分にとって良いものは丁寧に、逆に自分の気に入らないものからは逃げて)いる子供っぽい人格というか、、、、そういう幼稚な発想は、本来なら恥ずべき作法なんだよね。
小さなことには眼を向けず、大きな事にばかり眼を奪われるというのは、愚かな考え方だよ。
俺はそういう馬鹿な自分に反省します。何気ない小さな存在や価値観であっても、それを受け入れる事によって、初めて俺は、この世界の広さを知る事が出来る?
まぁ「小さな世界」こそ壊れ易いから大切にするべきなのかもな

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